第28話 季節はいつの間にか
幽霊さんの件から、数ヶ月が経った。
あの日を境に、私たちの間には説明しがたい微妙な空気が流れ続けていた。兀斗は眠る日が増え、瑠衣は祓い屋の仕事をセーブして本職に集中。そして私は――相変わらず幽体離脱のまま院内を徘徊する日々。
季節はいつの間にか移り変わり、気づけば次の季節が顔を覗かせている。
……私、このまま四季をひと回り全部、幽霊みたいな半透明の状態で迎えるの? さすがにそれは嫌だなぁ。そんな愚痴を心の中でこぼしつつ、病院の窓から見える山の景色へと目を向ける。なう屋上である。
少し霞んだ稜線が、季節の端境をぼんやりと滲ませていた。
「……」
ふと視線を下へ移すと、中庭で遊ぶ子どもたちが目に入った。
ニット帽を深くかぶった子、半袖半ズボンでクロックスをパタパタ鳴らして走り回る子。彼ら全員の手首には、紙製のリストバンドが巻かれている。それを見た瞬間、胸の奥がきゅっと狭くなった。
「……」
「よお」
がちゃん、とドアの音がして振り返ると、白衣を着込んだ瑠衣と、車椅子に乗った兀斗がこちらへ近づいてきていた。二人とも、あの日よりずっと顔色がいい。体調が持ち直したのが一目で分かる。
……まあ、そりゃそうだよね。数ヶ月経ってるんだし。
私はフェンスに背中を預けながら、少し拗ねた声を出した。
「遅くない? 人を呼んどいて」
「悪いって」
瑠衣は短く答える。冗談を返す余裕はないらしい。数時間前に数時間後に屋上へ来いと呼ばれたのだ。……なんだかややこしい文面だが、まあそういうことだ。
瑠衣が私を屋上へ収集した。まさか兀斗もいるとは思わなかったけど。
「じゃ、全員揃ったな」
瑠衣が私と兀斗に視線を配る。
「少し長くなるかもしれないけど……聞いてくれ」
――僕が調べて分かったことを。
……相変わらずキザですこと。心の中でそう呟きつつ、私は姿勢を正した。
「半年前、お前はこの屋上から飛び降りた。それは間違いないな?」
「うん」
「で、実はその時期にもう一つ、不自然なことがあったんだ」
「不自然?」
「お前が飛び降りてから一週間後に、五〇一号室の患者が急変して亡くなった。五〇一号室――心臓移植を受けた患者さん。つまり幽霊さんだ」
……ほう。
「まあ、心臓移植っていうのはリスクがある。百%成功するとは限らない。実際、その子は術後一度目を覚ましてから昏睡状態に入っていた。だからある程度覚悟はしていた。けどな――」
瑠衣はそこで、ほんの少しだけ声を落とした。
「僕は、ひっかかった。……患者の気が抜けてたんだよ」
私は瞼をぴくりと動かした。兀斗は車椅子のまま、無言で瑠衣を見つめている。
「空っぽだったんだ」
「――つまり?」
私は答えを急かすように口を挟んだ。瑠衣は短く息を吸うと、話題を切り替えるように言った。
「……話は飛ぶが。僕は、お前の飛び降りが誰かに押された説も捨てきれなくてな。院内の防犯カメラを調べたんだ」
「は? 見せてもらえたの?」
「もちろん簡単じゃない。一医者が“見せて?”って言ったところで、はいどうぞ、ってなるわけないだろ」
「じゃあどうやって――」
「え? 僕の美貌で」
「聞くんじゃなかった」
「とにかくだ」
瑠衣は軽く咳払いし、表情を引き締めた。
「僕は、お前が病室から屋上まで行くときに通る道と――」と言って、二人が乗ってきた医療用エレベーターを指差した。「あのエレベーターまでの道の防犯カメラを全部チェックした」
そこで瑠衣は視線を兀斗へ向けた。
「そしたら――映ってたんだよ。お前が。兀斗」
兀斗は、いつもの無表情で瑠衣を見つめ返していた。
冷ややかな目。その奥に何を隠しているのかまるで読み取れない。乾いた赤い唇だけが、妙に静かだった。
「あいつが飛び降りたと推測される時間の数分前、お前が五階の廊下に映ってた。その時は車椅子に乗ってた。だけど、お前は五〇四号室――こいつの部屋を覗いた後、明らかに慌てた様子で廊下を車椅子で走った。そして五〇一号室に入った。……心臓移植の患者がいた部屋だ」
「……」
「その後――どんな姿で出てきたかは、自分でも覚えてるよな?」
兀斗は、沈黙した。
「お前は、自分の足で歩いて出てきたんだ。それでそのまま走って医療用エレベーターに向かった。その脚じゃ満足に歩けるはずがねえ。まして走るなんて、本来できるわけがない。……僕が聞きたいこと、わかるよな? 祓い屋なら、わかるよな?」
兀斗の表情は読めない。動かない。瑠衣の声が、静かに、深く沈んだ。
「お前は……生きてる人の気を奪って、屋上へ向かったんだろ? なあ、そうなんだろ?」
「……」
「その後、お前は何食わぬ顔でエレベーターを使って戻ってきた。――その時間だ。こいつが、屋上から飛び降りたのは」
瑠衣は一歩、前に詰めた。
「…………なあ、兀斗。こっち見ろって」
兀斗は視線を落としたまま動かない。その沈黙が、逆に残酷だった。瑠衣はとうとう兀斗の胸ぐらを掴み、ぐっと引き寄せた。兀斗の細い黒髪がふわりと揺れる。
「お前が、こいつを殺したのか? こいつの背中を押したのか? なあ、なんとか言えよ! 違うなら違うって言えよ!」
瑠衣……。
彼の声は震えていた。怒りだけじゃない。痛みが混じっている。
風の音に紛れるように、小さな声が落ちた。
「……ん」
兀斗のものだった。黒髪の隙間から、兀斗の瞳が見えた。肯定の声は簡単には喉に張り付いて出てこない。代わりに、潤んだ瞳が致命的な事実を静かに認め、謝罪するように伏せられた。
「……ごめん――」
ほんのかすれた声が落ちる。
「ごめん……」
私は思わず足元へ視線を落とす。兀斗の唇が震えた。
「俺のせいなんだ……。俺が――――俺が」
そして、壊れたように続いた。
お姉さんを…………。
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