第28話 目の前の脅威
混沌とした町中を、白い仔犬が駆けていく。
「あっ、ワンちゃん!」
森を背に逃げ出す人々の波から、幼い声が聞こえた。
「いいから、急いで!」
ちらりと振り返ったヤーナの目に、母親に勢いよく手を引かれる女の子が映り込んだ。
次から次へと、人の波が押し寄せてくる。
その間を縫って、一匹の白い神獣が森へと向かって行った。
*****
――シェリールは何処だ?
もう、森に入ったのか?
町を抜け、畑を抜けてたどり着いた森の入り口。
青々と茂った枝葉を天に向け、時折吹く風にカサカサとその葉を揺らす。
太陽は少しだけ位置を下げてはいるが、いまだ柔らかな陽を届けていた。
こんなにも美しく、自然豊かなこの大地。
それでも森の奥から流れ出てくる異様なまでの殺気と、陰鬱な空気は、ヤーナの警戒心を最大限に引き上げた。
慎重に耳で音を拾う。
風の流れに逆らって、匂いを探る。
――あっ、いたぞ。
左右を確認して、走り出したヤーナ。
小さな体で、地面を鋭く蹴り出した。
蔦の絡んだ木々の間や、背の高い草を掻き分けて進んだその先に、ソレは居た。
真っ黒な体躯に、口の横から飛び出した大きな牙。
咆哮と共に滴り落ちる流涎。
その巨体から立ち上る、禍々しまでの黒煙。
焦点の定まらない双眼は、赤く鈍く光っていた。
――なんだコレは……、
コレが魔獣なのか。
木々をなぎ倒すように黒い獣は頭部を振り回し、一直線に森を突き進む。
バキィッ‼︎
ドォォン‼︎
大木がへし折られ、地面を殴打する音が次々と響く。
枝葉は地面を覆い、天に向くのは、ささくれ立った断面だけ。
緑の天井をなくした森からは、澄み切った蒼が顔を出していた。
上の蒼とは対照的に、巨木が乱雑に積み重なった地面は、深い澱みが満ちはじめている。
ドっ‼︎ドっ‼︎ドっ‼︎
まるで目的があるかのように、“とある場所”めがけて突進し出した魔獣。
――おい、いきなり何だ。
体勢を低く保ったヤーナの視線が、黒い獣を追う。
脇目も振らずに突き進む魔獣のその先に、何かを庇うように剣を構えたシェリールがいた。
ちらっと背後を気にした彼は、すぐさま目前の脅威に意識を定める。
ギュッとグリップを握り直すと、獣に向かって飛び出した。
シェリールの振り上げた剣が魔獣の牙に噛み合い、硬質な衝突音が鳴る。
交差したままの刃と牙。
均衡した力は数秒を経て、突如魔獣が首を振ったことで動いた。
右へと飛ばされたシェリールは、片膝を地に着き転倒を耐える。
弾かれるように立ち上がり、上半身を低く下げた。
次の瞬間、魔獣の前脚めがけて飛び込み、長剣を横に一振り。
「グォォ‼︎」
斬られた獣の前脚からは、血ではなく、黒いモヤが吹き出していた。
地の底を這うように咆哮をあげ、魔獣がシェリールめがけて突進してくる。
正面に構えた彼の剣を、魔獣が牙で薙ぎ払った。
その衝撃は大きく、シェリールの体は地面に打ちつけられ、彼の手を離れた剣は弧を描き宙を舞う。
上半身を持ち上げた彼に、黒い獣が大きく口を開けて迫ってきた。
鋭い牙が彼の腹部を捉えようとしたその時――
『あっ、危ない‼︎』
白銀に輝く大きな狼が、真っ黒なケモの胴を押し返した。




