第24話 瑠衣と私の出会い
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瑠衣と私の出会いは、小学生の頃にまで遡る。
それはほとんど――いや、今思えば完全に一目惚れに近かった。季節外れの転校生としてやってきた瑠衣は、まだ幼い私の目に妙に鮮烈に映った。対して私はといえば、クラスの中心にいるタイプだった。
……自分で言うのも図々しいとは思うけれど、事実として、私は周囲に人が集まりやすい子どもだった。
え、八方美人?
うん、まあね。ありがとう。たぶんその通りだったと思う。
バレエもできて、成績も悪くなかった。だからこそ、気づけなかったのだ。いつも心のどこかで鳴っていた、誰にも拾われないSOSに。
季節外れにやってきた転校生、というだけで、子どもというのは残酷なまでに好奇心を向ける。瑠衣は、どこから来たのか、なぜこの時期に来たのか、不躾な質問をたくさんぶつけられていた。そのうち、ありもしない噂まで流れ始め、あの頃の彼はそれなりに大変そうだった。とりわけ「両親が不倫して駆け落ちした?」などという、ドラマの悪役でも言わなそうな噂が立ったときは、さすがの担任も黙っていられなかった。そのおかげで、放課後の説教タイムが続き、私は夕方のドラマが観られなかった。
……今でも根に持っている。
いまさら正義面するなよ、この偽善者教師め、ってね。
私と瑠衣が本当に仲良くなったのは、中学生になってからだ。それは少し運命めいた再会だった。
私は中学受験をした。海外で踊ることを真剣に目指していた頃で、英語を学ぶためにインターナショナルスクールを選んだのだ。
――といっても、別に裕福な家庭だったわけじゃない。
教育には力を入れてくれたけれど、贅沢とは無縁だったし、むしろあの頃は痩せすぎて、健康診断に引っかかったことさえある。瑠衣と距離が縮まったのは、まさにその時期だった。
中学に上がってすぐ、ちょっとした家庭の事情で、私はしばらく満足に食事を取れなかった。家に残っていた古い米。いつの時代の惣菜かわからない残り物。それらで空腹をごまかしていたら、案の定、体調を盛大に崩した。
「ちょっと、大丈夫?」
授業中だった。まだ顔も名前も覚えきれていないクラスメイトに声をかけられ、私は、かすかに頷いた……気がする。
春の空気は穏やかで、窓から差し込む光はやさしかったのに、私の視界だけがひどく歪んでいた。黒板を見ようとしても首が持ち上がらない。先生の声を聞こうとしても遠ざかっていく。冷たい汗が背中を伝い、自分の体調管理が崩壊していることくらい、さすがにわかった。
――それでも、人に頼る方法だけは、どうしてもわからなかった。
同級生の優しい声がけにも、私はただ「うん」と頷くことしかできなかったのだ。
そして――限界が来たのは、本当に突然だった。
身体が世界を拒むように、ぷつりと神経の線が切れた感覚がして、私は机に突っ伏した。今振り返れば、椅子から転げ落ちなかっただけ奇跡だと思う。あんな倒れ方を教室中に晒していたら、今ごろ黒歴史四天王の一角になっていたかもしれない。
よくやった、私。えらい。
……と、ここでようやく本題。どうしてこの状態の私と瑠衣が再会したのかというと――私はそのまま授業が終わるまで目を覚まさなかった。ノートの上に額を押し当てた姿勢で固まったまま、ほとんど人形だった。
一瞬だけ、意識が浮上したときがあった。遠くで、誰かが必死に私を呼んでいる。ぐらりと頭が持ち上げられ、あたたかい胸元に支えられた。「――!」多分、私の名前を呼んでいた。でも、聞こえない。その声だけを置き去りにして、私はまた深い闇に沈んでいった。
そのとき私を抱きとめていたのが――瑠衣だった。
瑠衣も、私と同じインターナショナルスクールに進学していたらしい。クラスが違ったし、入学したばかりの頃で周囲の顔も曖昧だったから、まさか小学校の同級生が同じ校舎にいるなんて気づくはずもない。
そして数時間後。空腹という、生き物としての本能に叩き起こされるように、私は保健室のベッドで目を覚ました。「……から、僕が家まで送っていきます」「ありがとうね、瑠衣くん」「いえ」「お父様にはよろしく伝えておいてね」「はい」
誰かの会話が聞こえる。
私は足を床に下ろし、カーテンをそっと指先で広げた。
「あ、起きた?」
気づいた女性――白衣の胸元に『簪』と書かれたネームプレートをつけていた――が、軽く微笑んでカーテンを開ける。こんな早々に保健室のお世話になるとは思わなかった。
「すみません、私ちょっと……よく覚えてなくて」
そう言いながら横を見ると、簪の隣に立つ美男子。
恐ろしいほど整った顔。
見覚え、ありまくり。
笹木瑠衣。
小学生のとき、季節外れに転校してきた彼。
変な噂をされても眉ひとつ動かさずに立っていた彼。
確かそんなに身長変わらなかったはずなのに……今は、少し大人びた影が差している気がした。私が状況を説明すると、簪はふふっと笑った。
「良かったわね。ここまであなたを運んできたの、瑠衣くんだったのよ」
「……え?」
「なんか、隣のクラスがざわついてたから」と、瑠衣はそっけなく言う。可愛げはない。
「隣のクラス……?」
「そう。あ、覚えてる? 学生のとき、同じクラスだった」
「さ、ささ、笹木……瑠衣だよね」
「まあ、さすがに覚えてるか」
肩をすくめる彼の仕草が、なんかもうずるかった。同じ学校にいるだけでも驚きなのに、隣のクラスで、しかも私を抱えて運んでくれた――。その事実が一気に胸に流れ込んできて、私は、多分その瞬間、軽く一目惚れした。瑠衣は、私が人生で初めて好きになった相手だった。
……たぶんね。
その関係がやがて逆転していくのは、またいずれ話すとしよう。
とにかくその日は、簪の指示(ほぼ強制)で帰宅が決まった。そして瑠衣が付き添いで家まで送ってくれることに。家も近いし、何の不都合もない。
――ただ、このときの私は帰りたくない理由を抱えていた。
家の前へたどり着くまで、私と瑠衣の間には特別な会話はなかった。ただ、彼は黙って、しかし置いていくでもなく、歩幅を合わせてついてきてくれた。玄関の前に立っても、私は鍵を出さなかった。ポケットに入れたまま、指が動かない。その様子を見かねたように、瑠衣が小さく問う。
「……入らないの?」
あまりにも真っ直ぐな問いだった。私は静かに、こくりと頷く。瑠衣は少しだけ目を伏せ、それから何かに合点がいったように「なるほどな」とつぶやいた。
そして――「おいで」そう言って、私の手を掴んだ。まるで自然な動作のように、躊躇いもない。
いきなり男子に手を引かれるなんて、漫画の世界かよ、と内心ツッコミつつも、私は抵抗しなかった。思えば、この頃から瑠衣のキザさは既に片鱗を見せていたのだ。
着いていった先は――巨大な屋敷だった。
「は?」
口から間抜けな声が漏れた。
立派すぎる門構え。ドラマの中でも滅多に見ないレベルの重厚感。近代的な住宅街から少し外れた場所にある、圧倒的な存在感の建物。“家”というより“邸”とか“館”とか、そういう言葉が似合った。
私が呆気に取られているのも気にせず、瑠衣は当然のように門を開き、中へ進む。丁寧に刈り込まれた庭。玄関までやたら長いアプローチ。そして、ガラララ……と重い音を立てて開くスライドドア。
――いや、がらららって。学校の備品でも聞かない音だよ?
この時初めて、瑠衣が医者一家の息子だと知った。(まあお姉様は別分野だったけど)
瑠衣の部屋へ案内され、誰かが用意してくれた食事を前にした。湯気の立つ味噌汁。炊き立ての白米。大皿の肉じゃが。久しぶりのちゃんとしたご飯に、私は夢中で箸を動かした。がっついて食べていた私を見て、若干引いていた瑠衣がいるのは今は強調しないでおこう。
そして、少し落ち着いたところで瑠衣が切り込んできた。
「お前、虐待されてんの?」
噛んでいた米粒が危うく変なところに入るところだった。
「ち、違う」
「じゃあなんで、倒れるまで無理してんだよ。食事って、人間の基本だろ」
彼の言葉は容赦がなかった。そのまっすぐさが痛い。私は思わず、綺麗すぎるその顔を一瞬だけ睨み、ぎゅっと握った自分の拳へ視線を落とした。
「……今、ちょっと家がゴタゴタしてて……。その……」
「ふーん。――じゃ、僕の家、来なよ」
「え?」
思わず、反射的に顔を上げる。
眩しすぎる。なんなんだ、こいつ。
「僕の家なら、ご飯ちゃんと食べられるし、家も遠くないし。中学も一緒だし、よくない?」
「いや……まあ……そうだけど……」
はっきりしない返事しかできなかった。
誰かの親切に、どう反応すればいいかわからなかった。子どもの頃の瑠衣からは、こんな自然体の優しさは想像していなかったから。
その後しばらく、私は瑠衣の家に居候させてもらった。家族ぐるみで仲良くなり、そこから現在に至るまで、私と瑠衣の交友は途切れることなく続いている。
けれど。
なんと言えばいいのか……。
瑠衣と同じ時間を過ごすほどに、私の中で――何かが削れていくのを、私は確かに感じていた。
瑠衣が悪いわけじゃない。瑠衣の隣が居心地悪いわけでもない。むしろ一緒にいて楽しいことの方が圧倒的に多かった。
なのに。
私は、静かに、確実に。
自分の内側で何かが壊れていく音を聞いていた。
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