夜を裂く赤龍
上総国・武射
――浪切不動院
堂内は深い静寂に沈み、沈香の煙と灯明の光が、不動明王の御姿を荘厳に浮かび上がらせている。灯明の揺れる薄明かりの下、平良兼は緋縅の大鎧を脱ぎ、具足と狩衣を解き、その御前に跪いた。
良兼は、深く頭を垂れ、低く、地鳴りのような声で祈りを捧げた。
「我に不動明王の加護を与え給え。――我が一門の誇りと絆を取り戻すため、破軍の星が守護せし小次郎将門を誅殺し、此処に悪因を断たせ給え。」
その瞬間、堂内に並ぶ灯明が、供物の香を揺らすほどに、ふっと震えた。風はない。それでも炎は細く伸び、次いで丸く縮み、黒光りする柱や梁に淡い光の筋を投げかけながら、まるで神仏の気配が静かに通り過ぎたかのように震え続けた。
良兼は、厳かな圧を受け止めながら、ゆっくりと立ち上がった。黒檀の柱に沿って揺れる灯明の光が、その巨躯の輪郭を淡く照らす。壁に伸びた影が、不動明王像の影と静かに重なり合っていく。
「……よい。破軍の星など、この炎で焼き尽くしてくれよう。」
良兼は、緋縅の大鎧を再び纏い、堂の扉へゆっくりと歩み出た。
――成東城(良兼の本拠地)
良兼が祈祷を行った浪切不動院に程近く、高望王から継いだ成東の城塞には、千の兵が集結していた。鉄と革の匂いが夜気に重く滲み、馬の嘶きが断崖を震わせる。
良兼の緋縅の大鎧が、紅蓮の炎の中に大きく浮かび上がる。その姿は、まるで赤龍を背負った巨神のようであった。
良兼が姿を現すと、千の兵が一斉に跪拝した。
良兼は吠えた。
「平小次郎将門を討つ!!」
一斉に上がる鬨の声に、大地は震えた。
「我らは香取神宮より水路を北へ、まず常陸国府に向かう!」
良兼が馬腹を蹴ると、軍勢は一斉に動き出した。
良兼の軍は、香取泊(港)から船団を仕立てて香取海を北上し、まず対岸の石岡、常陸国府へ向かう。
将門の本拠地である下総豊田を最終の標としながらも、常陸国府と下野国府を経由して大きく北へ迂回し、南東へ下り豊田を衝く。
一方、良正と貞盛は真壁郡南部の水守で兵を集め、将門の本拠地に近い常総一帯を牽制しつつ、北西に進み豊田を衝く。豊田に近い常総には、将門と気脈を通じる豪族が多く、北部には坂東平氏一門の味方となる族が多い。
だから、軍勢を二手に分け、敵の本拠を挟撃する――それが今回の軍略の骨格であった。
そして、この迂回には、もう一つの狙いがあった。源護と国香、そして良正……度重なる敗戦によって、高望流平氏の武威と名声は大きく損なわれた。良兼が、わざわざ遠路を迂回して常陸北部の要地を巡ったのは、棟梁である己の威厳を示して一門を慰撫し、道すがら兵站を確保し、国内の坂東平氏の兵を吸収するためでもあった。
――猜疑と虚栄と迷信。それらが絡み合い、この軍略を生んだのである。
いずれにせよ、常陸・下野の両国府を経由することは、朝廷に対する良兼の軍の正当性を示すと同時に、朝廷から将門追討の圧力を強めさせるうえでも有利であった。
そして、この迂回は、期せずして藤原秀郷による常陸国府襲撃を防ぐことにも繋がったのである。




