第22話 満点の星空
*
満点の星空が、残酷なほど澄んだ光を降らせていた。
この描写を、私はいったい何度繰り返してきたのだろう。数えたことなどないし、数える必要もない。どうやら私は、こんな夜空にしつこいほど惹かれているらしい。見上げるたび、星々は無言のまま私を見下ろし、冷たく、それでもどこか優しく瞬いている。
遠くで、小さな光がチカチカと動いた。あれは飛行機だろう。そう思った途端、胸の奥に薄い寂しさが広がる。こんな独り言に相槌を打ってくれる友人さえ、今の私にはいないのだから。
「はあ……」
古びたフェンスに背中を預けると、がちゃん、と金属が情けない音を立てた。吐いた息はほのかに白く、夜の空気に混ざって消えていく。ここ数日の冷え込みで、寒さそのものに慣れてしまったのかもしれない。白い息が出ているということは、きっと今の空気は相当冷たいのだろうに、その実感が身体には届かない。
後ろを振り返る。屋上へ続く階段はそこにしかなく、その先のドアは壊れたままだ。錆びた南京錠がぶら下がり、役目を失ってぶらぶらと揺れている。
――言っておくが、壊したのは私じゃない。
視線を再び前へ戻す。フェンスの向こうには、山影が黒い刃のように連なり、その手前に芝生やコンクリートの建物が沈黙している。さらに奥には、ぽつりぽつりと灯りのついた家が点在し、まるで夜の底に落ちないよう必死に踏ん張っているみたいだった。そしてそのさらに向こうにも、また山、山、山……。
「……」
何も思い浮かばない。
目をキョロキョロと動かしてみても、眼球ばかりがせわしなく動くだけで、内側は空っぽのままだ。
――なんか、もうどうでもいいかな。
ふと足元へと視線が落ちる。この高さから暗闇へ身を投じたなら、私は星のひとつになれるのだろうか。きっと気持ちがいいのだろうな。ああ、そうだ。見た目によらず、泳ぐのは得意なんだよ、私。
無意識のまま一歩、足が前へ出た。
その瞬間――かすかな物音がして、全身がぴたりと止まる。
「……だれ?」
暗闇の中、目を凝らす。月明かりと星々の光が、ざらついたコンクリートの床を淡く照らし出していた。階段のあるドアをじっと見つめていたはずなのに、「そこで何やってんの」――その声が聞こえたのは、意外にも左側からだった。
私は涙袋にぎゅっと力を入れながら、声の主を探す。コツ、コツ、と不安定な拍子で近づいてくる靴音。軽いのか重いのかよくわからない、妙に間の空いた足取り。
――こども、なのか?
「屋上で何してんの?」
もう一度問いかけられ、はっと息が喉につかえた。
暗闇から姿を現したのは、見知らぬ少年――いや、少年と呼ぶには整いすぎた顔だ。思わず首を捻る。てかイケメンだな、おい。
血の気のない肌に、やけに赤い唇。作りものみたいに整った顔立ち。こんな子、見覚えはまったくない。
「おーい。俺の声、聞こえてんの?」
「えっ」
あ、やべ。
「ども」
ぴたりと少年――と、呼ぶには雰囲気が大人すぎるから彼と呼ぶことにしよう。彼の足が止まる。近くで見ると背が高い。けれど声はまだ少し不安定で、年齢だけは若いとわかる。私が間の抜けた挨拶を漏らすと、彼は不機嫌そうに眉をひそめた。
「ども、じゃなくてさ。俺、質問してんだけど。何してんのって」
「なに? 何って……うーん、いや、特に目的はないんだよな」
「はあ? 大の大人が、目的もなく屋上に来るわけ?」
彼の顎に、汗のようなものが細く流れ落ちた……気がした。私はフェンスに背中を預けて彼と向き合う。
「じゃあ、逆に聞くけど。君は? どこの誰で、なんでここに来たの?」
視線を手首へと移す。そこには、私のものと同じ色のリストバンド。
「なんとなく?」
「一緒じゃん」
「まあ、たしかに」
「てか君、どっから来たわけ? 階段あそこにしかないと思うけど」
「気になるとこ、そこ?」
「気になるでしょ。あんな暗闇からヌッと出てきたら、幽霊かと思うし」
――イマイチ噛み合わない子だなあ。
会話を続けながら、私は内心そんなことを思っていた。実際、彼が幽霊だと言われても納得してしまうかもしれない。今の私には、怖いと感じる心の余裕もないし、なにより彼の顔色と存在感は、人の輪郭から少し外れているように見えた。
彼は腰に手を当て、深く息を吐いてから、前髪を指先で掻き上げた。月明かりの下、力のある眉が影を落とす。
「従業員用のエレベーターがあるんだよ。俺はそれに乗ってきたってわけ」
「へー、初耳。あ、じゃあ君ってもしかして病院の関係者だったり? え、私怒られるやつ?」
「いいよ。黙っててあげるから。怒るのとか面倒くせえし」
――あら、素直。
彼は私の隣に立ち、そのままフェンスへ軽く寄りかかった。視線の先は、やっぱり夜空だった。
星の光が、彼の頬を淡く横切る。その横顔は、不思議なくらい静かで、孤独な夜に溶け込むように見えた。
ご感想等お待ちしております☺︎




