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第1章 第6話 狂気の筆と、連行される画家



私もまた、完全に限界を迎えていた。


ルッカからバトンを受け取ってから、私は寝る間を惜しんで等身大の像の着色に挑み続けていた。


昼間は、消石灰の確保とアトリエへの出入り禁止を怪しまれないためのカモフラージュとして宿の壁を爆速で補修し、夜は夜でアトリエに籠もって狂気的な集中力で筆を動かす。


――まさに己の命の蝋燭を削り落とすように働き続けていた。


体力はとっくに底を突いていたが、隣のベッドを見れば、ルッカは文字通り使い物にならないくらいの廃人と化していた。


ときどきゾンビのように目を覚ましては、私が昼間のカモフラージュの合間に厨房から必死に運んできたロベルタのスープを無言で胃袋に流し込み、またすぐベッドに倒れ込んで泥のように眠る……という「抜け殻生活」を繰り返すばかりだった。


「おい、ルッカ……」と声をかけても、返ってくるのは地響きのような大いびきだけ。

今こいつを無理に起こしたら、本当に死んでしまうかもしれない。



(……やるしかない、私ひとりで!)



「失敗すれば即、火炙り」




その恐怖と気力だけで、私は筆を動かし続けていた。



もう、後はない。



意識が朦朧とする暗闇の中、ルッカのいびきをBGMにしながら、私は狂気的な集中力で彩色に没頭していった。


だが、大理石の粉を混ぜたスタッコの表面は、普通のキャンバスとは絵の具の吸い込みが全く違った。


少しでも筆が止まれば色は斑(むら)になり、神聖なマリア様の肌はただの汚れた泥人形に成り下がる。


だからこそ、私はあえて絵の具を限界まで薄く溶き、何層も、何十層も重ねる技法を施していった。



私だけの禁忌の絵画技法。



この時、私の脳内には「聖母マリア」の神聖さなど微塵もなかった。


私の目を捉えて離さないのは、私の欲望のすべてを投影した究極にグラマラスな曲線美。


それだけが、私の狂った筆先を突き動かしていた。


極限状態の変態の筆が、白い肉体をねっとりと染め上げていく。



◇



――そして、約束の『2週間』の期限を迎える、早朝のこと。



窓から差し込む朝の光を受けながら、私は最後の仕上げとなる一筆を、聖母の瞳にそっと入れた。



やり切った。



限界だった。



筆を握る指先が、ガタガタと震えている。



「おい……ロッシュ。完成したのか?」


「うわっ!?」


静寂を破って、背後から突然かけられた低い声に、私は心臓が跳ね上がるほど驚いて振り返った。


そこには、1週間ぶりにようやくまともな人間の目に戻ったルッカが、寝起きの頭を掻きながら立っていた。

あまりの眠気と疲労で、私は彼がベッドから起き上がった気配にすら気づかなかったらしい。


ルッカは、朝日に照らされた完成済みの彩色彫刻をじっと見つめた瞬間、その場にカチリと凍りついたように息を漏らした。


「おい、ロッシュ……お前、この彫刻に一体何て色を塗りやがった……? 白いスタッコのはずなのに、まるで今にも動き出しそうな、生々しい大人の女がそこに立っているみたいじゃねえか……」


私は掠れた声で不敵に笑った。



「ああ。……我らの、聖母マリアだ」



「流石だな、ロッシュ。ただの変態じゃなかったか」


「うるさい……バカ野郎……」



その言葉を聞き届け、筆が手から滑り落ちた瞬間、今度は私の糸が完全に切れた。


バタッ、と泥のような眠りへと真っ逆さまに落ちていった。

ルッカから渡された魂のバトンを、私はアンカーとしてゴールまで繋ぎきったのだ。


ルッカの呆れたような声が遠くに聞こえる。


彼は、完成した像に素早く大きな布を被せると、訪れるであろう教会の使者を迎え撃つため、冷めかけたスープの残りを一気に胃袋へ流し込んだ。


◇



「おい、起きろ変態画家! 連行されるぞ!」というルッカの焦った声で、私は強制的に目を覚まさせられた。


正確には、目を覚まさざるを得なかった。


ガタガタ、ゴトゴトとケツの下から凄まじい振動と

馬のいななきが響いてくる。


「うわあああ!? 冷てえ! っていうかここどこだよ!?」


驚いて跳び起きた私の身体はベッドの上ではなく、教会の屈強な兵士たちによって、荷台の上の「聖母マリアの像」とセットで、ものすごい勢いで運ばれている真っ最中だった。


「気づいたか! さっきお前が泥のように寝た後に、教会の騎士様が兵士を引き連れてドアをブチ破ってきたんだよ! 期限当日の朝だからって、挨拶もなしにアトリエから像ごと力ずくで引っ張り出されたんだわ!」


隣で同じように荷台の隅に括り付けられているルッカが、病み上がりの真っ白な顔をさらに引きつらせ、命綱のロープを必死に握りしめながら絶叫する。


一週間分の疲労が1ミリも抜けていない彼の声は、すでにガラガラに枯れ果てていた。


お披露目の式典を前に、私たちは司教の元へと召喚――もとい、像ごと強制連行されたのである。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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(次回も、楽しみにお待ちください!)


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