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北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
炎の夜を超えて

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鎌輪宿、影より立つ

 平将門は、初めて敗北を知り、喪失を知り、死の淵を覗いた。

 敗走の痛みがまだ胸の底に沈殿しており、その沈殿が黒い影となって揺れていた。

 常羽御厩の炎、豊田の焼け跡、妻子の行方、郎党たちの死、民の嘆き、そして──良兼の狂気の笑み。その影は、まだ熱を帯びぬ灰のように、胸の奥でくすぶっていた。

 やがて、将門の胸には、不安と悲しみだけでない別の感情がこみ上げてきた。怒りが静かに、しかし確実に積もっていた。憎しみは、体力の回復とともに増していく。そこから生まれた影は、深い闇を孕み、怨の火を宿した影であった。

(……許さぬっ!)

 その言葉は、胸の奥で確かな形を持ち始めていた。それは、怨だけでは語れない、哀しみから生まれた影であった。もはや、自らの怒りと憎しみを制御できぬ領域に踏み込みつつある。それを、将門自身も感じていた。

 国巣の者たちも、将門の変化に気づいていた。

「……お前さん、背に負う影が濃くなってきたな。」

 集落の長老、田油毘古(たぶらひこ)が言った。

 将門は、静かに頷いた。

「影でもよい。良兼を討つ力となるのならば……」

 その左眼の重瞳には、かつての将門にはなかった鋭い光が宿っていた。

「良兼を……必ず討つ!」

 その声は、確かに、新たな戦の始まりを告げていた。

 将門は、国巣の者たちと原生林で暮らすうちに、彼らが日常的に使う狩猟道具に目を見張った。

 まず驚いたのは、彼らが当然のように扱う「弩(いしゆみ)」であった。

 弩は、古くは大陸から伝わった強弓であるが、この時代の日本ではすでに衰退し、戦場の主流は和弓(大弓)であった。

 弩は重く、扱いも難しく、射程も大弓には及ばない。まして、雑兵に持たせて習熟させるには不向きで、豪族たちも武士たちも、いつしか弩を捨てていった。

 だが──国巣の者たちは違った。

 彼らは、森の奥で獣を狩るために、弩を日常の道具として使いこなしていた。

「大弓より重いが、獲物を仕留めるにはこれが一番よ。」

 そう言って笑う男の動きには、無駄がなかった。

 さらに将門を驚かせたのは、「飛礫(とびつぶて)」――強化した投石紐で石を放つ武器であった。その石は、武士の兜を割り、鎧の上からでも骨を砕くほどの威力を持つ。

「石はどこにでもある。矢より安く、矢より速い。」

 国巣の若者は誇らしげに言ったが、それは決して誇張ではなかった。

 将門は、彼らの狩りを間近で見て、その正確さと破壊力に息を呑んだ。

(……これは、戦に使える)

 国巣の者たちの狩猟具──弩(いしゆみ)と飛礫(とびつぶて)。

 将門は、それらを戦に用いる新たな形を思い描いていた。

 遠方からは大弓と黒騎馬の騎射で敵の戦意を削ぎ、黒騎馬が突撃して敵陣を乱す。その乱れた軍勢に、中距離からの弩の一斉射、高所から降り注ぐ飛礫。鎌輪の地形と合わせれば、大軍を相手にしても互角以上に戦える。

 ――それどころか、これは大軍を殲滅する、いや、皆殺しにする戦法であった。

 将門の胸に、静かだが確かな殺意が芽生えていた。

(……これならば、大軍相手でも互角以上に戦える。)

 将門は、彼らの「牙」と「爪」を使う、新たな戦の可能性を見ていた。

 ――その可能性は、やがて“反撃の刃”となって実現することになる。


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