怨火の胎動
その頃、真壁郡・石田館では、源護の親子が慌ただしく一族郎党を集めていた。外は真冬の風が唸り、庭の池には薄氷が張り、裏手の竹林は凍てついた音を立てて揺れている。
――平将門が、武装して此の石田館に向かっている。
その報せが届いた瞬間、源護の一族郎党は蒼白になった。
源護自身も、胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。
「な、何だと……将門が此処へ向かっているだと。」
「はっ……大国玉殿を助勢し、我らと調停するためとのこと。……その供なる者、百を超える黒一色の騎馬武者とか。」
家臣が震える声で答えた。
吐く息は白く、肩は小刻みに震えている。
源護の顔色が変わった。
――将門を侮っていた。
だが、その名声はすでに坂東に響き始めている。
冬の冷気よりも鋭い恐怖が、源護の胸を刺した。
(あの豎子(若造)が……百騎の軍馬だと……。)
家臣たちは口々に叫んだ。
「騎馬百騎だと……!」
「迎え撃つなど、とても……!」
「いや、兵を集めて迎え撃つべきか……!」
「将門殿に弁明を……!」
その声は、凍てつく館の空気に吸い込まれるように震えていた。
その時、館の奥から、ゆっくりと一人の男が姿を現した。
平国香――。高望王の嫡男、平将門にとっては伯父にあたる。
源護の娘婿として、この広大な石田館の東に屋形を構えていた。
黒ずんだ直垂をまとい、その頭部は白い頭巾で深く覆われていた。
幼い頃より業病を患った国香は、露出した指は節々が歪み、顔面も病に蝕まれていた。
この頃には病が悪化し、人前では常に頭から頭巾を被り顔を隠していたのである。
それでも頭巾の奥から覗く双眸だけは異様なほど鋭く、その瞳には、血縁の情よりも深い嫉妬と怨念が宿っていた。
冬の低い陽光を受け、その痩せた身体の影は地面に長く伸びる。
「岳父殿――将門は調停などのために来るのではない。」
国香は静かに、しかし毒を含んだ声で言った。頭巾の奥から漏れるその声は、まるで長年、胸の底に澱んだ怨嗟が形を得たかのように冷たかった。
「将門は、坂東を我が物にするつもりよ。このままでは我が甥の野望に呑まれるぞ。」
源護は息を呑んだ。
「……では、どうすればよい。」
国香は口元に薄い笑みを浮かべた。その笑みは、冬の闇よりも冷たかった。
「簡単なことよ。待ち伏せして誅殺してしまえば、何の憂いも無くなる。――野本が良いであろう。あそこは道が狭く、林が深い。冬は霜で地が締まり、馬も足を取られぬ。」
その言葉に、源護の三人の子――扶・隆・繁が身を乗り出した。
「叔父上、我らに合力して頂けますか。」
国香は頷いた。
「勿論だ。将門を此処で討ち滅ぼすが一門のためよ。」
その眼には、血を断ち切るほどの怨念が宿っていた。
源護は、国香の言葉に呑まれて言った。
「よし……汝らで野本に兵を集めよ。将門を必ずや討て。」
「おう!」
三兄弟は勢いよく立ち上がり、凍てつく外気の中へ飛び出していった。
国香はその背を見送りながら、低く呟いた。
「将門よ……汝の命運は、此処で尽きるのだ。」
その声は、冬の館の闇に沈み、まるで霜柱が砕けるような冷たさを帯びていた。
三兄弟が去ると、国香はふと遠い目をした。
……忘れ去りたい過去の記憶、しかし決して消えぬ情念が甦る。
父・高望王の相続の折、上総国は二男・良兼が、下総国は三男・良将が継いだ。
しかし父は、長兄である国香には、常陸の私営田の一部を与えただけだった。
――その悔しさは、国香の胸に今も焼き付いている。この忌々しい業病を患ったが故に、弟たちのように“大夫”と呼ばれる貴族の位階を賜る機会にも、遂に恵まれることはなかった。
――我は疎まれたのだ。国香の胸には、血縁への憎悪という炎が、静かに燃え続けている。その炎は赤ではなく、冬の空気のように蒼く冷たい。
良将が早世したとき、国香の胸には黒い愉悦がよぎった。岳父・源護らと共謀し、隣接する下総の水運と馬牧の利権を手に入れた。――これで下総の利は、我が物となった!
だが、その期待は裏切られた。
帰郷した将門に、咎められ、執拗に追及された。
「叔父上、それは道理に合わぬことだ」
あの時の将門の眼――あの気味の悪い重瞳は、我の心を見透かし、侮蔑する眼だ。
さらに悪いことに、京の忠平卿から横やりが入り、将門が良将の正式な相続人とされた。国香は、将門を贔屓して自分から財と利を召し上げた忠平卿をも憎んだ。
これによって、一度は手にした下総の利権、すべてを失った。
当初は、咎めもしなかった良兼でさえ、兄である国香を見下すような言を吐いた。
「兄上は病身ゆえ、卿に逆らってまで利が欲しい、というわけでもあるまい。早々に貞盛に家督を譲り、悠々自適に過ごされたら良いのではないか。――欲深にも“程”というものがあろう」
嫉妬と憎悪が、平国香という男をここまで駆り立てた。
この怨念が、甥たちに密業を唆す「言霊」となり、やがて自滅へと誘う「呪」となったのである。




