鎌輪が研ぐ牙と爪
鎌輪宿に戻った将門は、失った兵馬の大きさを静かに噛みしめていた。
(……正面からの戦では、良兼軍には及ばぬ。)
良兼軍は、規模こそ縮んだが、なお湿地帯に数百の捜索の手を伸ばしている。
だが、この湿原こそが将門の新たな活動拠点であった。湖沼、湿地は足を奪い、森は視界を裂き、川筋は軍勢を分断する。
「大軍は、この地では動けぬ。」
ならば──揺動して敵を誘えばよい。将門は心の内に、構えを巡らせてみた。
そして、国巣の民が使う狩猟具、弩 と 飛礫。
将門はそれらを手に取り、言った。
「この“牙”と“爪”があれば、大軍をも噛み砕ける。」
国巣の長・田油毘古が悲し気な顔をした。
「……人を殺めることに使うおつもりか。」
「いや、民を守るためだ。良兼を滅ぼすには、力が必要だ。」
国巣の者たちは、短く頷いた。
「ならば……汝を信じ、我らも牙を預けよう。」
田油毘古は、若い者たちの決意を感じ、深く頷いた。
将門は鎌輪の丘から東の湿原を見渡し、戦の形を描いた。遠方から黒騎馬の騎射と大弓で敵を削ぐ、黒騎馬が突撃し、敵陣を分断する、乱れたところへ弩の一斉射、高所から 飛礫が降り注ぎ、隊列を粉砕する。
(……互角どころか、殲滅できる。)
炎滅の夜に奪われたものの重さが、将門の胸に殺意を宿らせていた。
国巣の民は弩の弦を張り、投石用の革紐を鞣し、湿原の通り道を案内した。
黒騎馬は泥濘を駆ける訓練を重ね、森の影に溶けた。
「ここからだ。我らの反撃は始まる。」
弟たちが同時に頷いた。
――将為(相馬五郎)、将武(相馬六郎)。この湿原での戦いは、彼らの初陣でもある。将門は湿地の向こうに広がる良兼軍の影を見据えた。
(弟たちが初陣で勝ちを拾うに、ちょうど良い。)
――鎌輪、南の湿原
良兼軍の捜索隊は泥に足を取られ、苛立ちを募らせていた。
「もう三日だぞ。将門など死んでおるわ。」
「だが命令だ。“病気の小次郎を見つけ出せ”とよ。」
そのとき──
「いたぞ! 黒い馬影だ!」
「将門軍だ! 追え!」
兵たちは歓声を上げて駆け出した。それが死地への一歩とも知らずに。
黒騎馬はわざと足跡を残し、湿地の奥へと誘い込んだ。良兼軍は隊列を乱し、深みに足を取られて散開していく。
森の影から、将門の声が響いた。
「……今だ。」
湿地の高みに潜む国巣の民。彼らを率いるのは弟の将為(相馬五郎)。
五郎将為が手を上げる。
「……放て。」
ビュンッ、ビュンッ、ビュンッ。
乾いた音が連続し、兵が次々と倒れた。
「どこから撃って──ぐあっ!」
「見えねぇ! 敵が見えねぇ!」
姿が見えない上、湿原が音を吸収して聴覚を鈍らせる。
敵兵に混乱が広がる。
森の上から影が動いた。
国巣の若衆が飛礫を投げ下ろす。こちらを指揮するのは将武(相馬六郎)。
ゴッ、ガンッ。
兜が砕け、肩が折れ、悲鳴が上がる。
「上だ! 木の上──」
見上げた瞬間、次の石が顔面を砕いた。国巣の民は、森そのものが動くかのように影から影へ渡った。
混乱の極みに、黒騎馬が湿地の浅瀬を駆け抜けた。この黒騎馬隊は、年長の弟、将頼(御厨三郎)に任せた。
「ひ、ひぃっ──!」
「馬が湿地を走るだと……!?」
黒騎馬は国巣の案内で“固い筋”を熟知していた。
将門が叫ぶ。
「散れ! 旋回せよ!」
黒騎馬は散開し、敵をさらに分断した。
悲鳴だけが湿原に響く。逃げる兵は隠れた湖沼に沈み、助けを求めた者は弩に射抜かれた。
最後の一人が叫ぶ。
「ま、待て! 降参──」
その声は黒騎馬の蹄に踏み消された。
湿原には静寂が戻った。将門は横たわる敵兵を見下ろし、静かに言った。
「……これが、新たな戦法だ。」
三郎将頼が頷いた。
「この戦法を繰り返せば、確かに良兼軍は疲弊する。」
将門は、広大な湿原の向こうを見据えた。
(……弟たちも、戦力の抜けた穴を立派に埋めてくれる。)
鎌輪の影の地に、反撃の牙が確かに刻まれた。




