第八十九話 Rainの終わり
第八十九話 Rainの終わり
【最初の旅――終了処理可能】
その表示を前にしても、レインとカインはすぐには実行しなかった。
ミレイアの協力を得て施設内に残された記録を調べ、同時にルークたちへ情報を送る。六千年以上前の装置であるにもかかわらず、現在の世界継承機構が接続したことで、これまで読めなかった領域が次々と開いていた。
そして数時間後。
ルークから連絡が入った。
『兄さん。たぶん分かった』
「何が?」
『Rainが何度も現れた理由』
レインとカインの表情が変わった。
施設の記録と《記録保持者》が保存していた過去のRainの情報を照合すると、これまで別々に見えていた記録が一本に繋がったという。
三百十七年前のRain。
二百十四年前、レゾナンスの設計に関わったRain。
百十七年前、最初の魔王となったユウトを封じたRain。
そして現在のレイン。
外見も性別も違う。
同じ人間が転生したようにも見えたが、完全に同一の人格ではなかった。
『Rainは転生してたんじゃない』
ルークが言う。
『世界継承機構が、自分を終わらせられなくなってた』
「どういうこと?」
『最初の二人が強制統合された時、機構は二人の人格を守ろうとした。でも観測者が継承経路を掴んでたから、完全には切り離せなかった』
表示が届く。
【原初緊急処理】
【二核人格消失防止】
【世界継承情報――退避】
【適合生命体発生時――機構再構築】
カインが理解する。
「壊れるたびに、新しい器を作ってた?」
『正確には、世界側に適合できる生命が現れた時、残っていた世界継承情報をそこへ接続してたみたい』
だからRainの姿は毎回違った。
同じ魂がそのまま転生していたのではない。
世界継承機構に残った情報、記憶の断片、能力、未完了の目的が、新しい人間へ受け継がれていた。
そのたびに人格は新しく生まれる。
それでも過去の情報が混ざるため、自分をRainだと認識する。
そして観測者も、その経路を追ってくる。
「じゃあ俺も……」
レインは言いかけて止まった。
ルークが答える。
『兄さんは兄さんだよ』
単純な言葉だった。
『三百十七年前のRain本人じゃない。百十七年前の女の人でもない。過去のRainの情報を受け継いでるけど、レイン・アークとして生まれた別の人間』
アークが通信へ入る。
『私もその結論に同意する』
「アーク」
『地球で私が観測した君は、既に世界継承機構の反応を持っていた。だが人格は明らかに独立していた。私は当時、それを同一個体の再出現だと誤認した』
地球でユウトと共に生きていたRain。
交通事故の後、一年を経て境界へ引き込まれた青年。
その人生も偽物ではない。
世界継承機構が接続していたからといって、誰かのコピーだったわけでもない。
そして現在の身体も同じだった。
父が胎児へ境界外の成長核を埋め込んだことで、本来なら成立しなかった生命が生き延び、そこへ世界継承機構が定着した。
さらにノエルの事件をきっかけに、父がレインとカインを分離した。
恐怖からカインを封じるという間違いを犯したものの、結果として六千年前に失われた二核構造そのものが、初めて完全な形で復元された。
「父さんがやったこと、全部が間違いだったわけじゃなかったんだ」
カインが言う。
「そうだな」
許すかどうかとは別の話だった。
間違ったこともある。
正しかったこともある。
その両方を残したままでいい。
レインは施設へ向き直った。
「終了処理をすると、どうなる?」
機構が答える。
【最初の旅終了処理】
【世界継承機構――緊急再構築命令解除】
【適合生命体への自動継承――終了】
【過去Rain情報――記録として保存】
【現受容核人格――維持】
【現捕食核人格――維持】
【世界継承機能――任意機能として保持可能】
【世界渡航能力――保持可能】
最後の部分を見て、ユウトが言った。
「Rainじゃなくなるわけじゃないのか」
「違うみたいだな」
世界継承機構そのものを破壊する処理ではない。
ただ、終われなかった旅を終わらせる。
これからレインが死んだとしても、世界継承機構が別の誰かへ入り込み、新しいRainを作ることはない。
カインも同じだ。
二人の人生は、二人のところで終わる。
「ようやく普通に死ねるね」
カインが言う。
「言い方」
「でも大事なことでしょ」
確かにそうだった。
不死になることより、自分の人生を自分のところで終えられることの方が、今の二人にはずっと重要だった。
レインはカインを見る。
「やるか?」
カインは今度は迷わなかった。
「うん」
二人が台座へ手を置く。
【受容核意思――確認】
【捕食核意思――確認】
【最終確認】
【六千年以上継続した緊急継承処理を終了します】
【実行後、Rainの自動再構築は行われません】
【実行しますか】
「はい」
二人が同時に答えた。
光が広がった。
激しいものではない。
世界が揺れることもなかった。
ただ、長い間どこかに張りつめていた糸が、静かにほどけていく。
レインの中を、無数の記憶が通り過ぎた。
知らない街。
知らない家族。
知らない仲間。
男だったRain。
女だったRain。
子供だった者。
老人になるまで生きた者。
世界を救えた者。
救えなかった者。
世界を食べてしまった者。
自分を止めるため、境界の向こうへ消えた者。
そのすべてが、レイン自身の人生ではない。
だが確かに、ここまで繋いできた者たちだった。
最後に、最初の二人が見えた。
黒髪の青年。
赤茶色の髪の女性。
二人は何も言わない。
ただ、並んで立っている。
そして。
背を向けて歩いていった。
【緊急継承処理――終了】
【Rain自動再構築――停止】
【過去人格情報――記録領域へ移行】
【現人格――独立固定】
【受容核――レイン・アーク】
【捕食核――カイン】
【二核統合――永久禁止】
【相互支援――任意継続】
【世界継承――任意】
【世界渡航――任意】
【使命――なし】
最後の一行を見て、レインは長い間動かなかった。
使命――なし。
これほど短い表示なのに、今まで見たどんな能力より重かった。
カインも黙っている。
やがてユウトが二人の肩を叩いた。
「お疲れ」
「軽いな」
「六千年分だから、何て言えばいいか分からん」
「僕たち六千年生きてないけどね」
「細かいこと言うな」
三人が笑った。
その時、施設の奥で別の装置が起動した。
一瞬、また新しい謎かと身構えたが、表示された内容は違った。
【第一継承施設――使命終了】
【保存記録――現地管理者へ移管】
【世界外信号――停止】
ミレイアが驚く。
「終わるんですね」
「たぶん」
「六千年以上動いていた施設が?」
「待ってた相手が来たから」
ミレイアは少し寂しそうに施設を見回した後、笑った。
「では私も、別の研究を探さないといけませんね」
それを聞いてレインはエルを思い出した。
役割が終わった後に何をするのか。
その答えを、誰かが決める必要はない。
帰還前、レインは一度だけ施設を振り返った。
「ありがとう」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
最初の二人か。
名も分からない設計者か。
ここまで繋いだ過去のRainたちか。
それとも六千年以上記録を守った人々か。
返事はなかった。
それでいい。
三人は境界を越えた。
今度は迷わず、自分たちの世界へ戻る。
【帰還座標――確認】
【現在世界――接続】
一歩。
そして次の瞬間。
「おかえり!」
最初に聞こえたのはアイリスの声だった。
続いてノエル。
ガルド。
リリア。
ミア。
エマ。
ソラ。
アレン。
ルーク。
ノア。
そして少し離れたところにはエルもいる。
レインは周囲を見回した。
誰も欠けていない。
「ただいま」
今度は自然に言えた。
エルが近づいてくる。
「終わった?」
「ああ。一つ、大きいのが終わった」
「次は?」
その質問に、レインは少し考えた。
まだ残っている。
エルを世界維持という役割から解放すること。
父との残された時間。
観測者――世界捕食寄生体が、境界の外でこのまま消えていくのか、それとも寄生せず生きる方法を見つけられるのか。
そして、この世界そのものが、誰かに支え続けられなくても立っていけるのか。
だが、それらはもうRainという終わらない使命の一部ではない。
レイン・アークが、自分で関わると決めた問題だった。
「次はエルだな」
「私?」
「四十四年をゼロにするんだろ」
エルの顔が明るくなる。
「うん」
レインは笑った。
六千年続いたRainの旅は終わった。
けれど、レイン・アークの人生は終わっていない。
むしろここから先が、初めて誰にも決められていない時間だった。
――第八十九話 了――




