黒騎馬の饗宴、魔人の贄
石井営所では兵が民を避難させ、老人や女たちは利根川を渡って木間ヶ瀬へ逃れていた。
やがて王城は閑散となり、人の気配は消え、木枯らしが道端の土埃を舞い上げた。
戦闘準備は整った。男たちは、後顧の憂いなく戦いに専念することができる。
「出陣――!」
将門は咆哮し、九曜紋と月星紋の黒旗を掲げて出撃した。
一方、秀郷を総大将とする連合軍は、慣れない行軍に、歩みを鈍らせた。
下総国川口村は進軍路上の要衝で、湿地に囲まれた小集落だった。葦原は深く、湖沼や泥地が点在する。
そこへ、物見の兵から急報が入った。
「将門の黒騎馬二百余騎が先行、その後方に本隊三百余。真っ直ぐ、我が軍へ向かっております」
秀郷は、大きく右手を掲げ、全軍停止を命じた。
この戦では、秀郷の策が勝り、将門は兵を集める暇すらなかった。
三千対五百――数では秀郷、地勢と突破力では将門。戦の帰趨は、静かに揺れ始めていた。
秀郷にとって、それはこのうえない愉悦であった。
「悪党たる俺が、正義を気取る将門を討つ。これほど愉快なことがあるか。その偽善の仮面、俺が剥ぎ取り、欺瞞の偶像ごと屠ってやる」
「弑す――それが俺の理だ」
そう呟きながら、弟たちが率いる騎馬隊を小高い丘陵に配備させた。
片や、副将格の貞盛の胸の内には、保身と上昇志向が生んだ歪な野心だけが渦巻いていた。
「将門を討てば――これまでの恥辱も雪がれよう。桓武平氏高望流の嫡流として、堂上に咲く道も開ける。無様でもよい。官位と富さえ手に入れば、それでよい」
貞盛は、そう考えながら、屈強な俘囚の兵を湿原に展開させた。
「都で栄達し、富と権力を握る――それこそが、私の理だ」
――冬の湿原で、秀郷・貞盛の三千と、将門の五百が激突した。
だが、周辺の湿原は、地形を知る将門軍にとっては格好の追撃地であった。
先陣の五郎将為率いる黒騎馬は、丘陵の騎兵を無視し、俘囚の大軍へ突撃した。寡兵の将門軍は黒い閃光となって襲い掛かった。
黒騎馬の大弓は飛距離が長く、騎射も精確だった。俘囚の短弓が届かない距離から放たれた矢は、次々と敵兵の急所を射抜いた。
俘囚の陣は、瞬く間に中央から破られた。
近づく者は黒馬に踏み潰され、瘴気に当てられた者は立つこともできず、首を落とされた。
俘囚の軍勢の多くは緒戦から戦意を失い、恐怖で腰が退け、手は震え、膝が鳴った。
一方、丘陵に控えた秀郷の弟たちの騎兵は、黒騎馬の想定外の動きに肩透かしを食らい、茫然としていた。
――将門は、その間隙を縫って手勢を率いて秀郷の本陣目掛けて疾駆した。
将門は自ら陣頭に立ち、敵軍を怯ませた。星神の影を纏った禍々しい異形が露わとなる。
重瞳の眸が蠢き、七尺を超える巨躯は黒曜の鱗鎧に覆われ、背後で影が揺れていた。
将門が跨る巨大な黒馬の双眸には紅蓮の炎が燃え盛り、口からは瘴気を吐き、その嘶きは雷鳴のようであった。
強弓の矢は闇を纏い、敵陣に黒い光跡を描いた。一度に何人も串刺しにし、断末魔が湿原に響く。
箙の矢が尽きると、将門は腰から太刀を抜いた。隕鉄を鍛え上げた魔剣が鈍く輝き、一閃で騎馬武者を馬ごと二つに斬り裂いた。
将門は、まるで、逃げ惑う罪人を殲滅する冥府の鬼神のようであった。
星神の呪力によって痛覚を除かれ、瘴気を纏った鉄身野伏となった兵が、将門に追従する。
丘陵には鮮血が飛び散り、陣幕は赤く染まった。胴を離れた首が野に晒され、千切られた手足が湿原に散乱する。
敵兵は悟った。
「これは、人の世の戦ではない。怨火を宿した魔神の饗宴――我らは、その贄だ」
敵陣は、緒戦にして総崩れとなった。




