衝動
「急ですみません」
ルイスが紅茶を淹れながら申し訳なさそうに言ったのは、邸の東側一階、新しく用意された部屋でのことだった。
「いえ……」
大人しくテーブルの席についたカリムは、部屋の中を見回す。
新たに用意されたこの部屋は、今までいた部屋よりもいくらか小さかった。それでも、一人で使うには十分な広さがある。
整えられた室内に目をやっていたカリムは、窓から見える景色に目をしばたたかせた。
――そういえば、ここに来るとき、少し階段をおりたっけ。
見上げた窓の先が地面になっている。どうやらこの部屋は、半地下になっているようだった。
そうして部屋を見回していると、目の前に紅茶の入ったティーカップが置かれる。
「冷めないうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
カリムはお礼を言って手を伸ばす。砂糖をひとつ入れてかき混ぜている間に、ルイスはカリムの着替えを用意すると、「それでは」と言って部屋を辞した。
それを機に、室内がしんと静まり返る。
朝方まで騒がしたかった邸内も、今ではすっかり静けさを取り戻したようだった。
カリムは冷ますように息を吹きかけると、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。
今回の戦が終われば、カリムは救貧院に預けられることになっている。
聞けば、ここより更に北に行った、大きな街にあるらしい。
そこでの生活がどのようなものであるか、カリムには想像がつかなかった。
ただ、“救貧院”という音の響きと、“教会”が関わっていることから、これまでの生活とはすっかり変わってしまうのだろうな、と漠然と思った。
カリムはティーカップに口をつけながら、窓の外に意識を向ける。
デフェルと邸に戻ってきた際、庭内に何台も荷馬車が停めてあるのを目にした。
その周りには、今回の出征に伴い集められた武器や資材、食料などが詰められた箱が無造作に積み上げられていた。その箱を、庭に集まった男たちが荷馬車に積み込む。その様子を思い出して、カリムは小さく息をついた。
デフェルの話では、明朝サウロへ向けて発つ、とのことだった。
窓から見える庭を見上げる。
――もし、みんなについていったら。
そこに停めてある荷馬車のどれかに紛れ込むことができれば、村に戻ることができる。
――でも、戻ってどうするんだろう……。
村の人達はもうおらず、カリムを養ってくれた父も、もういない。
いるのはヴァイオレット達だけだ。
カリムは葉脈の透けた白い少女の顔を思い浮かべた。
一緒にいたのはほんの数日。
自分の意思ではなかったとはいえ、一度離れたカリムのことを受け入れてくれるかはわからない。
カリムは小さな手で包むように持っていたティーカップを、テーブルに戻した。
ここから村までは数日の距離だ。皆が村についたら――ついたら?
カリムは突然、沸き上がった考えに、血の気が引くのを感じた。
デフェルは言っていた。
村を取り返すと。
今、邸の庭で準備をしているのは話し合いをするためではなく、戦をするためだ。
そうなったら、ヴァイオレット達はどうなるんだろう?
急に現実味を帯びた“戦”という言葉に、今更ながら慄然とした。
カリムの脳裏に、村が襲われたあの日の光景が浮かぶ。
あのとき、たくさんの血が流れた。
目の前で起こったそれは、どこか現実味に欠けていて、外界とは切り離された透明な箱の中から、別の世界で起こったできごとを見ているような、そんな感覚だった。
突然のことに心がついてゆかず、ひどくゆっくり父が倒れても、悲鳴も涙も少年から漏れ出ることはなかった。
ただ、あのとき、全てが凍っていた。
カリムは目を閉じる。
戦になれば、ヴァイオレット達だって無事ではすまないかもしれない。
イエーガー様は出るんだろうか。
ジェイダさんはついて行かないかもしれない。
デフェルさんは行くんだろうな……。
皆の顔が浮かんでは消える。
不意に、倒れた父の姿に、あの白い少女の姿が重なった。
脈打つ心臓の鼓動が、少年の胸をしめつける。
カリムはいても立ってもいられず、衝動的に椅子を蹴立てて部屋の入り口まで駆け寄ると、勢いよくその扉を押し開けた。
いま荷馬車に乗り込めば、ついて行くことはできる――。
しかし、少年のそんな想いはあっけなく散った。
部屋の外、扉を開けたそこには、ルイスではない邸の使用人が、ひとり静かに立っていた。
歳のいったその男は、扉を開けた姿勢のまま、その場で動きを止めたカリムを見て、そっと声をかけてくる。
「どうされました?」
まさか「荷馬車に乗り込もうとしてました」とも言えず、口ごもる。
「……ちょっと用を足しに……」
そう言うのが精一杯だった。
次回の更新は、明日2/6㈬の予定です。




