浮島の棟梁
荒々しい祭祀の余韻が残る夜の水郷で――振り返ると、兼遠が立っていた。長い髪を風に揺らし、欠けた指の右手で酒杯を弄びながら、薄く笑った。
「東国の神々は、優雅な舞など望まぬ。荒ぶる魂を捧げるのだ」
祭場では、男たちが雄叫びを上げ、弓を天へ放ち、馬を狂ったように走らせている。京で育った国豊には、あまりに野蛮で、あまりに生々しい光景であった。だが、その荒々しさの奥に、この地の者たちが抱える“生きるための祈り”があることを、国豊はまだ知らなかった。
「驚くだけでは、この祭事は済まぬぞ」
兼遠が顎で示した先では、荒武者たちが円陣を組み、的を立てていた。
「若君様に、大弓を引いてもらおうじゃねえか!」
「雅の弓が、東国で通じるか見ものだ!」
「魔を払うだけじゃ足りねえ、坂東では大猪を射殺せねばな!」
「外したら、酒樽の一つでも空けてもらうぞ!」
京の弓は“美しい”。だが、東国の弓は“生きるための武器”である。
国豊は物部の大弓を受け取り、的の前に立った。嘲笑と歓声が入り混じり、荒武者たちの視線が突き刺さる。兼遠に叩き込まれた日々が、背中を支えていた。
静かに息を吸い、弦を引く。――放つ。
矢は一直線に飛び、的の中心を貫いた。
一瞬、祭りの喧騒が遠ざかった。
国豊は弓を下ろし、兼遠の方を見た。
兼遠は腕を組み、わずかに口の端を上げた。
「……悪くない」
安広が豪快に笑った。
「見たか! これが我が孫よ!」
その瞬間から、荒武者たちの国豊を見る目は変わった。
「兼遠の馬を乗りこなし、星を射抜く腕前とは……」
「坂東武者じゃ。信太浮島の棟梁じゃ」
「物部の棟梁、国豊様!」
荒ぶる祭祀の炎の中で、国豊の胸に静かに火が灯った。
「――我はここで生きる」
その決意は、東国の夜風よりも強く、呪の炎よりも熱かった。
祭祀の夜が更け、火の粉が闇に溶けていく頃、国豊は一人、館の縁側に座っていた。
遠くで荒武者たちの笑い声が響く。その音は、どこか潮騒のように、国豊の胸に寄せては返した。ふと、馬場の方へ目を向けると、そこに一人の若武者が、挑むような表情を浮かべて立っていた。
物部の祭祀が終わり、数日が経った。
この日、兼遠の姿は馬場にはなかった。だが、その代わりに、まるで風が形を得たような若武者が立っていた。肩幅が広く、目はまっすぐで、その眼光には、小次郎将門を思わせる気迫があった。
国豊は、胸の奥で何かが静かに動くのを感じた。
若武者は国豊に歩み寄り、無遠慮に言った。
「御曹司が、物部の大弓で星を射抜いたってか?」
国豊は静かに頷いた。
「……其方は? 祭りの日、こちらを見ていたか」
若武者は胸を張った。
「我は物部の郎党、信太成家。今一度若様の弓が見たくてな」
その声音には、若さゆえの直情と、この地の風土が育てた剛さがあった。
国豊は眉を上げた。
「やはり、我を試すか」
成家はにやりと笑った。
「試すのはお互い様よ。まずは……我は馬、若君は弓で勝負だ」
その挑発に、国豊の胸が熱くなった。
――小次郎さまと初めて出会ったときも、こんな気持ちだった。
馬場に二人が並ぶと、荒武者たちが集まってきた。
成家は荒馬に軽々と飛び乗り、馬を走らせながら叫んだ。
「御曹司! その弓で俺の馬を止めてみろ!」
成家の馬は速い。砂煙を上げ、風を切る。
国豊は弓を構えた。深く息を吸い、心で射る感覚を思い出す。
――放つ。
成家は目を見開き、やがて笑った。
矢は成家の馬の前、わずか数寸の地面に深々と突き刺さっていた。
馬が驚いて止まり、成家は見事に手綱を立て直した。
国豊は、一礼する成家に言った。
「我は、この地で名を刻む。東国の風に恥じぬ武者になる」
成家は力強く頷いた。
「なればこそ。我らがその道を開く手伝いを致しましょう」
その言葉は、荒ぶる坂東の風の中に、ひとつの縁が静かに結ばれた瞬間であった。




