星崩れの前夜
服織宿――。
良兼が黙して座しているだけで、異様な空気が満ちていた。
頬はげっそりと削げ、灼熱の夏日に照らし出された肌は土気色に乾いている。ただ眼だけが、ぎらぎらと異様な光を湛えていた。
その顔は、もはや生気ある人のものとは思えなかった。
まるで底なしの闇に魂を売り渡し、その代償として、人ならざる力を得た者のようであった。
筑波山の岩窟で呪詛を終えた良兼は、服織宿へ戻るや否や、休む間もなく軍勢の再編に取りかかった。何かに取り憑かれたかのように、兵を選び、武具を集め、隊伍を整え、陣立てを練り直す。
その采配は苛烈で、一切の妥協を許さなかった。
良兼は己の武名も、誇りも、そして残されたすべてを、この一戦に賭していた。
かつて将門に喫した敗北の屈辱が、いまだ消えぬ熾火となって良兼の腹の底で燃え続けていたのである。
「此度こそ将門を討つ。もはや、二度と奴に後れは取らぬ」
その鬼気迫る姿にあるのは、ただ「将門を討つ」という執念のみであった。
そして、その傍らには、土器の壺を、まるで乳飲み子でもあやすかのように、大事そうに抱きかかえている源護がいた。
源護の眼もまた、以前のそれではなかった。
筑波山の岩窟。闇と護摩の炎に包まれた夜。そこで生まれた何かが、いまも壺の中で息づいている。何かが蠢き、時折「ぴちり」と音を立てる。
そのたびに源護は、愛しそうに壺をのぞき込んでいた。
二人を遠巻きに見つめながら、貞盛はすでに言葉を失っていた。
つい先日まで見慣れていた肉親の面影が、今はどちらにも見出せなかった。
まさか、良兼と源護の姿をした、”別のもの”が、そこにいるのではないか。
「我は……恐ろしい……」
得体の知れぬ恐怖が、じわりじわりと、貞盛の心を静かに蝕んでいった。
一方、その頃――。
豊田営所を発した将門の身にもまた、異変が現れはじめていた。
脚のむくみ。わずかに歩いただけで襲ってくる息切れ。胸の奥で不意に脈打つ激しい動悸。時には立ち上がっただけで、ふっと視界が揺らぐことさえあった。
――疲労だけではない。
身体の奥底に、得体の知れぬ何かが巣食い、少しずつ自分の生気を啜っている。そんな不気味な感覚があった。
将門の脳裏に、ふいに滝姫の言葉が甦った。
(……あのとき、言っていた。『影が我を蝕む』、と)
日に日に重くなる身体。
そして、何かが狂い始めているような感覚。
――星観の巫女が垣間見た、“運命の歪み”。
その影は、誰にも気づかれぬまま、ゆっくりと将門の身体へ、そして心へと忍び寄りはじめていた。




