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北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
炎の夜を超えて

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常陸を支える義

 将門と良兼が坂東一円を揺るがす抗争を続けていたその頃、常陸国では、国豊の周辺にも、別の火種が静かに燻り始めていた。

 国豊は、国衙の政務を預かる判官として、国内の税所を監督する立場にあった。その彼の前に立ちはだかったのが、在庁官人の一角──百済王(くだらのこにきし)氏である。百済王氏は、徴収した租税を正倉へ納めることを怠り、再三の督促にも耳を貸さなかった。それどころか、国豊が自ら聴取に赴いた折、逆に矢を射かけるという暴挙に出たのである。

「……国衙を、侮っている。」

 国豊は、静かに怒りを燃やした。さらに百済王氏は、国豊を“浮島ごときの小領主”と侮り、信太の村々へ襲撃を仕掛け、略奪を働いた。

 だが、国豊は“名ばかり大掾”の文官ではない。若き日より鍛えた武と、浮島の郎党の結束があった。

 ――戦いは、短かった。国豊は郎党を率いて襲撃者を迎え撃ち、これを殲滅した。百済王氏の兵は誰一人として戻らず、郎党の多くが討たれた。恐れをなした当主は、ようやく国府への徴税に応じ、正倉は満ちた。紛争は終息し、常陸介・維幾も胸を撫で下ろした。


 かつて常陸国では、坂東平氏と嵯峨源氏という二つの大族が姻戚を結び、その“利”が国中の力の均衡を保っていた。だが、平将門の台頭によって、この均衡は否応なく崩れ、在庁官人の中には“鬼の居ぬ間”とばかりに私腹を肥やし、己が力を誇示する者が現れ始めていた。

 しかし──百済王氏の襲撃を退けた国豊の武威を前に、維幾・憲為の親子でさえ、国衙の政に口を挟むことを憚るようになった。頼みとする壬生氏も、自領に籠ったまま動かない。

 国豊は、この混乱をただの乱世の兆しとは見なさなかった。

(……今こそ、常陸の秩序を立て直す好機。)

 彼は、常総の在地豪族と同盟を結び、あるいは結び直し、「力の拮抗」を保つことで国内の安定を図ろうとした。

 租庸調の徴収を安定させ、中央との連携を密にし、律令を行き渡らせる。

 それこそが、己が果たすべき “義” であると信じていた。


 ――そんな折、国豊のもとに、胸を抉(えぐ)るような報せが届いた。

「将門殿が……良兼らの夜襲に遭い、豊田営所を焼き討ちされたと……」

 国豊は息を呑んだ。

「……なんだと。」

 常羽御厩も、豊田営所も、村々も焼かれ、将門は敗走したという。

「大国玉の岳父殿を頼り、真壁へ向かったそうですが……途中で行方が分からなくなったと……。」

 国豊は拳を固く握りしめた。

(なぜ……なぜ我に助力を求めなかったのだ。)

 自分は、以前より強くなったはずだ。浮島の郎党も鍛えた。常陸国内での発言力も増した。それなのに将門は、自分を頼らなかった。焦り、悔しさ、そして胸を締めつけるような不安が、国豊の心をかき乱した。

 しかも、今なお三千の良兼軍が将門の行方を捜し回っている。将門の与党と目される自分が動けば、浮島も、信太も、民も巻き込まれる。国豊は、悶々とした思いを抱えたまま、ひとつの決断を下した。

「……せめて、消息だけでも探らねばならぬ。」

 夜明け前、霧の立ちこめる中、国豊は郎党数名を連れ、静かに浮島を発った。

 胸の奥には、ただひとつの願いがあった。

(将門殿……どうか、生きていてくれ。)


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