怨火、此処に断たる
「源護、この期に及んで、我を騙し討たんと図るとは。」
野本での勝利を得た将門は、凍てつく風を切り裂きながら馬を返し、石田の館へ向かった。
「――怨火の根、断つべし。」
その声は冬の風のように静かで、しかし揺るぎなかった。
石田館に着くと、一族郎党はすでに逃げ散り、館は真冬の空気にさらされ、もぬけの殻となっていた。だが、東の屋形、燃え始めた梁の下に、ただ一人、黒い影が揺れていた。
――平国香であった。
「……来たか、小次郎……いや、将門よ。」
薄暗い梁の下、炎に照らされた国香は、冬の闇のような眼で将門を睨みつけた。
「叔父上、何故このようなことに……」
将門は馬上から、館の奥に向かって静かに言った。
「将門よ、汝の才は認めよう。しかし、同時に、汝は一門にとって危険な存在……平氏一門の異分子。」
――国香は笑った。
「我は、高望王の嫡男でありながら、この業病に故に、このような醜悪な姿となった。」
それは怨と嫉妬と屈辱が混じり合った、居た堪れない苦さであった。
「鎮守将軍を賜り、高望流の棟梁として期待した良将は早世した。我らは一門を託すべき男を失った――だが、それは汝ではない。無位無官で出戻ってきた無能に、一門を託すことなど許さぬ。」
梁が崩れ、火の粉が舞う。冬の冷気と炎の熱が入り混じり、空気が歪む。火焔が国香の背後で爆ぜた。焔が梁を舐め、火勢はいよいよ増していく。
――耐え難い熱風の中で、国香の脳裏には遠い日の記憶が次々と甦った。
「同じ母腹の弟らが、大夫となり、官職を賜ることが妬ましくも、羨ましかった。この葦原と湖沼しかない辺鄙な地に捨て置かれた、この我の悔しさーー汝には分かるまい。」
――黒煙が館全体を覆い、冬空へ黒い塊となって昇っていく。
「何を求めた人生であったのか……。」
――炎が爆ぜ、人の胴より太い梁が轟音とともに崩れ落ちる。火焔が国香の背後で轟音を立てた。梁が崩れ、火の粉が舞い、火焔が国香の身体を包み、視界が赤く染まる。
――その瞬間、国香の胸に、ふと奇妙な静けさが訪れた。
「否……、我は『国香王』として生きたかっただけかも知れぬ。」
火焔の中で国香は、再び将門の姿を見つけ叫んだ。
「我が甥、将門よ。汝は、この国香王の狂気の被害者のひとりに過ぎぬ!」
しかし、将門がその言葉を聞くことは無かった。
やがて、国香の意識は、火焔の揺らめきの中に静かに溶けていった。
紅蓮の火が冬の夜空を赤く染め、石田館は黒煙と轟音とともに崩れ落ちた。梁が倒れ、柱が折れ、瓦が砕け、炎が爆ぜ、すべてを呑み込んだ。国香の姿は、燃え盛る火焔の中に沈んだ。
――将門は目を閉じた。
怨火は、ここに断たれた。炎がすべてを呑み尽くしたあと、焼け落ちた館の跡に、冬の風が通り過ぎていく。
やがて火は静まり、白い冬の煙だけが空へ昇った。
そこには、もう誰の声も、誰の影も、なかった。




