初戦
国豊が巡る村々は凶作に沈み、枯れた田の前に立ち尽くす者が増え、人の心の潤いまでも失われていった。
国豊は、常陸国の掾(判官)として飢饉の救済策を講じ、秩序を取り戻そうとしていた。同時に、信太浮島の棟梁として、自領の民の暮らしを守る責務も負っていた。
その最中、若い棟梁の願いとは裏腹に、近隣の土豪が連合して、収穫物と農奴を奪うために信太の村々へ迫った。
「国豊さま、敵勢、間もなく湿原を越えます。」
兼遠の声は落ち着いていたが、目の奥には緊張が宿っている。その背後で郎党たちが武具を整える鉄の音が鈍く響き、国豊の胸をざわつかせた。
京での役目は市中の巡察や儀式の警護が中心で、武士同士が命を賭してぶつかる戦を、国豊はまだ知らなかった。
敵勢が湿原の向こうに姿を見せたとき、兼遠は、国豊の横顔をそっと盗み見た。
「……数は雑でも、列は崩れておらぬ。」
国豊は、荒星の上から、敵の隊列を見て息を呑んだ。
粗末な武具の者が多い。だが、その目には切迫した覚悟があった。坂東で人が争う理由は、名誉でも格式でもない。ただ生きるために必要な土地と収穫物だった。
「国豊さま、息だけを見失われるな。」
兼遠の声に、国豊はわずかに頷き、愛馬・荒星の手綱を強く握りしめた。
(それでいい。怖さを知る者は、無用な血を流さぬ。)
戦が始まると、敵は散開し、地形を熟知した動きで浮島の兵を揺さぶる。
「国豊さま、下がられよ。若君を討たせれば、安広殿に顔向けできませぬ!」
兼遠が叫び、成家が国豊の馬を押し戻す。
成家は、国豊の背後を守りながら、ずっと胸の奥にざらついた不安を抱えていた。
(国豊さまは、京の空気を吸って育った方だ。坂東の土の匂いを知らぬ)
国豊はすぐに自分の甘さを思い知らされた。
書物にかじりついて学んだ陣形や合図は、この湿地では思うように役に立たない。
矢が飛び交い、土煙が視界を曇らせる。敵も味方も声を張り上げ、混乱の中で馬がいななき、人が倒れていく。
(これが……戦か。)
鼓動が早まり、視界が狭まった。周囲の声は遠のき、国豊は恐怖と混乱の中で手綱を握りしめた。
国豊は、自分が“守られる側”であることに気づき、悔しさで喉が焼けるようだった。
その迷いが、荒星の動きを遅らせ、湿地に足を取られた荒星が揺れた。
「若君、右です! 成家が背を守ります。前だけを見てくだされ!」
敵の包囲に飲まれかけた瞬間、成家の叫びが響いた。
混乱の中、荒星が大きく嘶き、敵の動きを察して身を翻した。
その瞬間、敵勢の奥に、指示を飛ばす男の姿が見えた。
(あやつが、首領か)
その一瞬、国豊の瞳に初めて決意が宿った。
馬の背が揺れを吸い、視界が一点に収束する。
国豊は、震える手で弓を引き、矢を放つ。
放たれた矢が、敵の動きを止めた――その一瞬の乱れを、浮島衆は見逃さなかった。
一気に押し込み、敵は崩れた。
勝ったという実感よりも、ただ「生き延びた」という安堵が、国豊の胸を満たした。
だが、捕らえた敵兵の顔を見たとき、国豊は言葉を失った。
飢えた農奴、没落した土豪の子、家族を人質に取られた者――彼らは、国豊が守ろうとした民と何も変わらない。
兼遠が静かに言った。
「若君、あの者らも生きるために矢を取りました。されど、我らは若君の民を守るために戦わねばなりませぬ。」
国豊は重く頷いた。
この初陣を境に、国豊は坂東で見過ごせない存在となった。だが、争いの影は、これからも幾度となく彼の前に立ちはだかる。




