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死ぬのは効率が悪い  作者: nokal


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第27話 えーっと……。


 ┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈

 


 えーっと……。

 えーっと? ちょ、待って。何これ。どういう状況。なに? ――は?


 脳が一瞬で処理落ちしたみたいに、私の思考はぷつりと止まった。咄嗟(とっさ)の出来事にキャパシティが追いつかず、その場で完全にフリーズした。比喩じゃなく、“固まった”という表現がぴったりだと思う。実際の時間にすれば、きっと零点何秒の出来事だったはずだ。けれど、私の中では永遠みたいに長い。


 世界の動きがゆっくりと伸びて、スローモーションの幕の中へ滑り込んでいく。

 目の前を覆い始める()()()――心臓さん。


 視界の端には、廊下のリノリウムに倒れ込む瑠衣(るい)の姿。そして私の背中には、ぴったりと張りつく幽霊さんの気配。逃げ場なんてどこにもない。黒い靄が、じわりじわりと私の視界を浸食していく。

 怖いとか、ヤバいとか、そんな感想も浮かばない。というか、浮かばせる余裕すらない。

 ただただ、目玉が限界まで見開かれていく感覚だけが鮮明だった。


「動け、莫迦(ばか)!」


 瑠衣の怒鳴り声が、どこか遠くから飛んできた。けれどそれすら、この零点何秒のスローモーションの中では、まるで別世界の出来事みたいに感じられる。


 ――間に合わない。

 はっきりとそう思った瞬間、私はただ固まっていた。



 

 状況を整理しよう。

 深夜。私と幽霊さんは、例の黒い靄――心臓さんを見かけた廊下に集合した。

 もし本当にあれが移植された心臓なのだとしたら、あてもなく歩いていれば、そのうち出くわすはず……という、なんともざっくりした作戦だ。

「じゃ、ちょっと歩こうか」そう言って、私たちは仲良く深夜の院内散歩を始めた。話題は取りとめもなかったが、奇妙に気持ちが落ち着く時間だった。『じゃあお姉様も、この世に彷徨っている状態だと?』「まあ、あなたとは少し違うけどね。幽霊離脱中なんて、レアな経験だと思わない?」『思いますけど……にしても、お姉様は相当思い切った行動をしましたよね』

「そう?」と首を傾げると、幽霊さんは力強く頷いた。


『だって屋上から飛び降りるなんて、私だったら絶対にできません! 自殺ランキングでも上位に入るくらいの……』

「まあ……確かに?」

『痛む思いをするくらいなら、生きてみたいとか思わないんですか?』


 その言葉と同時に、瞼が小さく痙攣(けいれん)した。別の声色で、同じ言葉が脳の奥で反響する。


 ――生きてみたいとか思わないんですか?


 どこかで聞いた。

 どこかで、確かに誰かがそう言った。けれど、そこだけ霧がかかったように思い出せない。


『お姉様……?』


 ちなみにこの“お姉様”という呼び名は、私が勝手に指定したものだ。はっははは。いい趣味してるだろう。

 頭の中の疑問をひとまず横に置く。


「なんでもないよ。えーっと……今日の空、綺麗(きれい)だね!」


 今は幽霊さんの問題が先だ。それを解決することが、もしかしたら――私自身の記憶にも繋がるかもしれない。

 私は窓際の手すりに手をかけ、ガラス越しに夜空を見上げた。――曇っていた。


「……」

『今日は……魂が、昇らなそうな日ですね……』

「……」


 どんよりとした雲が空を覆っている。ここ数日では珍しいほど重たい色だ。こりゃ明日雨でも降るなと思う。


 ……ん?

 いや、いやいやいや。

 ちょ、待てよ――と、私の中のどこかにいるイケメンが制止の声を上げる。

 私は隣で夜空を見上げている幽霊さんの横顔を見つめた。


「ねえ、今の言葉って――」


 質問を投げかけようとした瞬間だった。周囲の空気が、ピリッと弾けた。鳥肌がぶわっと立つ。幽体のくせに。いや、体温はないはずなのに、確実に“温度が下がった”と感じた。

 この感覚――間違いない。()()だ。

 咄嗟に理解すると、幽霊さんも同時に気づいたようで、私たちはそろって辺りをキョロキョロ見回した。

『こっちです』幽霊さんが低く、力強く言う。その声に引っ張られるように、私も駆け出した。見慣れた廊下の曲がり角を抜けた先――そこにいた。黒い靄が、いた。


『あの……』


 幽霊さんが黒い靄に向けて、そっと声をかける。

 ……あれ、日本語、通じるのか? と、私が内心あわあわしているのをよそに、彼女は一歩、また一歩と近づいていく。


『あなたは……私の。私に移植された心臓さんですよね? そうですよね? 私にずっと話しかけてきているのも、あなたなんですよね?』


 ざわっ――。

 黒い靄が揺れ、形を変えた。幽霊さんの言葉に反応している……ように見える。荒々しい気配が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

 これは……効果、あり?

 幽霊さんは両手をそっと差し出した。


『も、もし……私に何か想いがあるなら、教えてください。心臓さんが抱えていること、全部ここで共有してください。私ももう死んでしまっているから、特別何かできるわけではないんですけど……でも、知りたいんです』


 ざわざわっ。

 黒い靄が再び震え、形を変える。その輪郭が、ゆっくり、ゆっくりと鮮明になっていく。

 ……効果ありまくりじゃん。

 油断した――まさにその瞬間だった。私の耳に、よく知っている声と音が突き刺さる。


「何してんだ! お前!」


 ひどく焦った表情の瑠衣が、タイミング最悪で現れた。確かに、この状況だけを見れば、私たちが心臓さんに襲われているようにしか見えないだろう。

 でも違う。今はむしろ、問題解決に向けて、ようやく心臓さんとの距離が縮まりかけていたところで――。


「ち、違っ! これはその――」

「っち!」


 瑠衣が何かを決意したように、指先を組み、素早く手の形を作った。


「人の話を聞けえい!」

「しゃがめ!!」


 二人の声が、ほぼ同時に重なった。条件反射で幽霊さんも私もしゃがみ込む。直後、私たちの頭上を、眩い光が弧を描いて飛び抜け――心臓さんに直撃した。刹那、耳の裏側にまで響くような、超音波みたいな悲鳴が轟いた。圧がすごい。鼓膜が破れそうなほどの凶暴な波動に、思わず目をぎゅっと閉じる。


 なに、これ……?

 これは、一体……?


 黒い靄が軋むように揺れ、その悲鳴が廊下全体に震え広がっていく。胸の奥まで振動するような、聞いたことのない音だった。

 頑張れ、私! 読者のためにも状況を実況しろ!

 私はガッと目を開く。黒い靄――心臓さんは、さっきまでの少し穏やかな形を失い、再び荒ぶる獣のように揺らめいていた。瑠衣が放ったあの光――あれをまともに食らったらしく、歪んだ空気の中で苦しげに身を震わせている。その瞬間、ぐいっと体が後ろへ引っ張られ――「ぐへ」……みっともない声が漏れた。いや、今は気にしてられない。


「死にてえのか!!」「んなわけないじゃん!!」


 私は全力で否定した。


「今ちょうど良いところだったんだよ! なんで邪魔するのさ!」

「は、はあ? 僕はお前が襲われてるんだと思って……」と言いかけたところで、瑠衣の体がふらりと傾いだ。咄嗟に私は両腕を伸ばし、その身体を受け止める。

「る、瑠衣?」


 顔を覗き込むと、明らかに顔色が悪い。ここ数日ずっと顔色が悪かったが、それがまだ尾を引いているのだろう。


 ――あ、そうだ。こいつ、昔から風邪は長引くタイプだったな。熱が出ると家族が過保護爆発してたっけ……?って、違う違う! 今は回想してる場合じゃない!


 私は慌てて瑠衣を担ぎ、心臓さんの視界から外れるように移動する。……視界があるかどうかは知らないけど!

 だが、その努力はまったく報われなかった。心臓さんは、凄まじいスピードでこちらへ狙いを定め――私たちめがけて、一直線にアタックしてきた。刹那、強烈な風が私と瑠衣の身体を引き裂いた。

 ピタッと、体が固まる。金縛りのように、指一本すら動かない。視界の真正面には、黒い靄。廊下の端には、遠くに転がった瑠衣。

 ――そして、冒頭に戻るのだ。


「動け、莫迦(ばか)!!」


 

 ――――。



「お姉さん!」


 ズドンッ、と。私の身体は容赦なく横へ弾き飛ばされた。壁が迫るのが見えた瞬間にはもう遅く、頭に鈍い反動を残しながら、私は廊下の反対側まで転がされた。

 ……なんでこういう時だけ床に当たるの?

 肩をリノリウムに強打し、思わず舌打ちが漏れた。ついでに舌も軽く噛んでしまったけど、それは恥ずかしいから黙秘する。すぐに顔を上げて元の場所に視線を戻すと、そこには――いつの間にか現れた兀斗(たかと)の姿があった。

 ヒーローかよ。

 ……いや、でもその救い方はヒーローとは程遠い。

 黒い靄に突っ込むように飛び込み、そのまま靄に呑まれていく兀斗。そんなの危険だなんて、あっちの世界の知識がゼロの私にだってわかる。


「兀斗ッ!」


 叫びながら駆け寄る。

 腰が震えている。

 足も震えている。

 それでも――逃げるのは違う、と直感していた。

 知らん!

 もうどうなっても知らん!

 黒い歪んだ空間へ思い切って手を伸ばす。しばらく宙をかき回すように探り、指先が兀斗の身体に触れた瞬間――……あった!そのまま強引に腕を掴んで、一気に引き抜いた。今度は転がらないよう慎重に後ずさりし、ぺたんと腰を落とす。


「ねえ、ねえってば!」


 兀斗の顔色はさらに悪化していた。呼吸は荒く、冷や汗がつうっと頬を伝う。

 な、なにこれ……。やばいやつじゃん。何やってんのさ、エセヒーロー!


『もうやめてください! 心臓さん!』


 今度は――幽霊さんが黒い靄に抱きついた。

 ちょ、ちょっと。触れるな厳禁じゃなかった? と、アホみたいな感想が頭をよぎる。だが、幽霊さんは黒い靄に吸い込まれるのではなく、――確かに、その実体を抱き締めていた。


『もうこんなことしないでください! 恨みがあるなら、私一人で十分でしょう! 他人にまで迷惑をかけないで。話なら私が聞きますから。苦しみなら私が一緒に受け止めますから! だから……そんなに泣かないでください!』


 黒い靄が、びくりと震えた。

 泣かないでください。その一言が、決定打だった。廊下の空気がぴたりと止まったのがわかった。……伝わるだろうか、この空気が止まる感覚。

 例えるなら――久しぶりすぎて名前を忘れかけていた同級生が、突然目の前に現れた時のあの気まずさ。嬉しいのか、戸惑うべきか、「誰?」と聞いていいのかも分からない、あの絶妙な空白。

 黒い靄――心臓さんが、ゆっくりと形を変え始める。スローモーションの波のように、揺れ、しぼみ、縮んでいく。


 そして。

 声が、聞こえた。


【自分だって、こんな早く終わりたくなかった。自分だって、もっと長く生きられると思ってた。人の役に立てると思ってたのに。こんな終わり方、望んでいないのに……。】


 幽霊さんは震える手を胸の前で握りしめ、そっと言葉を返した。


『……わかります。あなたは――生きたかったんですね』


 黒い靄がざわりと揺れる。


【生きたかったよ。当たり前だろ。だって、やっと来たんだ。“あなたの身体は見つかりました”って。喜んで……自分もやっと胸を張って言えると思ったんだ。“もう大丈夫”って。】


 幽霊さんの肩がかすかに震える。


『……はい』


【なのに、なんでだよ。なんでこんなすぐ終わるんだよ。こんなはずじゃなかった。誰かの役に立てる――そう思ってたのに。そのために、痛くても、怖くても、全部覚悟して差し出したのに。】


 幽霊さんは一歩近づく。


『あなたは……十分すぎるほど役に立ってます。あなたのおかげで私は、一度は――』

【一度とか……そんな言葉が欲しいわけじゃないんだよ!】


 黒い靄がビリッと空気を裂く。


【もっと、生きたかったんだ。普通に朝起きて、普通に歩いて、普通に笑って……誰かとくだらない話して……そんな当たり前の時間を、自分はやっと取り戻せると思ってたんだよ。】


 幽霊さんは口元を押さえて涙をこらえる。


『……ごめんなさい』

【謝らないでくれ。あなたのせいじゃない。誰のせいでもない。でも……でも。】


 黒い靄は少しだけ縮まり、声がかすれる。


【悔しかったんだ。ただ、それだけなんだ。悔しくて、悔しくて……自分の収まる場所が見つからなくなって……それで、あんなふうに暴れた。八つ当たりだよ。最低だろ。】

『最低なんかじゃありません。だって――その気持ち、誰だって……抱えたら、壊れます。私だってそうでした。』

【……聞いてほしかったんだ。誰でもいいから。誰か一人でも、自分が悔しかったって、わかってほしかったんだ。】


 幽霊さんは小さく微笑み、黒い靄にそっと触れる。


『……聞きます。何度でも、何度でも。たとえあなたがどれだけ悔しくて、どれだけ泣いて、どれだけ怒っても――私はあなたの気持ちを、受け止めます。だって……あなたは、“私の心臓さん”なんですから。』


 黒い靄は、初めて震えを止めた。


【……ありがとう。ずっと……言えなかった。ずっと、苦しかった。やっと――言えた。】


 そして、光を帯びて溶けていく。



 嗚呼(ああ)――と、私は状況を俯瞰(ふかん)しながら思った。


 やっぱり、人って。“想い”って、こういうものなんだな、と。正解なんて最初からなくて、どこへぶつければいいのかも分からなくて、きちんとした質問箱やゴミ箱が用意されているわけでもなくて。でもそれはただ、抱えるしかなくて。自分でも処理しきれない気持ちを他人にぶつけて、何かを解決しようとすることだって、結局は綺麗事で。

 ……だけど、その綺麗事に縋らなければ、人は歪んでしまう生き物なのだ。

 結局のところ――そんな複雑さと一緒に生きていくのが、人生なのだ。


 ぽわぁ、と。

 あたり一面に、暖かさが広がっていく。どんより濁った空色が、院内の空気ごと包み込んでいたはずなのに、黒い靄の中心から、やわらかな光がじわりと広がっていった。オレンジ色の世界が、じわじわと滲み出すように。同時に、私の手元にもほのかな温もりが宿る――ような気がした。

 膝に抱えていた兀斗の顔色が、ゆっくりと戻っていく。冷や汗が引き、唇に血色が蘇る。黒い靄はその姿を変え――キラキラとした結晶のようにほどけ、空気に溶けて散っていく。

 綺麗だな、と、自然と思った。

 その光の粒子が粉雪のように舞い降りる光景は、なぜか私の生前の記憶を呼び起こした。

 私は天井を仰ぐ。力が抜けたように。キラキラと粉雪が舞う――あのシーン。

 私は舞台の上にいた。

 物語の途中。

 そのときだけは、客席ではなく、舞台上の世界の美しさに心を奪われていた。


 

『お姉様、ありがとうございました』


 最後に、幽霊さんがそう言った。

 その声はどこまでも静かで、どこまでも澄んでいた。

ご感想等お待ちしております☺︎

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