第26話 不穏の訪れ
真上の太陽が、庭の木々の葉をすり抜けて光を散らす。
地面に落ちた揺らめく影を、ヤーナと一緒に追いかけてまわるディセルネ。
ふと顔を上げ、揺れる木の葉と光に目を細めた小さな女神。
――――穏やかじゃのう。
天界に居ったら、この景色は見られんかったのじゃなぁ。
『どうかしたか?ディセルネ?』
『おぉ、ヤーナ。この木の下から空を見ておったのじゃよ。キラキラして綺麗なんじゃ』
空を見上げたヤーナ。
彼の鼻頭がピクピクと動くと、「クシュン」とくしゃみが出た。
『風邪かぇ?』
『いいや、鼻がムズムズしただけだ』
そんな二人を、柔らかい風がそっと包んで離れていった。
規則的に聞こえていたコン、コン、コンっと木を割る音が途切れる。
少し先へ視線を向けると、斧を置いたシェリールが腕を伸ばして背伸びをした。
「シェリールや、薪割りは終わったのかえ?」
「今終わったところだよ。この薪を小屋に運んでくるから、もう少し待ってて」
「妾も手伝うぞよ」
駆け寄ってきたディセルネは、地面に転がっている薪を拾う。
「棘に気をつけね」
薪を運んでいるディセルネとシェリールの後を、ヤーナがコロコロと走り回って着いてくる。
三往復目を終えようとした時、帰宅したマルタの声が聞こえた。
「あら、ディセルネちゃんもお手伝いしてくれてるんだね。
ありがとうね。ほら、美味しそうなサンドイッチを買ってきたから、みんなでお昼ご飯にしよう」
マルタの買い物カゴには、野菜やパンがびっしりと入っている。
「マルタさん、こんなに沢山の買い物、大変だったでしょう。荷物持ちについて行けばよかったですね。気が利かずに、すみません」
小屋に薪を置いたシェリールはマルタの元まで駆け寄って、彼女の荷物を受け取った。
「気にする事ないよ。これくらいは、いつものことさ。それより、お腹減っただろ?早く手を洗っておいで。
おや、レオンはまだ帰ってないのかい?」
庭先や家の窓に視線を動かして息子の帰宅を確認するマルタに、ディセルネが言う。
「まだじゃよ。レオンの学校は、もう終わる時間なのかぇ?」
「今日は午前中だけの授業なんだよ。
ああ、レオンは森に果実を取りに行くって言ってたね。それじゃ、もうしばらくは帰ってこないだろうから、先にお昼食べて待ってようかね」
「レオンもお腹が減ってるじゃろうに……」
眉を下げたディセルネの頭に、マルタの優しい手が伸びる。
「ディセルネちゃんは、あの子の事を気にかけてくれてるんだね。ありがとう。
レオンは今頃、張り切って果実を取ってる頃だろうから心配いらないよ。それに、“味見だ”っていってつまみ食いしてるさ」
*****
テーブルの上にあるサンドイッチと紅茶。
ディセルネは子ども用の椅子に座って、マルタとシェリールが席に着くのを待った。
「さあさあ、食べようかね。ディセルネちゃんは、ハムと卵のサンドイッチ。シェリールさんはチキンを挟んだサンドイッチだよ。ヤーナくんもサンドイッチでいいかい?」
『おう!サンドイッチがいいぞ』
マルタの足元で、パタパタとしっぽを揺らすヤーナ。
お利口さんに前足を揃えて、お座りすると「ワン」と一鳴き。
『まるで仔犬じゃのう』
『狼の神獣だ』
『“待て”ができる可愛い犬にしか見えるがのう』
『ディセルネだって、食事を待つ幼子にしか見えないが?』
視線を交わす事なく念話で揶揄い合う二人。
静かに繰り返される応酬は、ヤーナの目の前にサンドイッチが置かれた事で終了した。
『いただきます!』
勢いよくパンに齧り付く、仔犬の様な神獣。
ヤーナの様子をじっと見つめていたディセルネの前にも、サンドイッチと紅茶が置かれた。
「おぉ、美味しそうなのじゃ。いただきます」
小さな手でパンを持ち上げると、今にも中身がこぼれ落ちそうなほど、具材がぎっしりと入っている。
ディセルネは精一杯口を開けて、大きく齧り付いた。
女神の口の周りには、パン屑が張り付いている。
「ディーちゃん、口の周りにパンがついてるよ」
シェリールは笑いながら、ディセルネの口周りを拭った。
「おぉ、ありがとうなのじゃ」
*****
「マルタおばちゃん、森は遠いのかえ?」
「いいや、歩いて15分くらいの所にあるよ。どうしたんだい?」
入り口の扉をじっと見つめて、マルタに声をかけたディセルネ。
「レオン……、まだかのう?妾、迎えに行ってこようかと思うて」
バタバタ、ドンドンドン!
誰かの走ってくる音と、扉を叩く音が響いた。
「ほら、帰って――」
マルタがディセルネに話しかけようとしたその時、勢いよく扉が開く――――
見知らぬ男の人が青ざめた顔で叫んだ。
「魔獣だ!森に魔獣が出た!こっちに向かってくるぞ」
開け放たれた扉の先には、午後の日差しが地面をさす。
明るいはずのそこは、まるで色をなくした様な重苦しさが漂っていた。




