第九十六話 世界最強の後衛
第九十六話 世界最強の後衛
父との別れから一週間ほど経った朝、レインはいつものように冒険者ギルドの依頼掲示板の前に立ち、何十枚も並んでいる依頼票を眺めていた。
魔王軍と戦い、国境を越え、世界継承機構の深部へ潜り、別の世界にまで足を踏み入れた人間が探している依頼としては、あまりにも地味なものばかりだったが、レインはむしろその中から選ぶ時間を気に入っていた。薬草採集、街道警備、商隊護衛、農村周辺の魔物調査といった仕事には、世界の存亡も六千年前の因縁も関係なく、依頼を達成したからといって歴史に名前が残ることもないが、誰かがやらなければ困る人がいるという点では、かつての戦いと何も変わらない。
「まだ決まらないのか?」
後ろからガルドに声をかけられ、レインは一枚の依頼票を掲示板から外した。
「これにする」
ガルドが受け取り、内容を確認する。
王都から北東に二日ほど進んだ村まで、薬品と農具を運ぶ商隊の護衛で、危険度はEランク相当。報酬も高くなく、道中に出現する魔物もせいぜいFランクからEランク程度と記載されている。
「また護衛か」
「嫌なら別のでもいいけど」
「いや、俺は構わん。最近はこういう依頼の方が、お前も楽しそうだからな」
ガルドにそう言われ、レインは否定しようとしてやめた。
受付へ依頼票を持っていくと、顔なじみの職員が内容を確認した後、レインの冒険者証と依頼票を交互に見ながら苦笑した。世界継承機構に関する一連の出来事を知るギルド上層部からすれば、レインたちにEランクの護衛を任せる必要などないのだろうが、本人たちが希望する以上、断る理由もなかった。
「参加者はいつもの皆さんですか?」
「今日は多いよ。久しぶりに全員予定が空いてるから」
その言葉通り、王都の東門に集合した人数を見て、依頼主の商人は完全に困惑していた。
ガルド、リリア、セラ、ミア、ノア、エマに加え、カインまでいる。少し離れたところではユウトが荷馬車を眺め、アイリスとエル、ノエルも見送りに来ていたため、事情を知らない商人からすれば、Eランクの護衛依頼に必要な人数とは到底思えなかった。
「ええと……全員、護衛の方でしょうか?」
「何人かは見送りです。実際に行くのはこっち」
レインが説明すると、商人は少し安心したものの、それでも人数が多いことに変わりはなく、最後にレインの冒険者証を確認したところで表情が止まった。
「Dランク?」
「はい」
「代表の方が?」
「一応」
商人の視線がガルドの巨大な盾へ移り、次にリリアの杖、エマの装備、カインへと順番に動いてから、もう一度レインへ戻ってくる。その反応を見たガルドが笑いを堪え、カインは遠慮なく吹き出した。
「まだそれやってるんだ」
「別に俺が決めたわけじゃない」
「規格外って認定されたんだから、冒険者証にも大きく書いてもらえばいいのに」
「嫌だよ。Dランクで困ってないし」
実際、レインの戦闘ランクがDであることに間違いはない。攻撃能力を持たず、防御能力も単独ではDランク程度しかない以上、既存の基準で測ればそうなるのだから、本人には変更を求める理由がなかった。
商隊が出発すると、レインは自然に最後尾へ回った。
前方にはガルドが立ち、リリアとミアが荷馬車の近くを歩き、ノアは街道と周囲の地形を確認しながら安全な進路を選んでいる。セラは少し先の未来を必要以上に覗くことなく周囲へ注意を払い、エマは荷台から聞こえる僅かな金属音が気になるらしく、休憩になったら固定具を確認すると言っていた。
以前なら、レインは全員の状態を絶えず確認し、誰かが疲れる前に支援を入れ、危険が起きる前に可能な限りの準備を整えていた。しかし今では、必要のない支援を先回りして与えることはせず、それぞれが自分で判断して動く姿を最後尾から眺めている。
それでも、本当に必要になった瞬間だけは見逃さない。
午後になり、街道脇の森から十数体の魔物が現れた時にも、レインが最初にしたことは攻撃の指示ではなく、商隊の馬が怯えないよう《全域支援》の範囲を僅かに調整することだった。ガルドが前へ出れば防御に必要な部分だけを補い、リリアが魔法を放つ瞬間には出力を最低限だけ底上げし、逃げ道を探した魔物については追撃させず、そのまま森へ戻していく。
戦闘は数分もかからず終わった。
「終わり?」
依頼主が荷馬車の陰から顔を出した時には、街道には倒された数体の魔物が残っているだけで、仲間にも馬にも傷一つなかった。
「終わりです。この先もしばらく問題ありません」
レインが答えると、商人は納得できないように仲間たちを見回した。
「あなた、何もしていなかったように見えましたけど……」
「それでいいんです。後衛なので」
隣にいたカインがまた笑った。
二日目の夕方、商隊は予定より少し早く目的地へ到着した。薬品も農具も一つとして失われず、馬車にも損傷はなく、負傷者も出ていないため、依頼としてはこれ以上ないほど平凡な成功だった。
村の入口で荷物を降ろしていると、一人の若い冒険者がレインたちへ近づいてきた。
まだ十代後半ほどで、装備から見ても駆け出しなのだろう。最初はガルドへ話しかけようとしていたが、仲間たちが何となくレインの周囲へ集まっていることに気づき、戸惑いながら声をかけてきた。
「あの……もしかして、レイン・アークさんですか?」
「そうだけど」
青年の顔が一気に緊張した。
「やっぱり。魔王軍との戦いで、ずっと後ろから全員を支えていたっていう……」
レインは少し困って仲間たちを見る。
あの戦いから随分と多くの出来事があったため、本人にとっては遠い昔のように感じるが、世間にとってレイン・アークという名前が広まった最大の理由は、今でも魔王軍との戦いだった。
攻撃能力を持たず、何度も役立たずと呼ばれてパーティを追放されながら、それでも後衛として仲間を支え続け、最後には世界でも指折りの者たちを一つのパーティとして戦わせた。その話にはすでに多少の脚色も混じっているらしく、レイン自身が聞いたことのない逸話まで増えている。
青年は興奮した様子で続けた。
「ギルドで聞きました。あの時のパーティは、世界最強だったって」
「どうだろう。強い奴なら他にもいるよ」
「でも、その人たちを全部支えていたんですよね?」
レインは答えず、少し先にいる仲間たちを見た。
ガルドは相変わらず巨大な盾を背負い、リリアはミアと何かを話しながら荷物を確認し、セラは村の子供に未来を見てほしいと頼まれて困っている。ノアは帰路の予定を組み直し、エマは農具の一つに不具合を見つけて勝手に修理を始め、カインは働いているふりをしながら明らかに休んでいた。
誰一人として、レインがいなければ立っていられない者はいない。
それが何より嬉しかった。
「俺が強かったわけじゃないよ」
青年が不思議そうな顔をする。
「じゃあ、どうしてそんな人たちが集まったんですか?」
その質問には、レインも少し考えた。
才能を見つけたからだと言えば、それは間違いではない。誰にも評価されなかった力を見つけ、必要な場所へつなぎ、成長できるよう支えたことも事実だったが、それだけでここまで一緒に歩いてきたわけではなかった。
「最初は、みんな自分が弱いと思ってたんだ。俺も含めてね」
「レインさんも?」
「三回もパーティを追い出されたから」
青年が目を丸くし、後ろで聞いていたガルドが声を上げて笑った。
レインも笑いながら、荷物を降ろし終えた仲間たちのところへ戻った。
翌朝、王都へ帰る道でも、レインはいつものように最後尾を歩いた。
昔はそこが、自分に残された唯一の場所だと思っていた。攻撃できないから前へ出られず、盾役にもなれないから仲間を守れず、荷物を持ち、料理を作り、傷ついた者を支援しながら、誰よりも後ろを歩くしかないのだと思っていた。
けれど、今なら分かる。
最後尾にいるからこそ、全員を見ることができる。
前を歩く者が迷えば道を示し、転びそうになれば支え、力を出し切れない者がいればその才能を引き出し、それでも本人が自分で歩けるなら余計な手は出さない。世界を救う力を手に入れた後でさえ、レインが最も自分らしくいられる場所は、結局ここだった。
「レイン!」
前方からガルドが呼んでいる。
どうやら休憩場所を決めるらしく、リリアたちもこちらを振り返っていた。
レインは少しだけ歩調を速めた。
かつて無能と呼ばれた男は、英雄になるために旅を始めたわけではない。世界最強になろうとしたこともなければ、世界を背負う使命を望んだこともなく、ただ自分にもできることがあるのなら、それを必要としている仲間のために使いたかっただけだった。
その結果として、世界最強と呼ばれる仲間たちが彼の前を歩いている。
そして、その全員を見渡せる場所に、一人のDランク冒険者がいる。
レイン・アークは今日も剣を持たず、誰よりも後ろから仲間たちと同じ道を歩いていく。
それこそが、彼が最後まで選んだ生き方だった。
世界最強の後衛として。
――完――
あとがき
最後まで『世界最強の後衛』をお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、作者にとって初めて書いた小説です。
小説を書こうと思った時、「攻撃する力はないけれど、仲間を支えることなら誰にも負けない主人公を書いてみたい」という思いから、レイン・アークという人物が生まれました。
何度も無能と言われ、パーティを追われたレインが、仲間たちの才能を見つけ、その力を引き出しながら成長し、やがて「世界最強の後衛」と呼べる存在になっていく。それが、この物語で描きたかったことです。
初めての作品ということもあり、振り返れば、もっと上手く書けたのではないかと思う部分もたくさんあります。それでも、レインと仲間たちの物語を最後まで書き終えることができたことを、今は素直に嬉しく思っています。
物語はここで終わりますが、彼らの人生はこれからも続いていきます。きっとレインはこれからも、仲間たちを見渡せる少し後ろの場所を歩き続けるのでしょう。
初めての作品を最後まで読んでくださった皆様に、心より感謝いたします。
また次の物語でお会いできれば幸いです。
ありがとうございました。




