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北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
覇道の綻び

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北方の軍靴、静寂を破る

 その頃、将門は王国の礎を固める暇もなく、坂東の治安回復と諸国の平定に追われていた。黒騎馬は、坂東の民にとって「黒い護り手」であった。悪事を企てる者がいれば、夜の闇を裂いて黒い影が駆け、翌朝にはその者の姿はどこにも見えなかった。

 民は安堵し、賊徒は震え、遠方の地にも秩序が戻りつつあった。


 いずれ朝廷は、大軍を送ってくる。雪深いこの季節、東山道を進むのは困難である。ゆえに征討軍は東海道を下り、伊豆・相模を経て、坂東へ攻め寄せるであろう。将門はそう見ていた。

 寡兵で大軍を迎え撃つには、伊豆・箱根の峠で足を止めるほかに策はなかった。相模に将文、伊豆に将武を配したのは、この事態を予期しての布陣であった。

 参議・藤原忠文卿が征東大将軍に任じられ、将門追討の軍が西より起こる――その報は、坂東一円に緊張を走らせた。

 しかし、各地の黒騎馬をすぐに呼び戻すことはできなかった。

 辺境の治安を維持し、西からの征討軍に備えるため、部隊をその地に留めねばならなかったのである。安房・相模・伊豆・武蔵・上総へ兵を分けた結果、石井営所の守りは薄くなり、将門の手元には大軍を迎え撃つだけの兵力が残っていなかった。

 さらに、常陸介・藤原玄茂も精鋭を率い、常陸の海道沿いの平定へ向かっていた。

 将門は、北方から白河関を越えて大軍が押し寄せるとは想定していなかった。

 差し迫った脅威は、上総・安房・相模、そして箱根・伊豆に跋扈する賊徒であり、その平定こそ急務と考えていたからである。西と南へ目を向けるうち、北方への備えは手薄になっていた。


 農繁期を控え、豪族や伴類からは兵を帰すよう要請が寄せられていた。

 将門は五千の軍勢を解き、兵を故郷へ帰した。

 石井営所に戻った将門のもとに残ったのは、下総守・将為(相馬五郎)の黒騎馬百余騎と近習、家人――合わせて、わずか五百余騎であった。


 坂東政権の中枢は、兵力を欠いたまま敵を迎えようとしていた。


 その瞬間を狙い澄ましたかのように、北方から四千の大軍が迫っていた。

 下野国の北部。冬の名残を留める風が吹き抜ける荒野で、貞盛は馬を止めた。

 俘囚の兵が整然と並び、秀郷の兵がその後方に控えていた。四千の軍勢は、ひとつの巨大な生き物のように息を潜めていた。

 かつて朝廷軍を苦しめた蝦夷の戦士たち。その戦いぶりはなお荒々しかった。

 貞盛が率いる俘囚二千に、合流した秀郷の兵二千。合わせて四千の大軍であった。

 軍勢が再び進み始めると、大地を踏み鳴らす音が低く連なり、坂東の静寂を揺るがした。

 石井営所にいる将門の耳にも、その低い響きは届いていた。だが、将門はまだ、その正体を知らなかった。


 貞盛は目を閉じ、静かに呟いた。

「将門。汝の新しき王国は、北より迫る兵馬の響きによって終わる」

 その声は風に溶けて消えた。


 そして――

 坂東の静寂は破られた。

 石井営所と連合軍との隔たりは、戦の足音とともに刻一刻と縮まっていた。


 将門と貞盛・秀郷――双方は、最後の戦いへ向かいつつあった。



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