部屋替え
デフェルとふたり邸に戻ると、ルイスが玄関のところで待っていた。
「そろそろお戻りになる頃かと思いまして」
二人の姿を認めると、にっこりと笑う。そこへすかさず、デフェルが突っ込んだ。
「とかなんとか言って、サボってただけだろ」
揶揄いを含んだその言葉に、ルイスは「まさか」と澄ました顔で答える。
ルイスはカリムに向き直ると、柔和な笑みを浮かべた。
「夕食の準備が出来ております」
「ちょっ、俺は!?」
その横でデフェルが騒いでいたが、ルイスは完璧に無視してみせた。
人で賑わう玄関ホールの先へとカリムを促す。
促されるまま歩き出したカリムは、いいのかなと思いつつ、デフェルのことを振り返った。そんなカリムに向かい、デフェルはひらひらと手を振ってみせる。口元は笑っていたので、いいのかもしれない。カリムも手を振った。
馬車に乗っていた間、少し気詰まりだったので、ほっとした。
明かりの灯る廊下を、ルイスの案内で歩く。
「イエーガー様はいらっしゃるんですか?」
カリムが気になって尋ねると、ルイスは顔だけこちらに向けてきた。
「今日はおいでになりませんよ」
イエーガーは忙しいのか、時間の合わないことも多い。
カリムはそうなんですね、とうなずいた。
今日も一人なんだな、と思ったところで食堂につく。
部屋に入ろうとして驚いた。
そこにはすでに沢山の人がいて、賑やかだった。今朝方から邸に集まってきた人達だろうか。年齢は様々だったが、さすがにカリムくらいの小さな子供は、他にはいないようだった。
ルイスについて食堂に入ると、視線が集まる。けれど、それも一瞬のことで、すぐに散らばった。
「これだけ人がいたら、用意するの大変そうですね」
「この部屋だけだと足りないから、他の部屋も使って用意したんですよ」
それでも間に合わないようで、一部の人には他所で食事をとってもらっているらしい。
「ええ?」
カリムは思わず、ルイスの顔を見上げた。
「ぼく、ここで食べてもいいんですか?」
「カリムさんは、ここではお客様なので、いいんです」
ルイスは部屋の隅、空いている席へとカリムを招いた。
そうはいっても気が引ける。せめてもと手伝いを申し出たら、やんわりと微笑まれた。
「その気持ちだけで十分です」
ルイスは器用に片目だけつぶってみせると、背もたれの長い椅子をスッと手前に引き寄せた。そこまでしてもらって、断れるはずがない。カリムは大人しく席についた。
「すぐにお持ちしますね」
ルイスはそう言い残すと、食堂から出て行ってしまった。
こうして一人取り残されると、途端に居心地の悪さを感じてしまう。
カリムは料理を待つ間、そっと周囲の様子をうかがった。先に席についていた人達は、何かさわさわと話し込んでいる。内容は聞き取れなかったが、明日のことなどを話しているのかもしれなかった。
そうしてじっと座っていると、いくらも待たないうちに料理が運ばれてきた。
ルイスの他にも何人か、お仕着せに身を包んだ男性が給仕につく。
助っ人で呼ばれたのか、初めて見る顔の人もいた。
カリムはここで覚えたテーブルマナーを思い出しながら、ナイフとフォークを手に取った。
初めてイエーガーと食事を共にした際、言われたのだ。
“覚えておいて損はないからな。いい機会だし。今の内に覚えておけ”
そう言って、口の端を吊り上げて笑っていた。
以来、カリムは慣れない作法に悪戦苦闘している。
最初の頃よりまごつかなくなったものの、その手つきはたどたどしい。
――でも、覚えておいてよかった。
カリムはちらりと、周りにいる人達に目を向けた。
皆、話しながら食事をしているというのに、その手つきには淀みがない。
もし自分がそんなことをしたら、こぼしてしまいそうなものだった。
カリムは目の前の料理に視線を戻すと、教わったことを確認するように、ゆっくりと手を動かした。
ここに来てからというもの、自分で料理を作っていない。
全て、邸で働く人達が用意してくれていた。
カリムは初めてこの部屋で食事をしたときのことを思い出し、わずかに緊張した。
あのときは、イエーガーも一緒だった。
使ったお皿を下げようとして、ルイスに「そのままでいいですよ」と言われて困惑したものだ。
カリムは料理を口に運ぶと、もぐもぐと味わった。
食べ始めると、マナーよりも味に気がいってしまうのは、いかにも子供らしい。
少年の食べる姿に癒されると、こっそりメイドが見に来たりもしていたのだが、食事に集中しているカリムは全然気づかなかった。
ここで出される食事は、どれも美味しかった。
けれど、今日、デフェルに買ってもらった、包み揚げのようなものが無性に食べたくなる時がある。
食うに困ってお腹を鳴らしていた時とは違い、きちんと美味しいものを食べさせてもらって、お腹も満足しているのに……。
そんなことを考えながら食べていると、順に料理が運ばれてくる。
前菜に始まり、スープ、メイン――と続く。
「今日は人が多いので簡単なものですが」
そうルイスから聞いていたはずなのに、それでも十分すぎる量だった。
「大皿に盛りつけて、自分たちで適当にとりわけて食べるのではダメなんですか?」
人数が多いなら、それでも構わないような気がする。
「何事にもメンツというものがあるのですよ」
そう言って彼は笑った。カリムにはよく分からなかったが、大変なんだな、と思った。
食べ終わる頃には賑わっていた食堂も、だいぶ人がはけて落ち着きを見せていた。
ヴァイオレット達と過ごしていた時の習慣で、胸の前で両手を組み合わせて目を閉じる。何をしているのか、その時はよく分からなかった。だけど、今こうしてみると、思うことがある。
――感謝の気持ちあらわしていたのかな。
教会で祈りを捧げているときのような、あんな感じによく似ている。
カリムは組んでいた手を解くと、席を立った。部屋を出ようとしたところで呼び止められた。
「カリムさん」
振り向くと、ルイスが近付いて来るところだった。
ここの人達は、どんなに急いでいても、走るということがない。
カリムもルイスのいる方へ足を向けた。
「部屋に戻りますか?」
お互いの距離が縮まると、そう尋ねてくる。
そう言えば、忙しそうに立ち働いている割に、ルイスが息を切らしているところを見たことがない。走ったりしないからかな、と思いながらうなずいた。
ルイスは「別の部屋が用意してあるので、そちらに移って欲しい」と告げてきた。
人が増えたことで、今まで使っていた部屋が使えなくなったのかもしれない。
カリムに否やがあるはずもないので、特に理由を気にするでもなく、素直にルイスについて行った。
次回の更新は、明日2/5㈫の予定です。