星神の託宣
貞盛と秀郷を追って北へ向かう行軍の夜、雪原は常世へ続くかのようであった。白く沈む大地に夜の帳が下り、凍てついた静寂だけが横たわっていた。
将門は陣幕の外に立ち、ひとり北天を仰いだ。北辰を囲む星々は、無数の眼となって将門を見つめていた。その中心には、人智の及ばぬ何かが座している。その気配が、凍てつく夜気を通して迫ってきた。
そのとき、胸の奥底で、あの影が呼びかけた。
「……まさかど」
声ではない。
だが、言霊が脳髄に直接触れるように、確かに心へ届いた。
天津甕星――天より降り、坂東の地に古くから宿る星神の影。
将門が決断を迫られるたび、いつもその背後に立っていた存在である。
だが今夜の囁きは、より深く、より強く、何かを求める響きを帯びていた。
「……まさかど……民はお前を選んだ。お前を求め、その名を呼ぶ」
将門は眉をひそめた。
「我はただ、民を、坂東を守るために戦うのみである」
星神の影は、静かに笑ったように感じられた。
「戦の後を見よ。荒れた田畑に民だけを残してよいはずがなかろう。民を治め、導く者こそ、王たる器よ」
その言葉は、胸の奥に鋭く刺さった。
「王」――宴の座で自ら口にした名が、今は禁忌の重さを帯びて胸に返ってきた。
「我は朝廷の臣。主上に弓引くつもりはない」
星神は、さらに深い闇の底から囁いた。
「……まさかど。ならば聞け。我が『王』を求める理由――その始源を」
星神の声が、将門の意識に太古の光景を流し込んだ。
――天地がいまだ定まらぬころ。光と闇の名も、海と空の境も、おぼろげであった時代。高天原の神々は、地上を天津神の治める地と定めた。だが、その定めに背き、国津神の旗印として立つ二柱の神があった。
一柱は、荒ぶる水郷にて、迫り来る天の支配に抗い続けた反逆の星神・天津甕星。その身は星の火を宿し、夜空を裂いて降り立った「堕ちた星」であった。
もう一柱は、出雲の地にて兄の国譲りを承服せず、最後まで天の軍勢に抗った大国主の子・建御名方。その腕は山を砕き、湖を揺らすほどの力を持つ武神であった。
天の軍勢が現れたとき、雷鳴が天地を裂き、海は逆巻き、山々は震えた。建御名方は最後の一矢を放ち、天の軍勢を退けんとしたが、ついに諏訪の地へと封じられた。そのとき武神・建御名方は、盟友・天津甕星に向かって言った。
「汝がおるゆえ、我は心置きなく封じられよう。民を導き、治める星の神よ――後のことは託したぞ」
その言葉は、天地の狭間に響き渡った。
だが、思いを託された天津甕星もまた、天の支配に抗い続けたがゆえに、坂東の水郷の底深くへ沈められた。星神の光は封じられ、その魂は長い眠りについた。
――だが、時は巡る。
坂東を染めた夥しい血と、積み重なった屍とが贄となり、封じられた星の魂は再び息を吹き返した。水郷の底で、星の火が灯った。その光は、天をも焦がすほどの烈しさを帯びていた。
「その光が、今、お前を見据えているのだ……まさかど」
将門は息を呑んだ。胸の奥で、何かが決定的に変わった。
星神の声は、さらに深く響いた。
「天はすでに、お前を選んでいる」
その瞬間、北辰がひときわ強く輝いた。まるで天が将門の名を呼んだかのように。
「――坂東の王、か」
その言葉を口にした瞬間、星神の影が背に寄り添った。
「恐れるな。これは天意であり、民の願いである。汝が王となり、民を統べよ。さもなくば、我が汝を器として甦り、民を導くこととなろう」
将門はゆっくりと目を閉じた。もはや、ひとりではなかった。背後には星神が立ち、前方には坂東の未来が広がっていた。
「ならば、進むほかはない。この身が選ばれたというのなら」
目を開くと、星々は静かに瞬いていた。その光は、将門の歩むべき道を照らしているかのようであった。
こうして、宴の座で宣した「王」の名は、星神の託宣を受け、将門の胸に深く刻まれた。
星神とのこの契りは、まだ誰にも語られていなかった。
だが、星神の影は確かに囁いた。
「……まさかど……汝に、坂東を統べる王の務めを託す」
翌朝、将門が愛馬の腹を軽く蹴ると、黒騎馬隊が動き出した。
将門の影が、雪原に長く伸びた。




