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北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
影の理、湿原の牙

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服織宿、炎に沈む

 晩秋の風が、水郷を渡っていく。葦は枯れ、湖沼の水は冷え、夜の気配はすでに初冬のそれであった。将門は、裸木を組んだだけの簡素な物見櫓に立ち、遠く筑波山の黒い稜線を見据えた。

(……機は熟した)

 国巣の牙と爪を得て、湿原での揺動戦は次々と戦果を挙げた。

 良兼軍は捜索を続けるたびに兵を失い、その疲弊を隠せない。

 将門の三人の弟──将頼(御厨三郎(みくりやさぶろう))、将為(相馬五郎)、将武(相馬六郎)も、湿原での戦を重ね、武士としての眼と胆を備えつつあった。

 そして今、将門のもとには常総の豪族たちが続々と集い、湖沼と湿原に囲まれた鎌輪の要害は、かつてない活気と緊張に満ちていた。

「今宵、服織宿(はとりのやどり)を襲う。……良兼を討つ」

 三郎将頼が静かに告げた。

「兄上。服織宿の敵兵は、夜半には半ば眠りに落ちましょう」

 将門は頷いた。


 ――服織宿。良兼軍の常陸方面の前線として、郎党、与力の伴類、徴用された農民兵など、筑波山北西麓の服織宿には五百余が籠っていた。「宿」と記されるが、実際には広大な敷地を持つ軍事拠点であり、交易地としても機能する大規模な防衛集落である。

 晩秋の夜気は冷たく、兵たちは焚火に身を寄せ、警戒も緩んでいた。

「将門は湿地で死んだのだろう」

「いや、影のように潜んでいるとか……」

「もう探すのはごめんだ。湿地の戦は気味が悪い」

 兵たちの声には、湿原での敗北の記憶が滲んでいた。

 そのとき、宿の外で、風とは違う“ざわり”が走った。

「……今の音、聞いたか?」

「風だろう」

 だが、それは風ではなかった。黒騎馬隊を率いる将頼は、愛馬の鼻面を撫でながら、宿の灯火の揺れをじっと見つめていた。

「……風が変わった。今なら、焚火の煙がこちらを隠す」

 その声は低く、しかし確信に満ちていた。

 将門が頷く。

 将頼は黒騎馬の先頭に立ち、手を軽く上げた。

「黒騎馬、前へ」

 ザッ──

 黒い影が一斉に動き、宿の外縁へと滑り込む。

 焚火の光が揺れた瞬間、将頼の声が闇を裂いた。

「矢を射掛けよ」

 ヒュッ──!

 黒騎馬の騎射が、正門の櫓に立つ兵を一息で射抜いた。

「敵襲──!」

 叫びが上がるより早く、将頼は馬を躍らせ、正門から突入した。

「乱せ。敵の心を折れ」

 黒騎馬は、将頼の指揮のもと、敵の混乱を極限まで高めていった。

 将門はその背を見て思う。

(……三郎には、用兵の才がある)

 混乱が生まれた瞬間、五郎将為が俊馬を駆って中央へ飛び込んだ。

「兄者、道を開くぞ!」

 その声は豪胆で、しかし無謀ではない。湿原で鍛えた“勘”が、敵の位置を正確に捉えていた。五郎将為は、焚火の影に隠れた敵の列を見つけると、馬を横に滑らせ、一気に切り裂いた。

「怯むな!ここを抜けば、道が開ける!」

 黒騎馬が五郎将為に続き、服織宿の中心部を完全に制圧した。

 騎射は容赦なく、敵兵が一人、また一人と倒れていく。

「敵襲――! 将門の黒騎馬だ――!」

 恐怖が走った瞬間──背後の竹林から、国巣の弩が一斉に火を噴いた。近距離で放たれた強力な弩は鎧を貫き、兵を地に縫いとめるように倒していく。

 服織宿中に混乱が広がる。

 さらに、塀や屋根から飛礫(とびつぶて)が降り注いだ。石は正確に兜を砕き、その場に沈めた。

「上だ――! 敵は上にも!」

 見上げた兵の顔面に、次の飛礫が落ちた。

 ゴッ──!

 兜が砕け、兵が悲鳴を上げて倒れる。

 六郎将武の声が闇に響いた。

「汝らの逃げ道は、もうない」

 軽装の兵たちは、塀から屋根へ、屋根から屋根へ、油を撒きながら、まるで夜の梟のように飛んだ。


 黒い馬、黒い鎧──。

 将門は、ゆっくりと服織宿に入城した。左眼の重瞳(ちょうどう)には、暗く赤い灯が宿っていた。屋形の主殿に昇り、残党に問いただす。

「……良兼は何処(いずこ)へ消えた──」

 その声は静かで、しかし凍てつく殺意を帯びていた。残党たちは震えるばかりで、声を上げることすらできない。

 その刹那──

 将門の刃が闇を裂き、血飛沫が高く上がった。

「我は、貴様らを誰一人として生かしておかぬ」

「兄上。服織宿、陥ちました」

 将頼の静かな声に、将門は頷いた。

「頃合いだ。――火矢を射掛けよ」

 三人の弟たちは、兄の残酷な始末に驚き、互いに顔を見合わせた。

 だが……何も言わなかった。兄の胸中を察すると、言葉が出なかった。

 服織宿は、燃え盛る炎の中に沈んでいった。

 それは、既視感を覚えるほどの光景であり、叫びたいほどの切なさを伴う風景でもあった。


 良兼は炎上する服織宿を、這うようにして逃げ出し、筑波の山中へ落ち延びた。

 将門軍は三日三晩にわたり麓を包囲し、山中の良兼を執拗に追い回した。


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