第26話 報告一と報告二と報告三
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瑠衣との会話――報告一と報告二と報告三――を終え、私はふわりと意識を浮かせたまま、兀斗の病室へ向かった。
「……」
それにしても、瑠衣は本当に疲れているんだな、とぼんやり思う。
オペをこなし、同時に祓い屋なんて仕事までして、いったい彼はいつ眠っているんだろう。
今まではまったく気づけなかった。
私が幽体離脱していることを知って以来、ようやく瑠衣の別の部分が少し見えるようになっただけで、きっとそれまでは、私と会うたびに明るく振る舞ってくれていたんだろう――なんて、ふと思う。
誰にも気づかれないまま、私はスーッと小児病棟へ滑り込んだ。
「やっほー」
軽く手を振りながら、兀斗のネームプレートが貼られた病室へ入る。
相変わらず、兀斗のブースだけ質素で、他の子どもたちのスペースにはシールやイラストやぬいぐるみで子どもらしさが溢れている。シールの貼られた壁を横目に、兀斗のベッドへ歩み寄った。
「……寝てる?」
小さな寝息を立てて眠る兀斗。その呼吸は穏やかだけれど、どこか薄い。私は壁の時計へ視線を向ける。時刻はお昼過ぎ。ここ数日、兀斗は夕方ごろに目を覚まし、ほんの少しだけ会話をして、またすぐ眠ってしまう。
それも、彼の病気――早すぎる時間――に関係しているのか、関係していないのか。
瑠衣曰く、最近の彼はまだ元気な方で、もともとベッドの上で過ごす時間が多いらしい。だからあんなにもすらすらとやりたいことリストを書けるのかと、ようやく納得する。
ベッドの足元には、洒落た靴紐のついた小さな靴。その横にはスチール椅子が置かれている。
幽霊(正確には幽体離脱だが)のくせにややこしいことに、こういう時の物体にはなぜか触れたり座ったりできる。私はそのスチールに腰を下ろし、そっと兀斗の寝顔を見つめた。
こんな小さな子が、こんなに洒落た靴を履くんだなー……なんて、どうでもいいことを思う。
血色の薄い顔。
赤くてやけに綺麗な唇。
健康とは程遠い、薄い影。
「……」
なんで――。
なんであの日、兀斗は私に声をかけたんだろう。
ふと、そんな文字が脳裏にぽつりと浮かんだ。
眠る彼の美しい顔を眺めながら、アイスにできた気泡のように急に現れた疑問だった。私が美人だったから――名前が欲しかったから――なんて、正直、後付けにしか思えない。第一私は幽霊みたいな存在なわけで。声をかけなければ見えないふりをすればいいわけで。気づかなければそれで終わり。わざわざ話しかける必要なんて、どこにもない。
別に私はあの日、死のうとしたわけでもないのに。たまたま触れるものの確認をしていただけなのに。このスツールのように。
否定しなかった私にもまぁ責任はある。ちょっと揶揄いたくなったというか、面白そうだと思ってしまったというか。
でも――。
つまり何が言いたいかというとだ。
彼はいったい、どうして私に声をかけたんだろうか。
別の目的でもあった? それとも――実は会ったことある系?
私はじーっと兀斗の寝顔を見る。これでもかってくらい凝視する。
……。
いやいや、ないな。ないない。こんな整った顔の子供、会ってたら絶対覚えてる。
『あのぉ』
「あ、幽霊さん」
ガラスをふわりと通り抜けて、幽霊さんが病室へ入ってきた。もうその光景にもすっかり慣れてしまった自分がいる。私は軽く手を上げて挨拶をし、幽霊さんはぺこりと頭を下げて、私の隣へちょこんと立つ。
「どうしたの?」
ぱっと見、私と年齢は大きく変わらないように見える。さえない表情、両頬のそばかす、いつもどこか自信なさげな眉の角度。その丸い肩を後ろからわしっと掴んで広げたい――という衝動が一瞬よぎるが、相手は幽霊なので当然できない。
『そ、そのぉ……前に教えてくれた“この世への心残り”っていうの、少し思い出した気がして……』
「ああ〜、言ったね。そんなこと」
これも瑠衣から聞いた話だ。
幽霊が現世に長く残り続けるのは、何かしらの“引っかかり”――心残りがあるからなのだと。
「なになに。聞くよ。時間なら山ほどあるし」
だってほら――。
横を見る。スースーと、兀斗は完璧に夢の中。
こいつ全然起きなそうだし。
『じゃあ……。私、実はこの病院に心臓移植で入院していたんです。ずっと昔から心臓が弱くて。やっと順番が回ってきて、ようやく移植を受けられたんですが……』
そこまで言うと、幽霊のお姉さんは小さく息をつくように目を伏せた。
『術後に目を覚ませたのは、一度きりでした。そのあとはずっと眠ったままで……一週間で私の命は尽きてしまったんです。幽霊になってから聞いた話だと、心臓がうまく機能しなかったとか、そんな感じだったみたいで』
「そんなことあるの⁈」
思わず声が裏返った。医療ってもっとこう、確実なものだと思っていた。
『ま、まあ……一応の説明では大丈夫って言われてたんですけど。やっぱり人の身体って、誰にも完全には分からないものだそうで……。だから、多分その……申し訳なくて。心臓をくれた人に何も返せなかったことが、ずっと引っかかっていて……』
「なるほどねぇ。そりゃいたたまれないよね」
私は顎に手を添えたまま、彼女の姿をまじまじと見つめた。
生きられると思った矢先に死んでしまうなんて――残酷すぎる。では、その心残りはどうすれば晴れるのだろう。
「心臓をくれた人に謝るって言っても、その人はもう亡くなってるわけでしょ。心臓に謝る……っていうのも、なんか違うしねぇ」
『わ、私……なんとなくなんですが。先日見たあの“悪気”っていうのが、私の心臓なんじゃないかって思ってて……』
「都合よすぎない? いや、けど……なんと」
思わず苦笑が漏れた。けれど興味はぐっと引き寄せられる。
「でも、どうしてそう思ったの?」
瑠衣が言っていた言葉が脳裏によみがえる。悪気は人間とは限らず、怨念の塊のようなものだ――と。
『声が、聞こえるんです』
――声?
チリン、と鈴のような音がして、私は反射的に後ろを振り返った。だがそこには、誰の姿もない。静まりかえった廊下だけが広がっていた。
『はい。あれからずっと、夜に院内を歩いていると聞こえてくるんです。“恨んでやる”“許さない”“私のからだ”って……』
こっっわ。いやほんとに、何それ。怖すぎるでしょ。
その私の反応とは対照的に、幽霊さんは見た目からは想像もつかないほど力強い声で続けた。
いや、見た目で判断しちゃいけないんだけどさ。
『私、今夜……対峙してみようと思います』
「え? 退治?」
『いえ、対峙です』
「はい?」
『対決の“対”に、峠の“峙”。つまり直接会って、話をしてみようと思うんです』
「そんなことできるの?」
幽霊の彼女は、少し恥ずかしそうに指先をつつき合わせながら頷いた。
『ま、まあ……私も幽霊になるのは初めてなのでよく分からないんですが。でも、これ以上笹木さんに迷惑をかけるのも忍びなくて。他の幽霊さんに相談したら、それが一番手っ取り早いって言われて……』
「なら、とめないけど…」
むしろ歓迎したいくらいだ。悪気の件は早く片づけたいし、それに――私は私で、自分の記憶を取り戻さなくちゃいけない。飛び降りる直前、誰かと話していた気がするのに、その影だけ霧のように掴めない。
「よし、わかった。今夜なんだよね? 私も付き添うよ。こないだの廊下集合でいい?」
『いえいえ! そんな、迷惑は……!』
「迷惑かどうか、自分で決めつけなくていいよ。私がやりたいからやるんだよ。異論は認めません」
『そ、それでしたら……』
彼女の声は震えていたけれど、その奥には確かな覚悟があった。夜の静けさが、すでに部屋の隅で息を潜めているような気がする。
今夜、決行。決着をつけようじゃないか――悪気よ。……あ、退治じゃなくて対峙だっけ?
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