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北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
王影、覚醒の刻

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坂東の声、将門に集う

 ――将門が常陸国府と対立するに至るまでには、坂東各地の争いを調停してきた積み重ねがあった。この時代、朝廷から派遣された国司のうち、国務を担う受領は、己の富を蓄えるため独自の基準で徴税を行うようになり、在地の開拓領主との間に激しい争いを引き起こすこともあった。

 新任の受領は、強欲を露わにし、威光を振りかざし、格式を誇示し、在来の慣習など無視した検注や徴税を強行した。

 一方、坂東の在来豪族たちは、

「坂東では、これまでの慣習や仕来(しきた)りを尊重すべし」

 と反発し、両者はしばしば武力を伴う衝突に至った。

 そのたびに、豪族たちは将門のもとへ使者を送り、調停を求めた。

 将門は、争う両者を前に座し、静かに言葉を発した。

「坂東は、坂東の民の地。互いに血を流しては、誰も得をせぬ」

 その言葉は、坂東八国に広く響き渡り、将門の名声と信望は、いっそう高まっていった。


 天慶二年(九三九年)二月。

 新たに赴任した武蔵権守・興(おき)世(よ)王(おう)と、武蔵介・源経基が、足立郡司・武蔵武芝と激しく対立していた。事の発端は、興世王らが従来の慣例を無視し、武芝の管轄する田畑へ不当に立ち入って検注を強行したことであった。しかも、検注と称して民の米穀を略奪したという。

「これは、国司の権限を逸脱しておる!」

 武芝の怒りは頂点に達し、両者は一触即発となった。

 事態を聞いた将門は、すぐに武蔵へ向かった。

「興世王殿、武芝殿。この争い、ここで収めねばならぬ」

 将門は両者を座に着かせ、調停を試みた。

 興世王は、将門の威光を恐れて従う姿勢を見せたが、

 ――問題は、源経基であった。

 略奪した米穀を返そうとせず、そのまま居直った。

「これは検注に伴う正当な徴収である。返すなど、もってのほか」

 その傲慢な態度に、武芝の兵たちが激昂した。

「許せぬ! 逃すな!」

 瞬く間に、武芝勢が源経基の陣営を包囲した。

 驚いた経基は、夜陰に紛れて逃亡し、そのまま京へ上ってしまった。

 京に逃げ帰った源経基は、自らの不正が露見することを恐れ、逆に将門・興世王・武芝の三名を「謀叛の徒」と訴えた。

「将門は坂東を私し、興世王と武芝を抱き込み、朝廷に背こうとしております!」

 太政大臣・藤原忠平卿は、困惑の色を浮かべながらも、

 事の真偽を確かめるため、使者を東国へ派遣した。

 将門は報を聞き、深く息を吐いた。

(……経基め。己の悪事を隠すために、我らを謀叛人に仕立てるか)

 将門はすぐに行動した。

 常陸・下総・下野・武蔵・上野の五か国の国府に調書の作成を依頼し、「謀叛は事実無根」との証明書を添えて、上申書を京へ送った。

 その内容は、源経基の不正を余すところなく暴くものであった。

 朝廷はこれを受け、源経基を誣告(ぶこく)の罪で罰することとし、逆に将門を叙位任官して、坂東の私戦を抑える役目を与えようと議した。

 坂東の秩序を保つ者――将門は、朝廷からもその役割を期待される存在となったのである。

 事態収拾のため、朝廷は百済王貞連を新たな受領(守)として武蔵へ派遣した。

 興世王の妻と百済王貞連の妻は姉妹であり、両者は義兄弟の間柄であった。

 しかし、その近しさこそが、かえって災いとなった。

 貞連は、

「身内であるが故にこそ許し難し」

 と言わんばかりに、興世王の不手際と強欲を厳しく責め立て、国庁の会議にも列席させなかった。興世王は日を追うごとに国庁での立場を失い、ついには国庁に姿を見せることすら叶わなくなった。

 やがて両者の不和は決定的となり、興世王は職務を放擲(ほうてき)して任地を離れ、落ち延びるように将門のもとへ赴いた。

「将門殿……どうか、この身をお救いくだされ……」

 その声には、かつて国司として振るった威儀も誇りもなく、ただ追われる者の哀しみと疲弊だけが滲んでいた。

 将門は、静かに興世王を迎え入れた。

 ――興世王は、将門の側近として仕えることとなった。

(……この地を統べる者が、必要だ)

 将門の左眼には、政(まつりごと)への覚悟と欲求が宿り始めていた。

 坂東の乱れは深く、国司さえも将門を最後の拠り所とする様相を呈していた。


 同じ頃、奥州では、馬・金・鉄などの資源を支配層が掌握し、民への収奪を強めていた。そのため各地で俘囚や有力豪族らの蜂起や争乱が相次ぎ、治安は悪化し、国土の荒廃も進む一方であった。奥州統治の再建は、朝廷にとって喫緊の課題となっていた。

 無位無官ながら、坂東で武威と声望を高めた将門に、東国の安定を担わせるべきだとの意見は、朝議でも重ねて取り上げられた。

 しかし、公卿の多くは、無位無官の将門を直ちに登用することに慎重であり、この議は容易に決しなかった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、平良文であった。良文は、かつて醍醐天皇の勅命を受けて、相模の盗賊討伐で大きな功を立て、将門方を支援しながらも、積極的に身内の争いに介入していなかった。朝廷は、高望王の五男、良文に従五位上・陸奥守を授け、奥州に派遣することを決めた。

 天慶二年(九三九年)四月。

 良文は重ねて鎮守府将軍にも任じられ、蝦夷の乱を鎮圧した。そのまま鎮守府の胆沢城に留まり、北辺に目を配りながら、坂東の動乱を静かに見据えていた。


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