第33話 変わりはじめる何か。
「おい!みんな聞いてくれて!」
ヨルクの野太い声が集会所の喧騒の中を突き抜けた。
「とうした?ヨルクさん。何かあったのか?」
小太りの男性が地面から腰を上げ、こちらに向かってくる。
「ああ、みんなの力を貸してほしい」
ヨルクの言葉にほんの僅かだが、静けさを取り戻した集会所。
再び彼が口を開こうとした時――
「何言ってんのよ。この状態がわからないの?」
「今みんな魔獣から逃げてきて、大変なんだ」
「そうだ!そうだ!俺は今、家族を守ることで、精一杯だ」
「なんでこんな時に力なんて、貸さなくちゃいけないのさ」
「無理だな」
町の人たちはヨルクの話を聞く間もなく、次々と自分の大変さと否定の言葉を勢いよく返してきた。
一段と騒がしさが増した集会所に、目を見開き息を呑んだディセルネ。
ハッとした女神はヨルクの元へ近づいていき、彼のそばに立った。
見上げたヨルクの顔には、“落胆”よりも“案の定”といった色が濃く滲んでいる。
「ヨルク……おじちゃん」
呟くようなディセルネの声に、視線を向けたヨルクは肩をすくめて見せた。
何とも言えない空気が漂う集会所。
そんな町の人たちの抗議の声を遮るように、小太りの男性が声を張った。
「おい、一旦ヨルクさんの話を聞いたらどうだ」
「……」
迫力ある彼の一声に、ガヤガヤとしていたその場の喧騒がフッと途切れる。
大きく息を吸ったヨルクは、眉間に深い皺を刻みながら町の人たちに向かって口を開いた。
「マルタさんと、彼女の息子のレオンが森の中に居る。どうやらレオンが薙ぎ倒された木に挟まって動けないようなんだ。木を取り除くのに、力を貸してほしい」
ヨルクが一旦口を閉じると、再び人々は声を荒げた。
「それこそ、無理な話じゃないか!」
「そうだ、そうだ!」
「森の中には魔獣がいるのよ」
「どうして俺たちが、危険な目に遭ってまで力を貸す必要があるんだよ」
「やりたい奴が勝手に、助けに行けばいいだろ」
喧々轟々。集会所は瞬く間に、そんな言葉通りの熱を帯びていく。
小さな拳を握りしめて、ギュッと目を閉じたディセルネ。
――――まるで、つい最近までの妾じゃのう。
誰かの立場になって考えることを知らんかった頃の……妾じゃ。
外の豊かさを全てと思うて、内なる豊かさを知らんかった妾の創った世界は……、
こんなにも悲しい姿をしとるんじゃな。
妾がちゃんと見守ってこんかった結果じゃ、
……今からでも、遅うはないはず。
ディセルネはグッと目を見開いて、それから大きく息を吸った。
「お願いしますなのじゃ。
レオンを助けたいんじゃ。
マルタおばちゃんを助けたいんじゃ。
どうか、妾に力を貸してはもらえぬだろうか」
できるだけ遠くまで声が届くように、力一杯腹の底から吐き出したディセルネ。
幼い子の必死な訴えに、それまで憤怒していた人々から困惑の声が漏れはじめた。
「嬢ちゃん、気持ちはわかるが……、こればっかりはなぁ」
「そうだよ。誰も危険には飛び込みたくはないんだ」
ゆっくりと顔を上げたディセルネは口を開く。
「魔獣が危険なことは、わかっとる。
あの森を見たら、妾も恐ろしかった……。
それでも、レオンとマルタおばちゃんを助けたいんじゃ。
妾に優しくしてくれたあの二人の力になりたい……」
「確かに、俺たちもマルタさんには世話になってるよ。
……でもなぁ」
「この前うちのじいちゃんが畑で転んで動けなかった時、レオンさんに抱えて連れてきてもらったし……。
できるなら手を貸したい。
でも、もし魔獣に出会したら……」
ぽつりぽつりと語りはじめたのは、これまでマルタやレオンが手を貸した町の人々。
ひとり、ふたりが話始めたマルタ親子の話題は、いつしか町の人たち全体へと広がっていった。
「これだけ多く人間が、マルタさんやレオンに世話になったんだ。誰か一人くらいは手を貸してくれないか?」
ヨルクの声かけに、町の人々は顔を見合わせ、そして俯く。
「でもよ、ヨルクさん。
魔獣が襲ってきたらどうすんだ?」
とある男性のその言葉には、刺々しさ憤りもなかった。
腕を組んで考え始めたヨルク。
ディセルネは彼の顔をチラリと見上げて、軽く頷くと町の人たちに向かって話しはじめる。
「今魔獣は、森の奥じゃ。
レオンやマルタおばちゃんの居る所より、もっと先の方にシェリールとヤーナが誘導しとる。
まだ倒してはおらんが、二人が戦っとるところじゃ」
「誰だい?シェリールさんって?それにヤーナさん?」
「妾の保護者と相棒じゃ」
「保護者と相棒?
嬢ちゃんは町の子どもじゃないだろ。そうなると、その嬢ちゃんの保護者って人もこの町とは何の関係もないよな。
どうして……」
「そうだよな、この町から逃げた方が安全だよな。
だって、ここに住んでるわけじゃないんだし」
「わざわざ、どうして危険に飛び込んで行ったんだ?」
「“誰かを助けたいと思う”気持ちに理由はない。
どうして危険を承知で助けに行くかと聞かれてものぅ……。
うまくは話せんが、妾がつい最近教えてもろうた“心を傾ける”気持ちだと思うぞよ。
自分がやってもろうて嬉しかった事は、きっと他の誰かも嬉しいじゃろうし。
それに、自分がされて嫌な事は、他の誰かも嫌じゃろう……。
だからのぅ……、もし自分大切な誰かが危険な目に遭うとって、自分一人じゃどうにもならん時、助けてもろうたら嬉しいじゃろ?
でも、誰も手を貸してくれんかったら……」
真っ直ぐに町の人々に視線を向けたディセルネに、誰かがぽつりと言葉をこぼした。
「そうだな……、もし自分の家族がレオンさんと同じ状況なら、助けて欲しい」
静かに響いたその声に、町の人々は視線を下げる。
あちこちから微かに聞こえる、戸惑いと葛藤を思わせる声。
そんな中、ふと幼い声が投げかけられた。
「ねぇ、どうしてお父さんはレオンお兄ちゃんを助けてあげないの?
レオンお兄ちゃんは、マルタおばちゃんの宝物だよ」
大切な人形を抱えたミミが、父親の腕を引っ張って首を傾けている。
近くにいたノアも、自分の家族に向かって声をかけた。
「ディセルネちゃんが教えてくれたよ。自分に大事なものがあるみたいに、他の人にも大事なものがあるって。
ねぇ何で、マルタおばちゃんの大事なレオンお兄ちゃんを助けてあげないの?」
ミミとノアに続くように、マルタに世話になっている子どもたちが、自身の家族へ「レオンお兄ちゃんを助けてよ」と語りかける。
「子どもに言われて、気がつくなんてなぁ……」
ミミの父親は彼女をギュッと抱きしめると、立ち上がった。
「嬢ちゃん、ヨルクさん。俺、森に行くよ。
ここは俺たちの町だ。それこそ、よそから来た嬢ちゃんと嬢ちゃんの家族がこの町のために頑張ってくれてんだ。
俺たちが、ここを守るべきじゃないのか?」
ミミの父親の訴えに、覚悟を決めた人たちが動きはじめる。
「魔獣は怖いけど……、ヨルクさんと森に行こうかな」
「自分のことばっかり考えてたけど、嬢ちゃんの言うとおりかもしれんな」
「ああ、俺も行く」
「斧とか縄とか持って行ったほうがいいよな?」
一人、また一人とその場から立ち上がって、ヨルクとディセルネの元へとやってくる。
気がつけば、20人を超える人集りができていた。
ホッと胸を撫で下ろしたディセルネの目尻が下がる。
そして、ふと過った在りし日のユーデルの言葉――
“神さえ人の心は動かせない事は、忘れてはいけないよ。神はあくまで見守る存在だから”
――――ユーデル、確かに神の力では人の心は動かせん。
人の心を動かすのは、“相手に傾ける心”じゃ。
それも、ちゃんと向き合って、触れてからじゃないと、誰の心も動かんのじゃのぅ。
「さぁ、嬢ちゃん、マルタさんとレオンを助けに行こう」
藍色の空はもうそこまで顔を見せている。
僅かに残る太陽の温かさに背を押され、ディセルネと町の人たちは森へと踏み出した。




