第1章 第4話 壊れた画家と鉄の視察者
ロベルタの特製肉スープを胃袋がはち切れんばかりに堪能した、その翌日のことである。
「へへ……へへへへっ……!」
朝から部屋の隅で、ロッシュが不気味な笑い声を漏らしながら、一心不乱に羊皮紙へ何かを書き殴っていた。
珍しく朝食にも手を付けていない。
ルッカはそれを見つめながら、「あの女将のスープ、実は毒でも入ってたんじゃねえか」と本気で疑い始めていた。
「おい、ルッカ! 貸してみろ、いや見てみろ!」
ロッシュが、まるで世界をひっくり返す大発明でもしたかのようなドヤ顔で、一枚のデッサンをドンとルッカの鼻先に突き出した。
「……は? 誰だよ!この女」
ルッカが覗き込んだ紙には、一人の女性の姿が描かれていた。
上から下まで厳かな長いローブを身にまとっている。
そして左手には、なぜかパンが入っていると思しきバスケットを抱えていた。
だが、一番の問題はそこではない。
衣服の隙間から覗く肌の質感や布越しに伝わるような女性らしいしなやかな曲線美が執拗なまでに、しかし見事に描き込まれているのだ。
まるでローブを脱いだ姿を想像させるような、あまりに生々しい描写であった。
「ハハハッ! ロベルタだよ!女将のローベールータ! 少々……いや、かなり若くっ!美しく補正してやった! どうだ、このローブから覗く女性の美しさ。最高だろー!」
あの醜い大魔王の姿とはかけ離れ、成熟した信じられないほどグラマラスな美肉体。
特に胸とお尻のラインは、完全にロッシュの欲望のままに盛られまくっていた。
やはり毒入りだったらしい。
プロの画家ロッシュの脳は、変態の熱に浮かされて完全に振り切れていた。
ルッカが「聖母を描くって意味、分かってるか?」とツッコむ気力すら失い、ただ呆気にとられていた、その時だった。
――バァンッ!!!
昨日よりもさらに重々しい衝撃音とともに、部屋の扉が乱暴に押し開けられた。
まだ昼飯時でもないのに『何事だ!』と二人が入り口に視線を送った瞬間、部屋の空気が一瞬で氷結した。
そこに立っていたのは、まばゆい銀色の甲冑に身を包み、腰に長剣を帯びた男。
――教会の秩序を維持する『厳格な聖堂騎士』
「貴様らの進捗具合を視察にきた。」
地獄の使者のような低い声が、静かな部屋に響き渡る。
『『やべええええええっっ!!!!』』
二人の心の叫びが、完璧にシンクロした。
2人が息を呑んで硬直するなか騎士の冷酷な眼光が、まだインクの乾いていないロッシュの手元へと容赦なく突き刺さった。
「……おい、貴様!何を持っている!」
ロッシュの頭の中は一瞬で真っ白に……
服を着せていると言い張るには、あまりにも欲望が投影されすぎている究極にグラマラスな曲線美。
もしこれが騎士の手に渡れば、間違いなくその場で『変態の再犯』として即座に極刑が確定する。
ルッカの顔からも、完全に血の気が引いていた。
「こ、この絵ですか……? ええっと、それは……」
ロッシュの目がクルクルと泳ぎ出す。
それを見かねたルッカが、咄嗟に声を裏返しながら横から説明をねじ込んだ。
「聖母マリアが、人々に『寵愛』を運ぶお姿の絵ですッ!!」
ルッカの精神も限界だった。
衣服の隙間から淫らな曲線が覗くロベルタのデッサンだなんて、口が裂けても言えるはずがない。
「ふむ……妙に色っぽいが?」
騎士が不審そうに目を細める。
すると、ロッシュが変なスイッチが入ったように真っ直ぐな目で言い放った。
「女性の美を突き詰めました」
やはりロッシュは、良くも悪くも芸術に対して真っ直ぐな変態だった。
「ふむ。まぁ、よかろう。私は芸術には疎いからな、そういうものか。して、彫刻の方の進み具合は?」
騎士は興味を失ったように視線を外した。
そして、部屋の隅にある。
布が被せられた石の塊(もちろん手付かずで、遊び半分でロッシュが叩いていただけのただの大理石)に目をやった。
「はっ! まだ途中ですが、ご覧になられますか?」
ルッカが引きつった笑顔でごますりを決める。
「いや、結構。完成するまで司教殿しか見られないのが教会の規則でな。順調そうなら結構、結構」
「さようですか! 終盤にかけてラストスパートなので、早急に作業に取りかかりたいのですが……」
早く出ていってくれ、と祈るルッカの横で、ロッシュは「アワアワ」と壊れた玩具のような声しか出せなくなっていた。
「では、私は失礼する。……ああ、言い忘れていたが、あと『2週間』で完成させろ。その日に式典を執り行う。お前らの進捗など、教会の知ったことではないのでな」
騎士は口元に意地の悪い笑みを浮かべた。
「おや? 言っていなかったかな? では、失礼」
――バタン。
重々しい扉が閉まり、部屋に一気の静寂が戻る。残されたふたりは、しばらく微動だにせず、死んだ魚の目で同時に呟いた。
「「無理じゃね?」」
2人の乾いた声が、誰もいない部屋に虚しく響いたのであった。
◇
「ロベルター! ロベルター! おーぃ!」
ルッカはバタバタと騒がしい足音を響かせ、宿の厨房に向かって大声で叫んだ。
「なんだい? 珍しいね、厨房まで入ってきて。さっき来た教会の騎士様に、てっきり連行されたと思ったのにさ」
お玉を片手に振り返ったロベルタの口から、相変わらずの毒舌が飛び出す。
「いやー、それがさ! ロッシュの野郎のデッサンがやっと終わってね。これからいよいよ彫刻に取りかかるんだが……その間、ロッシュはすることがなくて暇だから、宿の壁を綺麗にしたいって言い出したんだ。だから倉庫の『消石灰』を分けてくれって頼まれてさ」
ルッカは調子よく頭をかいた。
当時は、壁の修復や消毒のために消石灰を水に溶かして塗るのが一般的だった。そうすると、外壁が真っ白に美しく仕上がるのだ。
「へぇ、あの変態がねぇ? そりゃあ嬉しいね! 倉庫の隅に置いてあるから、勝手に持っていきな!」
「ありがとよ、姐さん! 」
ルッカはニカッと笑うと、重い消石灰の袋を担いで部屋へと戻った。
部屋の扉を開けると、そこには床の隅で小さく丸まり、絵の具のバケツのように暗く絶望しているロッシュの姿があった。
「……終わった。終わったよルッカ。あんな短期間で等身大の像なんて、作れるわけねえだろ……」
「おいおい、諦めるんじゃねえよ。我に秘策あり、だ!」
ルッカは落ち込むロッシュの背中をバシッと叩き、白い歯を見せて不敵にサムズアップした。
タイムリミットは、絶望の「2週間」。
しかし、ルッカが持ってきた消石灰と大理石の粉が合わさるとき、ふたりの天才の反撃が始まるのだった。
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