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北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
殿上童

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霜夜の若灯

 夜明け前、忠平の屋敷の庭は、凍てつく静けさに包まれていた。白砂は霜をまとい、深く張り出した軒から落ちる雫は、凍りつく寸前の重さでぽたり、ぽたりと音を刻む。国豊はその音に背を押されるように目を覚ました。

 浅葱(あさぎ)(ごく薄い青色)の袴を整え、白い単衣の襟を正し、総髪を結び直す。冬の冷気で指先は悴(かじか)んでいたが、国豊は、幼い灯が自ら燃えようとするように黙って身支度を進めた。

 廊を歩くと、女房たちが炭櫃(すびつ)を囲みながら支度をしていた。

「まあ、若君様は、今日もお早いこと」

「寒いでしょうに、ほんにしっかりしておられるね」

 国豊は恥ずかしそうに会釈し、頬を赤らめた。その姿は、霜夜(しもよ)にほのかに揺れる灯のように、まだ小さいが確かな温もりを宿していた。


 清涼殿に着くころ、空は白み始めていた。

 冬の宮中は、夏のために開放的に造られた寝殿造りゆえ、ほとんど屋外のように冷える。白木の柱は冷たく、御簾(みす)の向こうから漂う沈香(じんこう)の香りも、どこか硬く澄んでいた。

 殿上の間には衣擦れの音が満ち、国豊の最初の役目である灯火(とうか)の準備が始まる。油を注ぎ、灯芯を整え、火を入れると、小さな炎がふっと揺れた。その炎は、まるで国豊自身のように、寒さの中で微かに息づいていた。

「上手になったねえ」

 年配の女官(にょうかん)が微笑む。国豊はまた耳朶まで赤くした。

 主上の御前に供する湯水の支度も、殿上童の大切な務めだ。冬は湯の温度がすぐに下がるため、国豊は何度も手を添えて確かめる。

 ある朝、主上が軽く咳をした。国豊はすぐに気づき、湯の温度を少し上げて差し出した。

「まあ……気が利く小舎人(こどねり)だこと」

「忠平さまが目をかけるわけだわ」

 女房たちの囁きが、国豊の背にそっと温かさを落とした。


 午前の儀式が終わると、国豊は学問所へ向かう。和歌、漢詩、書道、礼法、そして笛や琴の稽古。筆を持つ手は小さいが、線はまっすぐで迷いがない。

 礼法の稽古では、師匠が驚くほど早く所作を覚えた。

「若君は筋がよい。将来が楽しみだ」

 国豊は深く頭を下げた。その胸の奥で、小さな灯がひとつ、またひとつと強さを増していくようだった。

 午後になると、国豊は再び清涼殿へ戻り、取次や雑務に宮中を走り回る。童殿上は文字通り「走る」のが仕事だ。文を運び、湯水を整え、時には皇女のもとへ文を届けることもあった。

「坊よ、今日もありがとう」

 御簾の奥から皇女が声を掛けると、国豊は驚き、畏れながらも、その温もりに胸がじんとした。宮中の冷たさの中で、こうした優しさは、灯を守る風除けのように感じられた。

 夕刻、主上の御膳の給仕を終えるころには、国豊の足は棒のようになっていた。それでも姿勢を崩さず、器の向きを揃え、主上が手を伸ばしやすい位置に置く。

「丁寧な小舎人だ」

 殿上人の一人が呟いた。国豊は聞こえぬふりをしたが、胸の奥が熱くなった。


 そして宿直の夜――冬の宮中は、昼よりもさらに厳しい。殿上の間の板敷は冷え切り、息を吐けば白くなる。国豊は筵(むしろ)を敷き、その上に自分の衣を重ねて寝床とした。温石(おんじゃく)を懐に忍ばせても、寒さは容赦なく体に染みた。

 それでも国豊は、眠る前に必ず母のことを思い出す。――宇治の木幡の別邸、朝霧、母の手の温もり。

「負けぬように」

 小さく呟き、衣を肩まで引き寄せた。

 その姿は、霜夜に息づく若い灯そのものだった。


 その夜、廊の陰から忠平がそっと国豊を見ていた。

 筵にくるまり、寒さに耐えながら眠る小さな背中。

「……よう励んでおる」

 忠平は目を細めた。

 人の見ていないところで努力する子こそ、本物だ。この若灯(わかび)は、きっと大きく燃え上がる――忠平の胸には、静かな誇りと期待が満ちていた。

 そのとき、清涼殿の屋根の向こう、冬空の雲がわずかに裂け、細い月光が廊下に差し込んだ。冷たい光は、眠る国豊の頬を淡く照らし、その影は、先ほどよりもわずかに長く伸びていた。

 忠平はその影を見つめ、静かに息をついた。

「影が伸びるは、灯明(とうみょう)が強くなる兆(きざし)か……」

 古くから宮中に伝わる言葉が、ふと胸に浮かんだ。


 霜夜の冷気はなお厳しい。だが、その只中で、小さな灯は確かに息づき、明日へ向けてわずかに燃え盛る兆しを示していた。



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