御簾奥の孤独
春の夕影が、清涼殿の北廂を淡く染めていた。御簾を透かす光は金の糸のように揺れ、その下で、ひとりの皇女が静かに座していた。
だがその瞳には、少女らしい無邪気さよりも、長い祈りの歳月が刻んだ陰が宿っていた。
傅く女房たちは皆、皇女を敬い、慈しんだ。
「姫宮さまは、まことにお美しくなられました。」
そう言われるたび、皇女は微笑みを返しながら胸の奥でそっと呟いた。
「わたくしの、この虚しさを知る人は、どこにいるのだろう」
皇女は幼い頃から教えられてきた。
「涙は祈りの内に沈めよ。心は御簾の奥に隠して生きよ。」
その言葉は、誉れではなく、“見えない枷”となって彼女の胸を締めつけた。
庭を駆けることも、同年代の少女と笑い合うことも許されない。
彼女の世界は、祈りと儀式と沈黙でできていた。
―― 十四歳
成人の儀である“着裳”を控えたこの年、
皇女はいずれ――、斎王となり生涯を神事に捧げる巫女となるか、あるいは、いずれかの貴人に降嫁するか、自身で決めることのできない運命を憂いていた。
「わたくしは……どこへ流されていくのだろう。」
その不安は、夜の静けさの中で大きく膨らんだ。
皇女の未来は、自分のものではない。すべてが政治や制度によって縛られ、“決められる側”であった。
皇女には母を同じくする姉君がいる。しかし、その姉君は僅か四歳にして、斎王卜定に従い賀茂神社の斎院(巫女)となった。その時から平安京の北にある紫野御所にお住まいを移され、皇女は、姉君とは一度もお会いすることはなかった。
更衣であった母君は、主上の格別な御寵愛を受けて三人の御子を成したものの、三年前を境にこの世を去った。
夜、寝所でひとりになると、皇女は胸の奥が痺り付くようであった。
「母君の温もりを、わたくしは一つとして覚えていない……」
その思いは、誰にも言えぬ秘密だった。
乳母の妙子は、皇女が三歳の頃から育ててきた。夜泣きのたびに抱きしめ、背を撫で、熱を出せば一晩中手を握っていた。母君を求めて泣き叫ぶ皇女を、その手で抱きしめながらも、「母親ではない自分」に苦しんだ夜。
だが――、皇女が六つを過ぎた頃から、宮中のしきたりは妙子に告げた。皇女が成長するにつれ、妙子は“母の代わり”であることを許されなくなり、ただ“仕える者”として距離を置かねばならなくなった。
「姫宮さまは、もう泣いてはならぬお立場です。」
その日から、皇女は妙子の胸で泣くことをやめた。
妙子は、皇女の涙を奪ったのは自分ではなく“宮中”であることを知りながら、それでも胸が裂けるような思いを抱えていた。
(母君の温もりを知らぬまま、大人になってしまった・・・)
その事実が、妙子の胸を締めつけた。




