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第27話 妾には何ができるのか。

「魔獣……」

 

椅子を飛び降りて、玄関先に走り出したディセルネ。

素早く左右を確認すると、何かを探るようにじっと庭先を見つめた。

 

目に映るのは、バタバタと逃げ回る町の人々。

耳に届くのは、我先にと急ぎ周りを牽制するような怒号。


外の混乱と恐怖が、生温かい風となって部屋に流れ込んできた。


『ディセルネ』

女神の足元に寄ってきた小さな神獣は、その耳をピンとたてて周囲の音を拾う。

 

『……まだ、ここには魔獣は来ていないな』


ちらっとヤーナに視線を向けたディセルネが、外に目線を戻しながら尋ねた。

『レオンは……、レオンはこちらに向かっておるのかえ?』


『この近くには、まだレオンの気配はないな。ちょっと待ってろ』

 

庭先に駆け出して、塀に飛び上がったヤーナ。

耳と鼻をピクピクと動かして、匂いや音を辿る。

 

ふと神獣の動きが止まったかの様に見えた次の瞬間、

全身の白い毛がみるみるうちに逆立った。

 

『どうしたのじゃ?』

普段の様子とは違うヤーナの姿に、慌てて塀の下まで向かうディセルネ。


「グルルッ」

ふと見上げた先の神獣が、低く唸る様に声をあげた。

どこか先を凝視したまま、威嚇するように鼻に皺を刻むヤーナ。


『ヤーナ……、何があるのじゃ?』


ディセルネに向き直ったヤーナの耳は、捉えた何を離さぬように気配を追いかけている。

さっと塀から飛び降りると、女神の目の前に位置した。

 

『かなり大きな、何かがいる。今は森の中だ。

……レオンの気配も、森にある。急いだ方がいいぞ!』


『レオンは魔獣とは対峙しておらんのかぇ?』

『ここからじゃ、わからない。でも、レオンは同じ場所から動いてないんだ。何かあったのかもしれない……』


眉を寄せたディセルネは、軽く下唇を噛んだ。

『妾に、神力があれば……』


小さな手のひらを必死に広げて、力の残滓を辿りはじめる。

何も浮かび上がらない手掌を、開いては閉じて、閉じては開いてと繰り返した。

 

『……無理じゃ、何も起こらん』


『どうする?ディセルネ?』

焦りを含んだヤーナの念話に、ただギュッと両目をとじた力を持たぬ女神。


「ディーちゃん、ヤーナくん。一旦家の中に入って」

緊張をはらんだ声が背後から聞こえたと同時に、ディセルネの体がふわりと持ち上げられた。


「シェリール!

レオンがまだ森におるんじゃ」

クルッと向きを変えたディセルネは、必死に彼のシャツを掴んで引っ張る。


「レオンさんが、まだ森に⁉︎」

シェリールの問いに首を大きく縦に振ると、焦りを滲ませた声で話しはじめたディセルネ。

 

「ヤーナが言うには、何か得体の知れない大きなモノが森に……。

レオンに何かあったのかも知れんのじゃ」


「レオンさんに何かあったって……?何かわかったのかい?」

 

シェリールの視線が、ディセルネとヤーナを行き来する。

ゆっくりと問いかける彼の声に、ディセルネの鼓動が少しだけ速度を緩めた。

 

シェリールの胸元から片手を離し、自身の胸にそっと添えると深呼吸する小さな女神。


「レオンが、同じ場所から動いておらんようじゃ。意図的にそこに留まっておるのか、何かが起こって動けんのか……、そこまではヤーナにもわからんようじゃ」


「わかった、僕が行く。

ディーちゃんと、ヤーナくんはここでマルタさんと一緒に待ってて」

 

シェリールに抱えられ戻った室内――――

そこにあるのは空虚な静寂。

まるで全ての色が抜け落ち、時の流れを止めたような物悲しさに満ちていた。


「……マルタ、おばちゃん」

ディセルネの目に飛び込んできたのは、床に力無く蹲ったマルタ。


シェリールの腕の中から滑り降りたディセルネが、彼女に駆け寄ろうと踏み出したその時、

俯いたマルタから漏れ聞こえてきたのは、悲痛なまでもの祈りの言葉たち。


「神様……、この世界の神様……、どうか息子を、レオンをお救いください。私の命と引き換えでもいいです。だから……お願い……、息子をお助けください」

組んだ手を額に押し当てて、何度も何度も繰り返される神への祈り。

 

ディセルネの足はまるでそこに縫い付けられたかの様に、びくとも動かない。

ただ目を見開き、ハクハクと促進し始めた呼吸の音が耳に木霊する。

知らず知らずのうちに硬く握り締められた小さな手は、微かに震えていた。


そばに寄ったヤーナが、ディセルネの手をぺろりと舐める。

ほんの少しだけ緩んだ手に、神獣は頭を擦り寄せた。


――――妾がこの世界を、ちゃんと見守って居れば……。

こんなにも誰かが苦しむ事はなかったはず。

妾の責任じゃ。


何も力のない妾に、

神としての力を失った妾に、

今の妾に何ができる?


妾に……できる事。


ゆっくりと両目を閉じ、深く息を吸ったディセルネ。

静かに全てを吐き出すと、ただ真っ直ぐにマルタに向かって歩き出した。


『ディセルネ?』

心配の色を滲ませたヤーナの念話に、振り返ることなく足を進める女神。


マルタの背後にまわったディセルネは、短い両腕を精一杯広げると、ふわりと彼女の背中を抱きしめた。


「マルタおばちゃん、ごめんなさいなのじゃ。

今の妾には、これくらいしか思いつかん……」


ハッとしたように顔を上げたマルタは、背中から伸びる小さな腕に自身の手を添えて微笑んだ。


「どうしてディセルネちゃんが、謝るんだい?

あぁ、心配してくれたんだね。


……ありがとう、レオンはきっと無事さ」


「……マルタおばちゃん」


*****


ドスン――

ディセルネのすぐ側で音が響く。

 

振り向くと荷袋を床に置いたシェリールがいた。

そこにあるのは、彼の麻地の荷袋。

 

「シェリール?」

伺うようなディセルネの声に、ちょっとだけ視線を寄越したシェリールは静かに頷くと、荷袋に手をかける。

 

彼が取り出したものは、いつも荷袋から顔を出している白い布に巻かれた何か。


丁寧に、そして素早く巻かれた布を外すシェリール。


覆いをなくしたソレは――

 

鞘に金で細かい蔦の様な紋様が刻まれた、長剣。

長年使い込まれた剣のヒルトは、くすんだ銀色をしていた。


「シェリールよ、その剣は……」

ディセルネの声に、顔を上げ柔らかく微笑んだ彼。


「大丈夫、僕に任せて。

マルタさん、僕が森に行ってきます。ディーちゃんと、ヤーナくんをお願いしてもいいですか?」


「っあ、危ないよ。森には魔獣がいるんだ。シェリールさんは、ディセルネちゃんとヤーナくんを連れて、ここから逃げなさい」

咄嗟に立ちあがろうしたマルタの体が、ぐらりと傾いだ。


「おぉ、マルタおばちゃん!危な……」

倒れかかったマルタの体を、全力で支えたディセルネ。

転倒こそしなかったが、勢い余ってディセルネも彼女と共に床に座り込んだ。


「心配しないでください。僕の仕事ですから。ディーちゃん、いい子で待ってるんだよ。ヤーナくん、ディーちゃんの事よろしくね」

いつもの調子の、優しく穏やかな彼の声。

シェリールは軽く手を振って微笑むと、颯爽と先を急いだ。


彼の背が視界から消えた途端、ディセルネが神獣を呼ぶ。

「ヤーナ、お願いじゃ。其方の力を妾に貸しておくれ。

シェリールを、レオンを守っておくれ」


『ああ、任せておけ。俺がお前の大切なものを守ってやる』


色を失ったような空気を切り裂くように、一匹の神獣が飛び出して行った。



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