第14話 そいつは王子様のキスでも起きねえよ」
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なんの変哲もない、いつもと変わらない普通の朝がやってくる。
……いや、てか「普通」って何? 「普通」の概念ってなんなん? 普遍的? 可変的? 結局、個々が都合よく解釈するための曖昧なラベルなんじゃね? ――と、そんな屁理屈をこねていた時期もあったけど、その話は一旦置いておこう。
とにかく、特に変わった様子もない、反復され続ける朝が今日もやってきた。
私は今、彼――香久耶兀斗の病室にいる。兀斗はベッドの上ですやすや眠っている。……可愛い顔して寝やがって。くそ。寝てる場合じゃねえんだよ。私はスツールから立ち上がり、彼の布団に手をかけた。
無理矢理にでも起こしてやろうと思った――そのとき。
その手を、白衣を着た美男子――笹木瑠衣が止めた。
「やめとけ。そいつは王子様のキスでも起きねえよ」
「私、女ですが?」
「そういう話じゃない。そいつは一度寝たら、なかなか起きないってことだ」
「なんだ。初めからそう言ってよ」
カッコつけちゃって。
昔、私にキスしようとして避けられたのを、まだ根に持ってるのかしら?
私はスツールに座り直した。瑠衣は手元のバインダーに何やら書き込んでいる。これでも整形外科医だ。まるで医者になるために生まれてきたみたいな顔をして医者をしている医者だ。……ややこしいけど、本当のこと。
まあ、神主の家系でもあるというのは、さすがに少し驚いたが。
昨夜の出来事を思い出す。
謎の黒い影に出くわした私は、あと一歩でお陀仏――というところまで追い込まれていた。そこに兀斗と瑠衣が現れ、救ってくれたのだ。瑠衣については事前に色々知っていたから驚きはしなかったが、問題は兀斗だ。
彼は一体、何者なんだろう?
瑠衣は知っていそうだが、何も教えてくれない。「本人が説明したほうが早い」とのことらしい。当の本人は、朝が来てからずっと眠りっぱなしで、起きる気配はまるでないのだが。
「というかさ。私が初めて兀斗のことを瑠衣に話した時、あんた全然反応しなかったよね?」
その瞬間、私はふと、あの日の空気を思い出した。
兀斗と初めて言葉を交わした、あの深夜の中庭。月明かりだけが白く地面を照らし、風の抜ける音がやけに大きかった。不気味で、どこか非現実的な出会いだった。胸の奥がざわつき、ひとりで抱えていられなくて、真っ先に瑠衣へ相談したのだ。
けれど、その時の瑠衣は――あたかも兀斗など知らないと言わんばかりに、奇妙な噂だけを拾い集めて「そんな子もいるらしいよ」と、他人事のように笑っていた。その態度から、まさか二人が知り合いだなんて、私が気づくはずもなかった。
――なぜ? なぜ、あんな話し方をしたのだろう?
問いかけると、瑠衣は手の中のペンを器用にくるくると回しながら、肩をすくめて言った。「その方が面白くね?」「面白くないわよ。最初から兀斗のこと知ってるって言ってくれたら、こんな厄介ごとに巻き込まれずに済んだでしょ」「厄介ってさ、楽しいじゃん?」「楽しくない!」
堪えきれず、足を振り上げてドカンと一発蹴りを入れる。瑠衣は少しよろけ、それを見た瞬間、私の頭にはさらに別の疑問が浮かび上がった。
「そういえば――」
ふいに思いついた疑問が口をつく。
「彼の病気って、それと何か関係あるの? その……ちょっと普通じゃないっていうか」
「一応、こっちの業界では病名があるんだよ」
「こっちの業界?」
「見える力の業界」
あ、はいはい。
瑠衣は眠たそうに、噛み殺したあくびを漏らした。
「まあ、それも諸々、兀斗から聞いたほうふぁ……早いよ。やべぇ。まじで眠い。だるい。疲れた。僕、やっぱ仮眠とってくるわ。今日の午後、オペが入ってるんだよ」
「そう。おつかれさん」
野暮に引き止めることはしない。私だって、瑠衣が手術を失敗するところなんて見たくない。新聞の見出しになるところも、もちろん。
瑠衣は「おう」と軽く手を振り、病室を出ていった。残されたのは、私と兀斗。
私は、兀斗が目を覚ますまで――ただじっと、待つことにした。
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