第19話 遠い記憶の物語(前編)
ここは神々が住む天界、
ディセルネが誕生する少しだけ前の時間軸――――
「おお、世界の芽が生まれとる。実に500年ぶりじゃな」
水鏡から顔を上げた創造神デウスが、感嘆の声をあげた。
「デウス様、今世界の芽と……」
白く淡い輝きを放つ髪を靡かせ、デウスに近寄ってきた1人の男性。
一見すると女神かと見紛うほどに中性的な美しさを放つその神は、期待に目を輝かせてやってきた。
「小さな芽が生まれとるんじゃ。さあ、これから忙しくなる。ユーデル、皆をここに集めてくれぬか?」
「はっ、はい。こうしてはいられません、急がなくては」
風を切るようにサッと向きを変えたユーデル。
すれ違う神々に吉報を伝えてまわる彼の声は、まるで春の到来を告げるかのような浮き足立つものだった。
「ユーデル様?なんだか嬉しそうに見えますが……、何かあったのですか?」
駆け足ともとれる彼のスピードに、ピッタリと寄り添う一匹の白い狼。
「あぁヤーナ、君は初めてだったね?今から新たな神が誕生するんだよ」
「新たな神様がですか?」
「そうだよ、世界の芽が生まれると我々神が神力を使って祈るんだ。そして、その祈りから世界の芽を守護する神を誕生させるんだよ」
「俺みたいに、神様の神力から生まれるのか……」
「まぁ、そうなるね。でも、ヤーナは私の命のカケラと神力で生まれただろ?今から誕生する神は、命のカケラは使わないんだよ」
「……何が違うんですか?」
「我々は祈りに各々が持てる知識や経験、想いを込めて神力を練り上げる。それを融合させて新たな神の命とするんだ」
「……なんだか難しいです。つまり神様方にとっては、自分たちの想いの分身?みたいなものなんでしょうか?」
ふと足を止めたユーデルは、自分の顔の高さにあるヤーナの頭に手を乗せた。
フワフワとした白い毛並みに、彼自身の指を滑らせるように優しく撫でながら微笑む。
「そうかも知れないね。でも、私にとっては家族のような存在なんだよ。神は人間とは違って、親の腹からは生まれない。親子や兄弟のような関係性を語るのはおかしいのかもしれない……。それでも私は、その温かな繋がりに憧れているんだ」
*****
四方を白い柱が囲う祈りの間――――
中央に位置する泉に沿って、十余りの神々が陣を取る。
各々が神力を練り上げ始め、深く長い祈りに入った。
その様は神々で異なり、立ったまま両手を組む者、両膝を床につき瞑想する者、天高く手掌を突き上げる者。
それぞれの神が、個々の仕様で新たな命の元を生み出す。
これを世界の芽が生まれるたびに、神々は繰り返してきた。
一瞬、水を打ったかのような静謐な空気が吹き上がった。それと同時に、神々の胸元から光の線が立ち上がったかと思うと、瞬く間にそれらは泉の中心へと吸い込まれていく。
それを合図に神々は祈りを解いて、泉をじっと見守った。
やがて花の蕾にも似た何かが水面に浮き上がると、重力を無視して宙に位置する。
「さあ、いよいよ新たな神の誕生じゃ」
創造神デウスの声に、周りの期待が蕾に集まる。
「……」
「っえ?」
「な、なぜ?」
数分の後、困惑を宿した声が祈りの間に反響し出した。
「……デウス様」
焦りの滲んだ声でユーデルが、創造神デウスに視線を向ける。
「こんな事は、初めてじゃ……。
世界の芽そのものが脆弱だったのか、我らの祈りが形にならんかったのか……。
この命は……、育たぬかもしれぬ」
低く深いデウスの声は、神々に諦めを覚悟させる響きとなった。
「仕方ない……」
現状を受け入れ始めた神々の声が、一つまた一つと祈りの間に落ちた。
ただユーデルだけはデウスの元に駆け寄って、可能性を口にする。彼の前に膝を折ると、まるで祈るかのように。
「そんな……、まだ“新たな世界”も、この“神の命”も、芽吹くかも知れないではありませんか!
デウス様、もうしばらく私にこの子を見守らせてください。私の神力で……、この命を……」
深く大きく息を吐いたデウスは、静かに告げる。
「なぜそこまでして、この命にこだわるのじゃ?そもそも命になり得るかもわからんのだぞ。
……それほど其方が願うのであれば、やってみなさい。ただし、期限は一年とする。これ以上は其方の魂の負担となり得る。よいな?」
「はい、ありがとうございます」
*****
「ユーデル様?今から祈りの間ですか?」
「そうだよ、ヤーナも一緒においで。あの子に“早く出ておいて”って話しかけよう」
ユーデルと共に歩くのは、神獣ヤーナ。
かれこれもう十ヶ月、彼らは日に幾度も祈りの間へと足を運んでいる。
「ユーデル様、少し休まれたらどうですか?最近お顔の色が優れませんよ」
心配を滲ませたヤーナに、彼は微笑む。
「大丈夫、心配してくれてありがとうヤーナ。でも、あと少しであの子が誕生する気がするんだ」
「それ、もう十ヶ月ずっと言ってますよね?」
「そうだったかな?
ほら、あの子のいる蕾、今日はなんだか淡く光って見えるでしょ?」
泉に浮かぶ蕾の輪郭が、ほんの僅かに光を帯びていた。
「さあ、ディセルネ、パパだよ。早く出ておいで」
「ユーデル様……、いつからパパになったんですか?それにディセルネって」
「ん?最初からだけど」
「いや、最初からって。名前もいつ決めたんですか?」
ふわっと微笑んだユーデルは、ヤーナの頭を優しく撫でる。
「この子の命を守ると決めた時だよ。それに、この子の命は私の神力で繋いでいるでしょ?それってもう私の子どもだよね」
「ああ、そういう理屈ですか……」
「理屈って言うけど、よく考えてごらん。つまりは君の妹か弟って事にもなるよね?だってヤーナは私の命のカケラと神力で生まれたんだから」
「俺の……」
穏やかに目を細めたユーデルはゆっくりと泉に足を進めると、蕾を抱きしめるように神力を注ぎ始めた。
やがて一筋の光が天高く立ち上る――――
まるで花弁が開くように、固く閉じていた蕾が綻び始める。
最後の一枚が泉に落ちると、そこには言葉にならないほどに美しい少女が眠っていた。
「待っていたよ、ディセルネ」




