↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北辰の冥影 ~将門炎舞記~  作者: 浮島太郎
宿命、冬空に揺らぐ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
102/162

唐沢山の密議

 唐沢山――藤原秀郷の本拠である。

 夜の闇に沈む無骨な砦の奥には、黒い渦のように思惑が蠢いていた。

 貞盛の疲れ切った身体はようやく休まる場所を得たが、その心はざわめきを抑えられないままであった。

 恐怖、憎悪、怨恨、そして未練――それらが胸の内に入り乱れ、己を見失いそうであった。ここに集う男たちは、その危うさを見抜いていた。

「貞盛殿、よう来られた。其方が来るのを待っていたぞ」

 藤原秀郷は、焚火の光に照らされた双眸(そうぼう)を細め、柔らかな笑みを浮かべた。身内を迎える温もりを装いながら、その眼の奥には、灯の届かぬ澱みのような冷たさが沈んでいた。

「父君のことは誠に残念であった……我が姉君は息災か?」

 秀郷は、親族を気遣うように声をかけた。

 貞盛は静かに頷いた。

「叔父上、長らくご無沙汰をしておりながら……このような形でお頼り申すとは……面目次第もございませぬ」

 その声には、疲労と後悔と、そして深い孤独が滲んでいた。

 秀郷の声は、親しげだった。

「大変な目に遭うたようじゃ。しばらくは羽を休めるがよい」

 優しい言葉。だが、そこに情はない。

 秀郷は続けた。

「壬生氏よ、久方ぶりだな。目障りだった良兼も、ようやく武射に退いた。汝らとの約束もようやく時宜を得たようじゃ。そこに常陸の棟梁の来訪とは吉祥よ」

 壬生氏の兄弟もまた、貞盛の心の隙を見逃すまいと、目を光らせていた。

 秀郷が成宗と義宗に目で合図を送ると、二人はわずかに頷いた。

 成宗が口火を切った。

「まあ、貞盛様……ここまで来られたのも、すべては縁にございます」

 柔らかな声音の奥には、蜘蛛の糸のような粘りが潜んでいた。貞盛の心を、気づかぬうちに絡め取ろうとする言葉であった。

 義宗が、静かに、しかし鋭く言葉を継いだ。

「貞盛様は、高望王の嫡流。坂東平氏の正統なる惣領であられる。それを……傍流の良兼や良正、そして将門ごときが、大きな顔をしておる」

 貞盛の肩が震えた。成宗は、その震えを見逃さなかった。

「……悔しくはございませぬか?」

 貞盛は唇を噛んだ。

 秀郷がゆっくりと歩み寄り、焚火の前に座した。

「貞盛殿」

 その声は低く、しかし刃のように鋭かった。

「其方の父、国香殿を討ったのは誰か。其方の望む未来を閉ざしたのは誰か。よもや忘れたわけではなかろう」

 貞盛の眼が揺れた。胸の奥で、父の死、将門への複雑な感情、そして自分が朝敵と名指しされた現実が、重く絡まり合っていた。

 秀郷は、貞盛の心が揺らいだ瞬間を逃さなかった。

「……将門……」

 秀郷は深く頷き、貞盛を見据えた。

「貞盛殿――まだ終わってはおらぬ。其方自身が、終わりを選んでおらぬからじゃ」

 焚火がぱちりと弾けた。貞盛には、胸の内で何かが崩れる音のように聞こえた。秀郷も壬生の兄弟も、その揺らぎを見逃さなかった。求めていた隙が、ようやく開いたのである。

「共に恨みを晴らそうではないか。我が其方を後見し、後ろ盾となろう。将門さえ抑えれば、常陸は其方の手に落ちる」

 その言葉は、貞盛の心の奥に残る未練を、容赦なく抉り出した。

(……将門を討てば、朝廷は我を赦す……堂上への道も、まだ……)

 貞盛の沈黙を、秀郷は肯定と受け取った。

「兵も軍馬も揃っておる。其方は京へ上り、将門の悪事を公卿どもに吹き込むのだ」

 貞盛は俯いた。

 義宗がすかさず言い添えた。

「貞盛様の名は、都にも広く知れ渡っております。若武者としての評判も高かった。憐れみを誘えば、公卿たちも心を寄せましょう」

 義宗は、なおも続けた。

「賄賂(まいない)に必要な金子(きんす)は、秀郷様がいくらでも用意してくださる。人は利に弱い。憐れみと利、この二つをちらつかせれば、都の貴族など、容易(たやす)く頷きましょう」

 言葉の一つ一つが、貞盛を逃れられぬ罠へと導いていた。

 秀郷は、貞盛の眼を覗き込んだ。

「将門にとって最も痛いのは、名声に傷がつくことだ。もし追討官符が発されれば――名声と信望で成り立つ足場は、脆くも崩れ去ろう」

 その眼差しは、心の揺らぎを観察する狩人の眼であった。

 義宗が囁いた。

「将門が動けぬ間に、常陸を蹂躙(じゅうりん)するなど、秀郷殿には容易(たやす)きこと。そのまま常陸一国、貞盛様にお返しするのです」

 成宗が念を押した。

「もともと常陸は高望王の地。その嫡流は貞盛様、貴方様なのです」

 貞盛は、静かに、しかし確実に闇へと傾き始めていた。

 秀郷は最後に言った。

「其方の胸に渦巻く将門への憎しみ、怒り、怨念──それを都で吐き出してくればよい。将門追討の官符を出させるのだ。其方は都で、将門を地に落とせ」

 貞盛の眼に、妖しい光が宿った。

 秀郷の笑みが、焚火の赤に照らされて、わずかに歪んだ。

 成宗と義宗もまた、満足げに頷いた。

(……よい。将門の手枷足枷となり、執拗に絡みつくのだ)

 唐沢山の夜風が吹き抜け、四人の影を揺らした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。