第17話 霊の三人組
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「よお、兀斗」
深夜二時すぎ。こんな時間にノックもなく俺の病室へ入り込んできたのは、全身を黒服で固めた笹木せんせーだった。
「笹木せんせーだ」「せんせーだ」「今日もいけてるー」「いけてるー」「黒ーい」「ぎゃははは」
案の定、病室の同居人たち——つまり霊の三人組が騒ぎ立てる。
「おう。お前ら、今日もいい子にしてたか」
笹木せんせーは優しい声でそう言いながら、彼らに軽く手を振った。せんせーは昔の事故のせいで視る力が弱いはずなのに、この三人の姿はしっかり視界に捉えているらしい。それだけ、この子どもたちの霊力が強いということだ。だから俺は何度も言ってる。
——悪霊になる前に早く祓えって。
けれど笹木せんせーは聞きゃしない。まあ、最悪の場合は名前を奪って封じればいい。自分の身を守る最低限の術くらいは、俺にもある。
「よお、兀斗」
笹木せんせーがもう一度俺を呼ぶ。仕方なく身体を起こしたところで、せんせーが手をひらひら振った。
「あー、いい。起きなくていい。今日はそういうんじゃない。連日の外出で疲れてるだろ? ただ普通に話しに来ただけだ」
「……つまり、仕事サボりに来た?」
「言い方が悪いなぁ」
後頭部をかくその仕草。淡くシャンプーの匂いが漂ってきて、いつもどおりの笹木せんせーだとわかる。
「お前さ、スリーピングビューティーに言ったんだって? 自殺の話」
「……なに、それ。あだ名、もう公式扱いなの?」
「話逸らすなよ」
その一言で、空気がひりついた。霊たちがふざけ声を落として、そわそわと部屋の隅へ逃げていく。
「お前にはデリカシーってもんがないのか。あいつが自分から死のうとするわけないだろ。そもそも……その前後の記憶も曖昧なんだから」
「……」
何も返せなかった。自分がどれだけ浅はかだったか、せんせーの言葉でようやく理解した気がした。喉がきゅっと縮まり、声が出ない。だから俺は黙るしかなかった。
「……でも俺には理解できない。もっと生きたい人だっているのに、なんで自分から命を捨てようとするのか」
「だから決めつけんなって言ってるだろうが」
笹木せんせーは、軽く俺の額を指で突いた。その仕草は叱るというより、歯止めをかけるような優しいものだった。
「あいつの心情は、あいつにしかわからない。僕たち第三者が勝手に線を引いたり、理由を押しつけたりすることはできないんだよ」
「……わかってるけど」
言葉だけでわかっても、気持ちは追いつかない。胸の奥で燻っていた何かが、まだ形にならないまま残っていた。
「まあ、とにかく。あいつも自分の状況をようやく飲み込み始めたところなんだ。そっとしておいてくれ。……と言っても、お前らゲームとか何とかで会ってるんだろうけどな」
「……もう二日、会ってないけど」
「そう」
その一言だけ告げて、笹木せんせーはスツールに腰を下ろした。それが妙に寂しげに見えて、俺の胸にちくりと刺さる。
確かに、この二日間は言いすぎたかもしれない——そう思う。あんなこと言ったって、どうせ次の日にはけろっと現れるだろうと高をくくっていた。だからこそ、来ないという事実が、じわりと重くのしかかる。
沈黙の中、笹木せんせーがふいに口を開いた。
「なんで、あいつがこの病院に通ってたかわかるか?」
不意をつかれ、俺は慌ててネットで見た情報を手繰り寄せた。
「……怪我の治療じゃないの?」
ちょうどその時、窓からひとすじの月明かりが差し込み、部屋の空気を淡く照らした。
「それは二年前の話。怪我はもう治ってる。ここ一年は精神科に通ってたんだよ」
「精神科?」
「そう。簡単に言うと、舞台恐怖症みたいなものだな。舞台に立つこと自体が怖くなってしまって……。だから、この病院の精神科に通って治療を受けてた。あいつが屋上から飛び降りたのは、その期間のことなんだ」
「じゃあ——」
俺は思わず目をキョロキョロさせた。頭の中で、断片が急に形を持ち始めていく。月明かりが静かに揺れて、息が少しだけ詰まった。
「ますます自殺の可能性が——」
高い、と言い終える前に、笹木せんせーの声がその上から鋭く被さった。
「ない。それは、ない」
「どうして?」
「復帰の目処が立ってたんだよ。向こうのバレエ団へ戻る準備もほとんど整ってて、あとは——本当に飛行機に乗るだけ、ってところまで行ってた。あいつは一度決めたら滅多に揺らがない性格だ。だから、大丈夫なはずだったんだ」
お姉さんが屋上から飛び降りたあの夜。実は、まさにその夜の便で渡航する予定だったらしい。
「兎に角、話を戻すけど……お前はあまり干渉するなよ。ただでさえ刺激が強いんだから」
「……まぁ、努力はするよ」
俺と笹木せんせーの会話がふっと途切れた、その刹那——
「う、うわああああああああ!」
可愛いとは決して言えない、むしろ腹の底がざわつくほどの悲鳴が、院内の静寂を引き裂いた。
「は?」
「なに、今の」
呆気にとられた俺たちの思考に追いつく暇もなく、すぐに第二の悲鳴が院内に響き渡る。
「ぎゃああああああーーーっ!」
その声を聞いた瞬間、胸がぎくりと跳ねた。聞き覚えが、ある。忘れられるはずがない。
——お姉さんの声だ。お姉さんが 悲鳴を上げた。
ということは。
考えるより先に、笹木せんせーの身体が動いていた。黒いフードを、深く、静かにかぶる。
「僕は見てくるから、お前はここに——」
「俺も行く」
「はあ?」
「視える俺がいたほうがいいでしょ」
布団を跳ねのけ、俺は足をベッドの縁からそっと下ろした。何度見ても、自分でもひくほど細い足だ。骨と皮だけで立っているような、華奢な脚。それでも、俺は膝に手を添え、ぐっと力を込めた。
「いや、待てって」
その手を、笹木せんせーが素早く押さえた。
「無理するなって。こないだの今日で、また短いスパンであいつらの気にあたったら……」
「まだ悪霊かどうかもわかんないでしょ」
「悪霊かもしれないだろ!」
「でも“かも”でしょ。わかんないじゃん」
「……いやいやいや! でもな——」
「お姉さんに何かあってからじゃ遅いでしょ」
言い切って、俺は震える足を押し立てた。ぎし、と床が鳴り、身体の重みを受け止める。笹木せんせーは何か言いかけて唇を噛み、代わりにそっと俺の脚へ触れた。
「……くれぐれも、あてられるなよ」
触れられた瞬間、心の奥に温かい光が灯るような感覚が広がった。身体の芯がふっと軽くなる。笹木せんせーの力が流れ込んできたのだ。俺は黙って頷く。
「行くぞ」
笹木せんせーがフードを深くかぶり直し、扉へ向かう。その背を追いかけるように、俺も車椅子ではなく自分の足で——ほんの少しぎこちなく——病室を飛び出した。深夜の病院の廊下が、まるで別世界みたいに静まり返っていた。




