堂上に冷ゆる血
国豊は武官として内裏の警護、帝の護衛、行幸の供奉に従う身となった。だが国豊の願いは、官途の栄達にはなかった。殿上の華やぎに身を置くほど、彼の目は、そこから遠ざけられた者たちへ向かった。
国豊が武官の道を選んだのは、実父である仲正のような人間になりたくなかったからである。仲正のような人間を反面教師として生きるという国豊自身の決意の表れであり、同時に、仲正への“面当て”でもあった。
――国豊は知っていた。
父・仲正がそうであるように、人は、出世や栄達に固執するあまり、しばしば大切な何かを見失う。権謀術数の渦巻く宮中に身を置けば、心はいつしか濁り、己の中の“義”はいつしか摩耗する。いつか自分も誰かを平気で切り捨てる側に回るかもしれない――その怖れが、国豊の胸の奥で、炭櫃の灰のように消えずに燻っていた。
実父の藤原仲正は、冷徹な男であった。それは、情を知らないという意味ではない。むしろ情を、「政の邪魔になるもの」として切り捨てることができる、平安貴族特有の合理と打算を備えた男であった。
蔵人として長く宮中に仕え、主上の御側に侍ることで信認を得、光孝天皇の皇子・源友貞の娘を北の方(正妻)に迎え、さらに中納言・橘澄清の娘を娶ることで姻戚の後ろ盾を固めた。やがて、仲正は堂上の階を上り、「大夫」たる地位を得て「五位蔵人少将」と称されるようになった。仲正にとって、公卿――貴族の最上位まで駆け上るために必要なものは、主上の寵愛、体面、血統であり、忌避すべきは、主上の不興を買うこと、衆目の前での失態、そして“情に溺れる弱さ”であった。
夕霧は、過去の人生の“足跡”、“痕跡”に過ぎなかった。若気の至りで孕ませた遊女、その腹から生まれた庶子を認知することは、高貴な北の方の家格を傷つけ、自らの政治的立場を揺るがす危険すら孕んでいた。
仲正は夕霧を都から離れた宇治へ追いやり、視界から消し、世間から忘れさせようとした。初めての子であった国豊を疎んじ、我が子と認めないことも同じ理由である。それは残酷ではあるが、仲正にとっては「高位を目指す家の政」であり、彼はその判断を一度も悔やまなかった。
仲正は、国豊を捨て置いたのではなく、切り捨てた。
その冷徹さは、国豊の胸に深い影を落とした。
国豊の選択は、若さゆえの権威への反抗ではなく、胸の奥で静かに育ててきた理と、「母を護りたい」という願いの結晶だった。
小次郎は、そんな国豊の官途の選択を笑った。
「損して得が獲れると良いがな。」
だが国豊は、「今は損にも見える弓馬の道が、いずれ義を貫く力となる」ということを深く理解していた。
幼い頃から追いかけてきた小次郎将門の背中。剛弓を引き、俊馬を駆る、この坂東の若武者こそ、未来を切り拓く「力」の象徴であり、その生き様は「義」を体現する道であると映った。だからこそ、国豊は弓馬を友とする道を選んだ。
国豊の「義」は、仲正の冷徹さがもたらした反作用として芽生えたのかも知れない。国豊の胸に宿る父への感情は、もはや単なる不仲ではない。その感情は義の光に照らされ、確実に――敵意と憎悪へと昇華しつつあった。




