唐沢山の凶星
しかし、その眸の奥に宿る狂気の焔は、微塵も消えていない。律令を犯して流罪を言い渡されてもなお捕縛を免れた秀郷は、鹿島氏・鳥取氏ら姻族の助けを得て、平然と下野国へ戻った。
遁走を続ける秀郷は、やがて下野国唐沢山に目を付けた。標高およそ二五〇メートル、深い渓谷と断崖、赤松の林に囲まれた天然の要害である。山頂から南の平野と北関東の街道を一望でき、軍事と流通の両面から一帯を制するには格好の地であった。
秀郷は唐沢山に砦を築き、官の追及を逃れる根城とした。蝦夷の血脈より生まれし者――国法を無視する坂東の荒くれ者のもとへ、食い詰めた農民や手負いの流れ者が続々と集う。秀郷は彼らを束ね、官軍すら手に負えぬ強兵へ育て上げた。
堅固な唐沢山砦を根城に振るわれる蛮勇は、もはや群盗・凶賊の首領そのものだった。力を誇示することに魂を売った秀郷は、獲物を求めて牙を研ぎ、さらなる血湧き肉躍る戦いを待ち望んだ。
やがて秀郷は、高貴な血筋と鹿島氏・鳥取氏ら姻戚の武力を背景に、坂東有数の軍閥の棟梁となった。朝廷が追討官符を発しても捕縛できず、もはや官すら迂闊に手出しできぬ存在であった。
坂東北部一帯を荒らし回る秀郷一派に業を煮やした下野国府は、秀郷の数々の「乱行の廉」による官符を朝廷に求め、延長七年(九二九年)、ついに近隣五か国に秀郷追討の命(太政官符)が下った。
坂東の秩序を揺るがす賊として、秀郷の名は朝廷の公文書に刻まれることとなった。
五か国から集った千の追討軍が、秀郷の首を狙って四方から押し寄せる。
その頃、国豊はまだ京にいた。だが、藤原秀郷討伐の官符が東国五か国に下ったと聞いた瞬間、胸の奥に静かな波紋が広がった。
藤原秀郷――あの男を、私は知っている。
かつて秀郷は“田原藤太”を名乗り、寄食として忠平邸に出入りしていた。国豊が殿上童として清涼殿に上がっていた頃、邸内で鉢合わせたこともある。蝦夷の血を濃く宿す鬼子のごとき容貌。無骨で礼を弁えず、同族の国豊を“豎子”と蔑み、亡き母まで侮辱した男――。
――その時の苦さが甦った。
そんな時、国豊の傍らにあって護ってくれたのは、小次郎将門であった。
「国豊は、俺が守ると決めたのさ」
そう言って、秀郷を追い払った将門が眩しく、頼もしかった。
国豊は、今でも将門のことを兄と思い、慕い続けている。
国豊は、過去の記憶が錯綜する中、眉を顰めた。
「……あの男が、坂東に盤踞して悪事を重ねているのか。確かあの時、流罪を言い渡されて逃亡中だと聞いたが……。まさか、朝敵となり軍勢を率いているとは驚きだ」
嫌悪と警戒が、胸の奥で静かに蘇る。
追討官符に記された秀郷の名を見た瞬間、国豊は、ただならぬ時代の気配を感じた。
その頃、坂東では秀郷が官軍と激突していた。
「五か国の国衙の兵が? 面白い――片端から肉塊にしてくれるわ」
力任せの正面衝突しか知らぬ秀郷は、緒戦では官軍の物量に押され、手痛い損害を重ねた。しかし、この男は敗北の痛みすら凶悪な快楽として呑み込んだ。官軍を唐沢山へ誘い込み、山道で退路を断って巨石を落とす。夜陰に兵糧庫を襲って火を放ち、飢えと恐怖で乱れた兵を、狩人のように一人ずつ仕留めた。まるで山賊か野盗のごとき戦い方である。――だが、戦いを重ねるごとに、秀郷の兵は鍛え抜かれ、強兵へと育っていった。秀郷自身も敵の心理を読み、その裏をかいて絶望させる「戦術」を、実戦の中で学んだ。
官軍は秀郷の軍略に翻弄された。戦えば敗れ、追えば逃げられ、そのたびに士気を削られていく。大軍を向ければ、秀郷は風のように消えた。遁走しながら神出鬼没に役所を襲い、炎に包まれる村々を遠くから満足げに眺める。官軍は、もはや秀郷の影を追うことすら叶わなかった。
「国衙兵の脆さよ。この俺が踏みつぶせば、灰すら残らぬ」
藤原秀郷は、この時すでに坂東の地において、一つの“武家の象徴”となっていた。




