第九十三話 後衛の仕事
第九十三話 後衛の仕事
レインが久しぶりに受けた依頼は、王都から二日ほど離れた町まで商人を護衛する、ごく普通の仕事だった。
依頼書に記された推奨ランクはE以上。危険度の高い地域を通るわけでもなく、街道周辺に現れる魔物もせいぜいFランク程度である。世界の境界を越え、古代の継承機構に触れ、世界そのものに関わる問題を解決してきたレインにとっては、あまりにも小さな依頼だった。
それでもレインは、その依頼書を選んだ。
同行することになったのはガルド、リリア、そしてカインだった。
「本当にこれを受けるの?」
依頼書を覗き込んだカインが、少し面白そうに尋ねた。
「受けるよ」
「報酬、四人で分けたら大した額にならないけど」
「冒険者の仕事って、本来こういうものだろ」
そう答えるレインを見て、ガルドが笑った。
「世界を救った後に商人の護衛か。悪くない」
依頼人は、ハンスという中年の商人だった。
荷馬車の横で待っていたハンスは、四人の冒険者証を順番に確認し、レインのところで手を止めた。
「……Dランク?」
「はい」
「あなたが代表者ですよね?」
「一応」
ハンスはもう一度冒険者証を見た。
そこには確かに、レイン・アーク、Dランクと記されている。
「他の方々は、かなり腕が立つように見えますが」
「立ちますよ」
「では、なぜあなたが代表を?」
レインが答える前に、カインが横から口を挟んだ。
「僕たちも、それは昔から不思議に思ってるんです」
「おい」
「冗談だよ」
ハンスは困惑したままだったが、ギルドが正式に認めたパーティである以上、断る理由もなかった。
一行は予定通り王都を出発した。
レインは荷馬車の後方を歩いた。
それは昔から変わらない位置だった。
前方にはガルド。左右をリリアとカインが確認し、レインは最後尾から全体を見る。
街道を進んでしばらくしたところで、レインは荷馬車の後部に結ばれた縄へ目を向けた。
「止めてもらえますか」
「何かありましたか?」
ハンスが馬を止める。
レインは積荷を固定している縄を指した。
「一本緩んでます。このままだと坂道で荷崩れします」
「本当ですか?」
確認すると、結び目がわずかにずれていた。
レインは手早く縄を解き、荷物の重心を確認してから結び直した。
「慣れてますね」
「昔、荷物持ちをやっていたので」
「荷物持ち?」
「料理とか、雑用とかも」
ハンスはますます分からないという顔をした。
ガルドが前方から振り返る。
「そいつは昔から、そういう仕事だけは妙に上手かった」
「だけって何だよ」
「攻撃は今でもできんだろう」
「それはそうだけど」
カインが笑い、リリアまで小さく笑った。
昼を過ぎた頃、街道脇の森から数体の魔物が姿を現した。
Fランクの灰狼だった。
ハンスが緊張した表情で手綱を握る。
「魔物です!」
「大丈夫です。そのまま馬車の近くにいてください」
レインは前へ出なかった。
代わりに、全員の位置を確認する。
灰狼は五体。
ガルドが一歩前へ出て盾を構えた。
「殺す必要はあるか?」
「ないと思う。追い払えばいい」
レインの言葉に、リリアが杖を上げる。
弱い衝撃魔法が地面を叩き、二体の灰狼が驚いて後退した。
残る三体が左右へ散る。
「カイン、右」
「分かった」
カインが進路を塞ぐ。
ガルドは一体の突進を盾で受け、そのまま横へ押し流した。
攻撃らしい攻撃は、誰もしなかった。
それでも数十秒後には、灰狼たちは森の中へ逃げていった。
「……終わりですか?」
ハンスが尋ねた。
「終わりです」
「倒さなくていいんですか?」
「追っても意味がありません。護衛対象から離れる方が危険ですから」
レインはそう答えると、荷馬車の車輪を確認した。
魔物との戦闘よりも、そちらの方が気になっていた。
その日の夕方、一行は予定していた宿場町へ到着した。
ハンスは宿へ入る前、改めてレインの冒険者証を見た。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何でしょう」
「本当にDランクなんですか?」
「本当ですよ」
「でも、戦う前に皆さん、あなたを見ていましたよね」
レインは少し考えた。
「癖じゃないですか?」
「そんなわけあるか」
ガルドが即座に否定した。
翌日も旅は順調だった。
大きな戦闘はなく、途中で一度だけ荷馬車の車軸に異常が見つかった程度である。それもレインが早めに気づいたため、大事には至らなかった。
夕方、一行は目的地へ到着した。
荷物を確認したハンスは、驚いたように何度も帳簿を見直した。
破損した商品は一つもない。
同行者にも怪我はなかった。
【依頼達成】
【護衛対象――無傷】
【積荷損失――0】
【同行者負傷――0】
【討伐数――0】
【後衛評価――適正】
レインは最後の表示を見て、少し笑った。
世界を越えた時にも、魔王軍と戦った時にも見なかったような、ごく普通の評価だった。
「レインさん」
報酬を支払ったハンスが声をかける。
「また王都へ戻る時、お願いできますか?」
「俺でいいんですか?」
「あなたがいいんです」
レインは一瞬だけ驚き、それから頷いた。
「予定が合えば」
ハンスが去った後、ガルドが隣へ来た。
「楽しかったか?」
「何が?」
「普通の冒険者」
レインはすぐには答えなかった。
目の前ではカインがリリアと何か話しながら歩いている。ガルドは隣にいて、荷馬車は無事に目的地へ着き、誰も怪我をしていない。
世界を救ったわけではない。
誰かの運命を変えたわけでもない。
ただ商人一人と、その荷物を無事に目的地まで届けただけだった。
それでもレインには、それで十分だった。
「うん」
レインは答えた。
「こういうのでいいんだと思う」
そして自然に、仲間たちの少し後ろを歩き始める。
前に出る必要はなかった。
そこからなら、全員が見える。
誰かが転びそうになれば手を伸ばせるし、道を間違えそうになれば声をかけられる。
世界の境界に立っていた時も、普通の街道を歩いている今も、レインの仕事は結局変わらなかった。
仲間を見て、必要な時だけ支える。
それがレイン・アークの、後衛の仕事だった。
――第九十三話 了――




