壬生氏の誤算
常陸国行方郡司・壬生成宗は、かつて、常陸介・藤原維幾とその子・為憲の命を受け、国豊と玄明の討伐を任された国府の実力者であったが、国豊暗殺に失敗して以来、成宗は国府に顔を出すこともなく、自領に籠り、機を窺っていた。
当初、成宗には揺るぎない勝算があった。
常陸国内には、桓武平氏の祖・高望王(平高望)を中心とした姻戚の網が張り巡らされ、その与党は国中に根を張っていた。高望王の娘婿である常陸介・藤原維幾は、平国香とは義兄弟の間柄にあり、国府の権力を背景にした典型的な軍事貴族である。
壬生成宗は、この維幾一門との姻戚関係を基盤としていたため、信太浮島の一族など、ひとたび兵を挙げれば容易く討ち滅ぼせる――そう、高を括っていた。
しかし情勢は、その思惑を裏切った。
平高望の三男・良将の嫡子――平将門の台頭である。
源護と平真樹の境界争いに端を発した紛争で、調停に訪れた将門を、源護の子・扶ら三兄弟が待ち伏せして襲撃したが、逆に将門に追撃され、三人とも討ち死にした。将門はその勢いのまま伯父・国香をも追撃し、真壁郡石田の館を焼き払い、国香を討ち取った。
源護の娘婿である水守の良正も、報復のため川曲で将門と戦ったが、多くの兵を失い、惨敗して逃げ帰った。
成宗は、歯噛みした。
「……平将門め。まったく目障りな男が現れた。あやつが動いたために常陸の手駒が我の思うが儘にならぬ」
だが、同時に成宗は悟っていた。
「今、常陸国は“空白”だ。源護も、国香も、良正も倒れ、維幾一門も動揺している。この機を逃せば、信太浮島は二度と手に入らぬ」
しかし、成宗には軍と呼べる兵力がない。
(ならば――常陸の外から援軍を呼び込めばよい)
ゆえに、成宗は新たな「武の柱」を求めた。成宗が白羽の矢を立てたのは、“下野の怪物”と恐れられる男であった。
――田原藤太……藤原秀郷。
しかし秀郷は、ただの豪族の一人ではない。
秀郷の一族は、父祖の代から、貴族の看板と在地勢力を巧みに融合しながら広大な開墾地を私領とし、多くの下人・郎党を養った。やがて、断崖絶壁に囲まれた唐沢山の頂に砦を築き、そこを根城として、下野国内にとどまらず、上野・常陸にも越境して村々を荒らし回り、周辺豪族を次々と屈服させた。
朝廷は五か国(下野・上野・常陸・下総・武蔵)に追討の官符を発したが、秀郷の私兵集団は追討官符をものともせず、「下野の怪物」と恐れられた。
常陸の地は、いまや主柱を失い、風の向きすら定まらぬ“空白”の国と化していた。
壬生成宗は、その空白を埋めるために、この“怪物”に密かに使者を走らせたのである。




