門出の曙
国豊七歳の春。宇治木幡荘の庭には薄く霧が漂い、山桜の花びらが静かに散っていた。香を焚きしめた女の髪は、長く黒く、艶やかに頬へ流れている。女は簾を上げ、薄紅梅の小袿の裾を控えめに引きながら童子の前で膝を折った。その子の小袖の襟を整える指先は、幾度も震えた。目には今にも涙が溢れそうだった。
だが、彼女は唇を噛み、涙をこぼすまいと必死に耐えた。この朝、夕霧は、愛しい者を手放す女の痛みを纏っていた。
夕霧――女は、京で名を知られた遊女であった。儚く、美しく、触れれば消えてしまいそうなその名は、彼女の運命そのものを象徴しているかのようであった。
遊女は、各地を放浪しながら歌や舞を神前に奉納する聖なる巫女の集団を祖とする、といわれる。平安中期には、女性の長者に率いられ、主に京都と西国を結ぶ水上交通の要所を拠点として芸能の披露を生業とした集団に属した。
当時の人々からは、高度な教養と熟達した芸を兼ね備えた神聖な存在と見られていた。貴人が旅の宿泊地や別荘などで催す宴に招かれ、そこで一夜を共にする縁が生まれ、愛人として囲われたり、側室となったりすることもあったという。
夕霧の美貌と舞の所作は、誰もが息を呑むほどであった。
貴族の女房たちの麗しさとはどこか異なる、儚く、妖しい光を帯びた女性、夕霧は、幼い頃、「伊都」と呼ばれていた。常陸国・浮島の地に土着した物部一族の末裔、浮島太郎安広の娘である。
物部氏は、かつて朝廷の祭祀と軍事を担った大豪族であったが、蘇我氏との政争に敗れ、その後、歴史の影へと沈んでいった。浮島の物部氏もかつての威勢を失っていたが、古代から伝わる祭祀や呪法とともに、その血と誇りが絶えることはなかった。
とある酒宴の席で、当時、蔵人として堂上にいた藤原仲正は、初めて目にした夕霧の舞に、一瞬で心を奪われた。所作の端々に宿る古い家の気品、歌声に滲む神事の響き、目の奥に湛えた誇りと孤独……。やがて二人は結ばれ、夕霧は子を身ごもった。
しかしそれは、嫡妻を迎えてもいない若い仲正が、遊女に求めたことではなかった。元服を迎えてまだ間もない仲正は、「庶子を京の屋敷には置けぬ」と、冷たく言った。
そんな母子のもとへ、突然、降って湧いたような慶事が舞い込んだ。国豊が「殿上童」(てんじょうわらわ)に推挙されたという。
童殿上は、皇族や高位の貴族の子弟の中でも選ばれた者だけが務めることができる。主上がおわします清涼殿に参内し、御身近くで雑事を手伝い、宮中の儀式の場にも立ち会うのだから、もちろん聡明でなければならない。童子の未来は約束されたようなものだ。
忠平は、自らがそうであったように、国豊にも同じ道を授けた。
しかし、夕霧の声は、春の霧のようにかすかに震えている。
「……もう、ここには戻れぬかもしれぬ」
国豊は幼いながらも、その言葉の重さと苦さを理解していた。小さな手で母の袖を握りしめ、とうとう涙をこぼす。やがて、そっとその袖を離すと、もう振り返らなかった。胸に抱いた「水楓」を、ただ固く握りしめた。
やがて、忠平の屋敷から迎えの牛車が現れた。夕霧は、遠くから深く頭を下げた。
「この子を、どうか……どうか……」
薄紅の山桜は、春の風にほろほろと散り、母の肩先へ静かに降り積もっていった。




