風、怨火を裂く
凍てつく空気の中、馬の嘶きと蹄の音が鋭く響く。
石田館の前には、将門軍が整然と並んだ。黒漆の鎧は陽光に際立ち、槍先は白い光を返して一斉に輝いた。馬の吐息は白く、革紐がそのたびに微かに震える。
将門は馬上から源護を見下ろした。その眼には、若さの熱と、義を果たす覚悟が宿っていた。
「――源護殿。」
将門の声は静かだったが、冬の谷に響く雷鳴のようであった。
「大国玉との争い、もはや双方の怨に堕ちた。このままでは、双方が死地へと向かうこととなろう。」
源護は震える声で答えた。
「し、しかし堰は、古くから我らのもの……、我が所領を犯すことを許せば……」
将門は首を振った。
「堰一つ、山一つに目くじらを立てて民の交流を許さず、剰え互いに血を流し、民を失うところに“義(なすべき正しいこと)”はあるのであろうか。」
その言に、源護は言葉を失った。
将門は続けた。
「源護殿、堰の修繕のために大国玉の民が御山に立ち入ったとて、源殿にいかなる損があると言うのか。一時争いを止め、双方の民のために、大国玉殿と語ろう時ではないか――。」
その声は、冬の風が怨火を吹き払うようであった。源護は、その威圧と気迫に押され、ただ頷くしかなかった。
だが、この場での当主との対面は、嵐の前の静けさにすぎなかった。源護の三人の息子は、すでに別の意図を胸に秘め動いていたのである。
将門は調停の成功を信じ、豊田営所へ向けて凱旋の途についた。馬に水を与え、凍える空気の中で息を整えながらゆっくりと進む。やがて、常陸と下総の国境にある野本の細道へ差しかかった。谷筋を渡る冬風は冷たく湿り、どこか血の匂いを含んでいるようでもあった。道は狭く、両側には冬枯れの雑木林が迫り、昼なお暗い。馬蹄が凍った落ち葉を踏む音が、妙に大きく響いた。
将門は馬上で、ふと風の流れが変わったのを感じた。
(……風が止んだ。)
その瞬間――、林の奥から、怒号が裂けた。
「者ども出でよ! 将門を疾く討て!」
矢が雨のように降り注ぎ、槍を構えた源氏の郎党たちが、左右の林から一斉に飛び出してきた。源護の三人の息子、扶・隆・繁が率いる伏兵である。
――そして、その背後には、平国香の影があった。伏兵の中に紛れた国香は、木陰から将門を睨みつけていた。その眼は、冬の闇よりも濃い怨念で濁っていた。
長兄・源扶が叫ぶ。
「狙え、将門を討て!我ら源氏が受けた屈辱を晴らすのだ!」
その声は、国香の怨念に煽られた炎のようであった。
将門軍の前衛が一瞬、陣形を乱した。馬が嘶き、兵が槍を構え直す。矢が黒漆の鎧に弾かれ、冬木立に突き刺さり、凍った地面に落ちては震えた。
将門は馬上で太刀を抜き、声を張り上げた。
「怯むな! 我に矢は通じぬ、後に続け!」
その声は、冬の谷を震わせる雷鳴のようであった。
将門は馬を躍らせ、源扶の隊へ突進した。栗毛の名馬が凍った地を蹴り、黒漆の大鎧が冬陽を弾く。星兜の鍬形が閃き、その姿はまるで疾風の影のようであった。降り注ぐ矢は、不思議と将門に掠りもしない。
源扶が槍を突き出す。将門は太刀で槍を弾き飛ばし、馬の勢いのまま扶の肩口を斬り裂いた。
「ぐあッ……!」
扶は落馬し、雪混じりの地に転がった。
弟の隆と繁が叫び、兄を守ろうと将門へ突進する。だが、将門軍の精鋭騎馬が左右から挟み込み、源氏の兵を押し潰した。馬蹄が凍土を叩き、槍が閃き、血が白い地面に吸い込まれる。谷は瞬く間に敵の血で染まり、至る所に黒ずんだ血溜りが広がった。
国香は木陰からその光景を見つめ、歯噛みした。
――なぜだ。なぜ奴は倒れぬ。将門の太刀は怨火を断つ風のように冴え、源氏の兵は次々と倒れていく。
源隆が倒れ、源繁も膝をついた。
国香は、己の策が崩れゆくのを悟った。国香は、敗走する兵に紛れ、冬の影のように姿を消した。




