第八十一話 二十七年の意味
第八十一話 二十七年の意味
【現世界推定残存期間――27年】
表示された数字を見たまま、レインはしばらく動かなかった。
二十七年という時間は、明日世界が滅びるという話に比べれば長い。しかし、人間の一生という尺度で考えれば決して遠い未来ではなく、まして世界そのものの寿命として見れば、ほとんど終末直前と言っていい数字だった。
「確認するけど」
最初に口を開いたのはユウトだった。
「二十七年後に、この世界が滅びるって意味なのか?」
「まだ分からない」
レインは表示を閉じず、《世界接続》をさらに深く潜らせた。
以前なら世界全体へこれほど深く接続すれば、観測者からの干渉を警戒しなければならなかった。しかし世界継承機構が完成した現在、外部からRainの内部構造を書き換える経路は存在しない。だからこそレインは、初めて何の妨害も受けず、この世界そのものが持つ情報へ触れることができた。
【世界寿命――詳細解析】
【世界崩壊予定――なし】
【外部侵食――なし】
【境界崩壊――なし】
【生命圏消失予定――なし】
レインは眉を寄せた。
「……違う」
「何が?」
カインが覗き込む。
「世界が二十七年後に滅びるわけじゃない」
さらに情報を開く。
【推定残存期間――世界維持機構の正常稼働可能期間】
【自然世界寿命――算定不能/長期安定】
【問題箇所――世界維持補助機構】
【機能低下率――73%】
今度は全員が表示を読み直した。
ガルドが盾から手を離す。
「つまり二十七年というのは、この世界の寿命ではなく、何らかの装置の寿命ということか」
「そうみたいだ」
レインは少女を見る。
「さっき『この世界、まだ生きたい?』って聞いたよな」
少女は頷いた。
「うん」
「二十七年経ったら、何が起きる?」
少女は少し考えてから答えた。
「私が止まる」
「君が?」
「それから、世界が自分で頑張る」
あまりに曖昧な説明だった。
しかし《世界接続》が、その言葉を補足する。
【世界維持補助個体】
【主要機能――世界法則損傷の自動修復】
【主要機能――魔力循環補正】
【主要機能――生命圏偏在補正】
【主要機能――境界圧調整】
【停止後――世界自然機構へ完全移行】
【推定影響――不明】
ユウトが頭を掻いた。
「それって、本当にまずいのか? 世界が元々自力で維持できるなら、この子が止まっても問題ない可能性があるだろ」
「ある」
ノアが答えた。
「逆もある。この個体が四千年以上補助してきたことで、現在の世界が補助を前提とした均衡になっている可能性もある。急に停止すれば、世界そのものは滅びなくても、魔力分布や気候、生態系が大きく変化するかもしれない」
その指摘を受け、《世界接続》が予測計算を開始した。
だが、すぐに大量の警告が現れた。
【予測不能】
【基礎記録欠損――61%】
【世界維持補助個体――記憶領域損傷】
【過去稼働記録――大部分消失】
レインは少女へ視線を戻した。
「名前を忘れたって言ってたけど、自分が何をしてたかも覚えてないのか?」
「少しだけ」
「何を覚えてる?」
少女は湖の近くへ戻ると、地面へ手を置いた。
その瞬間、周囲の草が僅かに伸び、小さな白い花がいくつも咲く。
「弱ってるところを元気にする。多すぎるところから少ないところへ運ぶ。壊れたところを繋ぐ。それから――」
少女はそこで言葉を止めた。
「寝る」
「寝る?」
「ずっと起きてると、私が世界を変えすぎるから」
レインは、その言葉に引っかかった。
《才能可視化》を使う。
【潜在能力――《生命育成》】
【能力特性――生命環境最適化】
【警告――最適化基準欠損】
「……これか」
「何?」
カインが尋ねる。
「この子は世界を修復できる。でも、どういう状態を正常とするのか、その基準になる記録がかなり失われてる」
少女には世界を維持する力がある。
しかし四千年以上の時間と、これまで何度も起きた世界規模の異変によって記録が損傷し、何を守るべきなのかという基準そのものが失われつつある。
力が足りないのではない。
判断するための情報が足りない。
それはレインにとって、嫌というほど覚えのある問題だった。
「だから魔物が逃げたのか」
リリアが森を見回す。
少女が目覚めたことで周辺の生命環境が急速に最適化され、強い生命育成領域が形成された。その変化を本能的に危険と判断した魔物が森の外へ逃げたらしい。
少女に敵意はない。
だが、このまま放置していい存在でもなかった。
「二十七年あるなら、急ぐ必要はない」
レインが言うと、ノアがすぐに訂正した。
「二十七年後まで何もしなくていいという意味ではないぞ」
「分かってる。でも十三日とか十二時間とかじゃない」
ユウトが大きく頷いた。
「それは重要だな」
「かなり重要だ」
ここ最近、期限と言えば世界滅亡まで何日、侵食完了まで何時間というものばかりだった。二十七年という数字を見て安心していいのかは分からないが、少なくとも今日中に答えを出す必要はない。
レインは少女の前へしゃがんだ。
「君は、この世界を直したいの?」
少女は困ったような顔をした。
「分からない」
意外な答えだった。
「昔は、それが私だった。でも今は、よく分からない」
レインは黙って続きを待つ。
「起きたら森があって、水があって、鳥がいて、人間もいた。昔よりいっぱいある。だから、直さなくてもいいところまで直したら、駄目だと思う」
「誰かにそう教えられた?」
「多分」
「誰?」
少女は目を閉じた。
長い沈黙の後、一つだけ答える。
「作った人」
レインの視界に反応が走った。
【世界維持補助個体――製造記録照合】
【製造者情報――破損】
【残存記録――0.8%】
【Rain世界継承機構との直接設計一致――なし】
つまりRainを作った者と同一人物だと判断できる情報はない。
むしろ設計思想そのものが違っている。
Rainは世界を渡り、滅びゆく世界から情報を次へ運ぶ機構。
少女は一つの世界へ留まり、その世界が自力で生き続けられるよう補助する機構。
似ているようで役割は正反対だった。
「Rainとはどういう関係だった?」
少女は今度は少し早く答えた。
「時々来た」
「昔のRainが?」
「うん。最初は怖かった。世界の外のものがいっぱい付いてたから」
観測者のことだろう。
「でも、後のRainは私を壊さなかった。私が眠ってる間に、壊れたところを少し直してくれた」
レインは二百十四年前や三百十七年前だけではなく、さらに古いRainたちの存在を思い出した。
世界継承機構として何度もこの世界へ現れ、失敗しながら記録を残した者たち。
その中の誰かが、この少女とも出会っていた。
「最後に会ったRainは何て言った?」
少女は時間をかけて記憶を探した。
やがて途切れ途切れに言葉を並べる。
「『まだ起きるな』」
「それから?」
「『俺が外のものを連れてるうちは、お前まで利用される』」
レインの表情が変わった。
過去のRainは、少女を観測者から守るために眠らせていた。
そして――。
「『いつか、俺が俺だけになれたら起きろ』」
世界継承機構完全独立。
それが少女の再起動条件だった理由が、ようやく繋がった。
過去のRainは、自分では観測者との寄生を切れなかった。
だから未来へ託した。
自分たちの問題が解決するまで、この世界を維持する存在を隠したのである。
カインが少女を見る。
「それで三日前に起きたんだ」
「うん」
「でも、起きたら自分の記憶が壊れてた」
少女は頷いた。
「いっぱい忘れた」
その表情は悲しそうというより、困っているように見えた。
自分が何者なのか。
何のために存在するのか。
それさえ完全には覚えていない。
レインは、その姿に少しだけカインやソラを重ねた。
役割を与えられて作られた存在が、役割だけで自分を決められている。
「だったら、まず直すのは世界じゃないな」
少女が首を傾げる。
「何を直す?」
「君の記録」
レインは立ち上がった。
「ただし、勝手にはやらない」
世界継承機構を開く。
完成した機構には、既に《継承共有》がある。相手の情報を奪うのではなく、本人の同意を得たうえで記録を共有し、保存するための能力だ。
しかし失われた情報を都合よく作ることはできない。
必要なのは、外部に残っている記録だった。
そこでレインは、ある人物を思い出した。
「ルークだ」
カインもすぐに理解する。
《記録保持者》。
世界から消されたノエルの情報さえ拾い上げ、過去のRainの痕跡を何度も発見してきた弟なら、この少女が四千年以上にわたって世界へ残してきた記録を辿れる可能性がある。
レインは《世界接続》を王都へ伸ばした。
「ルーク、聞こえる?」
『兄さん? 依頼終わったの?』
「まだ。ちょっと調べてほしいことがある」
『また?』
「今度は急ぎじゃない」
『兄さんがそう言う時、大体急ぎになるんだけど』
否定できなかった。
レインは少女について説明し、世界記録側から四千八百年以上前の痕跡を探せないか頼んだ。
しばらく返事がない。
やがてルークの声が戻る。
『……いる』
「見つかった?」
『全部じゃない。でも、すごく古い記録がある。今の王国ができるより前どころか、今の大陸の形になる前の記録』
レインたちの前に、ルークが拾った断片が《世界接続》を通じて表示される。
【記録年代――推定4,806年前】
【世界維持補助個体――稼働確認】
【識別名称――欠損】
【管理命令――破損】
そして一番下に、短い文章だけが残っていた。
【最終運用原則】
【世界を理想の形へ変えてはならない】
【世界が自ら変わる力を失わないよう、必要最小限のみ支えよ】
レインはその文章を何度も読んだ。
後衛。
その考え方は、自分が最後に選んだ職業と驚くほど似ていた。
前へ出てすべてを決めるのではなく、自分がいなくても生きられるように支える。
世界そのものに対して、それを行う存在。
少女も表示を見つめていた。
そして、ぽつりと言う。
「知ってる」
「思い出した?」
「少しだけ」
少女は胸へ手を当てた。
「私、世界をずっと守るためにいるんじゃない」
レインは続きを待つ。
「いつか、私がいなくても大丈夫にするためにいる」
【記憶領域――部分復元】
【世界維持補助個体――自己認識再構築】
【機能低下率――73%→69%】
数字が僅かに改善した。
力を与えたわけではない。
失われていた自分自身の役割を一つ思い出しただけで、世界維持機構が正常化したのである。
「二十七年も変わった?」
ユウトが尋ねる。
レインが確認する。
【正常稼働可能期間――27年→31年】
四年延びていた。
だが、レインは喜ばなかった。
目的は数字を延ばし続けることではない。
この少女を永遠に働かせることでもない。
少女自身が言った通り、最終的には彼女がいなくても世界が生きられる状態へ戻すことが必要なのだ。
「決めた」
レインは言った。
「何を?」
ガルドが尋ねる。
「この依頼の内容」
「魔物消失原因の調査ではなかったか?」
「それはもう終わった。原因はこの子が起きたからだ」
レインは少女を見る。
「だからギルドへの報告はそれで終わり。ここから先は別件だ」
「別件?」
少女が尋ねる。
レインは頷いた。
「君が自分のことを思い出すのを手伝う。それから、この世界が君なしでも生きられる状態なのか調べる」
「違ったら?」
「必要なところだけ直す」
「全部は?」
「直さない」
レインは即答した。
「世界には、世界が自分で変わる権利があるんだろ?」
少女は驚いたようにレインを見つめた。
それから、ゆっくり笑った。
「うん」
「それと、もう一つ」
「何?」
「名前がないと呼びにくい」
少女は困った顔をする。
「忘れたから」
「だったら、思い出すまでは無理に決めなくていい。昔の名前が見つかった時、それを使うか、新しい名前を選ぶかも君が決めればいい」
少女は少し考えた後、嬉しそうに頷いた。
その瞬間だった。
レインの視界に、新しい表示が現れる。
【世界維持補助個体――暫定接続】
【世界継承機構との上下関係――なし】
【相互協力――選択可能】
【対象個体意思――承認】
レインは最後の一行を見て笑った。
世界を管理する者と、それを支配する者ではない。
互いに違う役割を持った存在が、それぞれの意思で協力する。
Rainとカインが最後に辿り着いた答えと同じだった。
「じゃあ、まず村へ戻ろう」
レインが言う。
「何するの?」
「依頼完了の報告」
「それから?」
少女が続けて尋ねた。
レインは少し考えた。
「飯かな」
「食べるの?」
「食べたことない?」
少女は首を傾げる。
「必要ない」
レインは嫌な予感がした。
アイリスに続いて、また一人だった。
「必要かどうかじゃない。美味しいから食べるんだよ」
「美味しい?」
「そこから説明するのか……」
ユウトが笑い、カインも肩をすくめる。
ガルドだけは、既に村へ戻る道を歩き始めていた。
レインもその後を追う。
今度の問題に、十三日の期限はない。
十二時間の猶予でもない。
誰かを倒せば終わる戦いでもない。
三十一年という時間を使って、世界が自分自身で生きられるようにする。
それは世界を救う英雄の仕事というより、ずっと後ろから支え続ける者の仕事だった。
そしてレインには、その方が性に合っていた。
――第八十一話 了――




