影民の路
国豊は成家・兼遠を従え、村々の巡視を強めた。
近隣土豪の襲撃を退けたのちも、信太の地には、どこか刺すような緊張が残っていた。
だが信太は、国豊にとってなお、“地図にもならぬ土地”だった。山影の落ち方も、谷の深さも、村々を結ぶ細道の曲がり方さえ、まだ身体に染みついていない。
――知らぬ土地は、守りようがない。
その思いが、国豊を歩かせた。
朝から幾つもの村を巡り、焼け跡の匂いを嗅ぎ、怯える民の声に耳を傾けながら、土地の起伏を一つひとつ確かめていく。
巡察を終えるころには、空はすでに闇に沈み、道の先は黒々とした影に溶けていた。
その闇の向こうには、国豊の知る地図にも、国府の定める秩序にも属さぬ者たちが息を潜めていた。
その夜、巡視を終えて帰路をたどっていると、遠くから馬の蹄が不規則に響いてきた。官馬の整った拍子とは違う。湿った夜気を震わせるような、荒々しい音。
国豊は足を止めた。成家と兼遠も、自然と弓を持ち替え、手を太刀に添える。
やがて闇の奥で影が揺れ、革の腹巻に荒布をまとい、顔を紺の布で覆った一団が姿を現した。短く太い脚の坂東馬を自在に操る様が、彼らがただ者ではないことを物語っていた。一瞥をくれただけで、その影たちは、夜の闇に溶けるように去っていった。
成家が低く囁く。
「……負名です」
国豊は眉を寄せた。
「国府の荷運びを生業としながら武装を解かぬ者どもです」
国豊は、胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。
「国府の荷を運ぶ民が、なぜあのような姿を」
成家は苦しげに続ける。
「はじめは自衛のためでした。ですが、今では荷を奪い合うこともあるようです。この頃は、飢えに沈む民を見かねて国府の苛烈な取り立てに抗い、租税の運搬を妨げる者までおります」
国豊の胸に、重い怒りが沈んだ。
その矛先は、負名ではなく、むしろ国司・維幾の苛政に向けられていた。
それから数日後、信太北方の村が野盗に襲われた。家々は焼け、童子は攫われ、冬の糧と種籾が奪われた。
国豊は郎党を率いて急ぎ向かったが、道すがら、野盗の屍が点々と転がっていた。
矢に射抜かれた者、斬られた者――。
成家が言う。
「賊を、別の集団が討ったのでしょう。荷の奪い合いかと……」
貧しさが生む、暴力の連鎖。
悪しき種を刈り取る者は、どこにもいない。
国豊は、奪われた童子と米穀の行方を追った。
村に着いた国豊は、焼け跡の前で泣き崩れる母親に寄り添い、攫われた童子の行方を尋ねた。
――やがて、村の外れで見つかった七つほどの童子が、国豊の前へ連れてこられた。
泥にまみれ、足は傷だらけだった。
「どうした。無理に話さずともよい」
国豊が膝を折ると、童子は唇を震わせながら語り始めた。
「……野盗に連れていかれた。『お前も武器を取れ。殺せ』と言われて……できなければ、お前も殺すと……」
童子は涙をこぼしながら続けた。
「けれど……湿地の細道に入ったとき、どこからか矢が飛んできて、野盗が次々に倒れた」
国豊は息を呑んだ。
「矢が……?」
童子は大きく頷いた。
「馬に乗った別の男たちが横から駆けてきて、野盗を散らして……荷を奪うと、すぐ林の奥へ消えた。顔を布で隠していて……まるで影みたいだった」
成家が小声で言う。
「……負名でしょう」
童子は続けた。
「その人たちの頭が、『お前は賊の仲間か』と聞いてきた。違うと言ったら、『村へ帰してやる』と……ここまで連れてきてくれた」
国豊はしばし言葉を失った。
野盗を討ちながら、奪った荷をすべては返さない。賊とも義民とも呼び切れぬ者たちの姿に、国豊は疑念を深めた。それでも、童子を生かして村へ返した事実だけは、胸の内に小さな光として残った。




