星闇、不動の焔
寛朝に覚悟が宿る。
――来る。その気配は、風よりも早く、深い闇の底から静かに滲み出してきた。
寛朝は、絶え間なく護摩の五穀や香薬を火中に投じる。火炎は青白く爆ぜ、濃厚な霊煙を上げる。この煙が空気中に拡散する霊的な地場に、やがて星神の幻視が顕れた。
周囲の空気は凍りつき、光さえ歪む。
輪郭は常に揺らぎ、形を定めない。
星神は、漆黒の虚空を纏う巨大な影のようであった。その影は、赤黒い焔のように凝縮し、天空に漂う星雲のように拡がる。その奥底は星々が明滅する天の深淵――無限の闇に繋がっているようであった。
その頂には、青白い光を放つ「七曜(北斗七星)の冠」 が浮かび、あたかも七本の光の角のように輝いている。冠がゆっくりと回転するたびに、天変地異を呼ぶ瘴気が地上へ降り注いだ。
その下には“顔”のようなものがあり、その中央には金色に燃え盛る巨大な一つ目(一星一眸) が開いている。明けの明星か、北辰か――その輝きは凄絶で、見つめれば心が砕けるようであった。寛朝が霊視した星神は、混沌そのもの であった。
しかし寛朝は、すでに三味の境地にあり微動だにしない。
寛朝が静謐の中で問う。
「……お前が、星神か。」
影は答えず、ただ近づいてくる。
そして――星神は、いつの間にか護摩壇のすぐ向こうに“立っていた”。いや、立っているのかどうかすら分からない。ただ、夜空そのものが人の形を模したような影が、寛朝を見下ろしていた。
寛朝は護摩壇の炎に手をかざし、大日如来と不動明王の光を胸に呼び覚ます。
「……大日如来よ。この闇を照らす光を、我に。」
寛朝は右手の五鈷杵を天に突き上げた。その瞬間、護摩の炎が形を変え、不動明王が背負う伝説の火の鳥――迦楼羅の姿となって黒霧へ向かって飛翔した。橙の迦楼羅炎が高く燃え上がり、星神の影とぶつかり合った。
瞬間――炎は紫に変わった。群青に染まり、冷たく揺れ、寛朝の背筋に、氷の刃が走る。
寛朝は震える指を組み、不動明王の真言を唱えた。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン……!」
護摩壇の炎が再び橙に戻り、寛朝の背後に、不動明王の影が立ち上がる。星神の影と、不動の光が、静かに、しかし確実にぶつかり合った。
寛朝は目を開き、護摩壇の炎を見つめた。漆黒の霧と真紅の炎が激突する境界では、稲妻が奔り、周囲の木々は一瞬で消炭となった。その衝撃は何度も吹き荒れ、天地を裂くような轟音が続いた。
光と闇。秩序と混沌。祈りと怨み。――寛朝は悟った。神々との戦いに敗れた星神の復讐である。神の復讐が、現世に投影されて形を成している。そして、その中心に立つのは、破軍の星御子――平小次郎将門。
「ならば、私は光を掲げよう。この星の闇を、再び常世へ沈めるために。」
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン…
――ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン…」
寛朝は真言を唱え、炎を掲げた。炎が轟き、星神の影が揺らいだ。
現世の乱を鎮圧するためには、星神の復讐を潰さねばならない。
「――ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
だが、日が落ちるにつれ、星神の穢れが僧侶たちを襲った。幻聴が耳を裂き、鼻と耳から血を垂らし、次々と倒れていく。護摩壇の炎は弱まり、星神の闇がそれを呑み込もうとした。
それでも不動明王呪は止むことが無く、呪術戦は、深夜まで及び最高潮に達した。寛朝は、左手の金剛鈴を激しく打ち鳴らした。その音は、空間の歪みを強引に引き裂く“霊的な雷”となった。
「――ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
護摩の炎が消えかけたその刹那、寛朝の霊魂が覚醒した。寛朝の肉体は不動明王の焔を纏い、眩い光を放ち始めた。寛朝の背後に、不動明王の巨大な幻影が幾重にも重なって顕現する。
明王の右手の三鈷剣が一閃――空を覆う黒霧を十文字に切り裂いた。不動明王の利剣の光に射抜かれた星神の眼は、裂け目の奥で激しく明滅し、苦悶の地鳴りとともに北の空へ退いていった。
その瞬間、空には美しい星空が戻り、初日の攻防は、寛朝側の辛勝で幕を閉じた。
初日の激突を経て、将門は確信した。
「公津が原にいる僧侶を殺さねば、己の命が危うい」
星神の怒りはさらに膨れ上がり、これまでにない苛烈な猛攻を仕掛けることとなる。




