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世界最低の後衛は最高の後衛だった ~三度追放された荷物持ちは、捨てられた才能だけを集めて魔王を討つ~  作者: あめのひくもり


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第七十九話 世界最強の後衛

第七十九話 世界最強の後衛


ノエルとアイリスが世界へ帰還してから三日が経った。


世界を滅ぼしかねなかった観測者の侵入が止まり、各地に発生していた境界門も次々と消滅したことで、王国と帝国はようやく大規模な警戒態勢を解除し始めていた。しかし、百年以上にわたって魔王という存在を前提にしてきた世界が、僅か数日で平穏な日常へ戻れるはずもなく、各地では残存する魔物の確認や避難民の帰還、破壊された街道や集落の復旧が続いている。


そのためレインたちにも休む暇があるわけではなかったのだが、少なくともベルクの拠点だけは、これまでとは少し違う時間が流れるようになっていた。


「兄ちゃん、これ何?」


朝食の席でノエルが指差したのは、皿の上に置かれた黒い物体だった。


レインは少し考えてから答える。


「パン」


「黒いよ」


「焼いたからな」


「昨日のパンは茶色だった」


「今日は少し長く焼いただけだ」


向かいに座っていたユウトが、黒くなったパンを持ち上げて裏側まで確認すると、呆れたようにレインを見た。


「お前、昔は料理担当だったんじゃなかったのか?」


「昔じゃなくて今でもできる」


「じゃあこれは何だ」


「失敗」


「認めるの早いな」


三日前まで境界外領域で世界捕食寄生体と戦っていたとは思えない会話だったが、ノエルはそれが面白いらしく声を上げて笑っている。


その隣では、アイリスがパンではなく蜂蜜を不思議そうに眺めていた。


「これは花から作るの?」


「正確には蜂が集めるんだ」


レインが説明すると、アイリスは少量を指先につけて舐め、驚いたように目を見開いた。


「甘い」


「そりゃ蜂蜜だからな」


「花もこんな味?」


「花を食べようとするなよ」


「食べられないの?」


「食べられる種類もあるけど、何でも食べていいわけじゃない」


千年以上も世界の外側にいたアイリスにとって、食事一つでも未知の体験だった。初日は温かいスープに驚き、二日目には冷たい水と温かい水で味の感じ方が違うことを発見し、昨日は果物の種まで食べようとしてエマに止められている。


しかし、レインが何より安心したのは、彼女がそうした小さな出来事を心から楽しんでいることだった。


Rainとして世界を継承する必要もなく、誰かを境界の向こうへ送り出す必要もなく、千年前の失敗について責任を負う必要もない。今のアイリスには、今日何を食べ、どこへ行き、何を見たいのかを自分で決める時間がある。


ノエルについても同じだった。


肉体そのものは安定しているが、記憶には大きな欠損が残っている。レインやルークを兄として覚えている一方、家族と過ごした七年間の記憶は断片的であり、レオンについても「一緒に遊んだ誰か」という程度しか残っていなかった。


それでもレインは、無理に思い出させようとはしなかった。


失ったものを取り戻すことだけが、生き直すことではない。


これから新しい記憶を増やしていけばいい。


そう考えられるようになったこと自体が、以前のレインとは大きく違っていた。


朝食を終えた頃、拠点の扉が開いた。


入ってきたのはガルドだった。


「レイン。王都から正式な使者が来ている」


「また?」


「今回は国王陛下本人からだ」


レインは露骨に嫌そうな顔をした。


ここ三日だけで王都から届いた書状は十二通を超えている。世界を救った功績への褒賞、魔王軍消滅後の軍事再編、境界研究機関の設立、帝国との共同管理体制、そして何よりRainという存在を今後どう扱うべきかについて、王国側はレイン本人と話し合いたがっていた。


「俺、後衛なんだけど」


「知っている」


「政治家じゃない」


「それも知っている」


「だったらガルドが行ってくれ」


「俺は盾役だ」


「便利だな、その言い訳」


「お前が言うな」


結局、使者を追い返すわけにもいかず、レインは午後から王都へ向かうことになった。


ただし一人ではない。


セラ、ミア、アレン、ソラ、レイが王都に残っているため、久しぶりに仲間全員が集まる機会でもあり、ガルドとリリア、エマ、カイン、ルーク、ノア、ユウトも同行することになった。


そして当然のように、ノエルとアイリスもついてきた。


「王都って大きい?」


馬車の窓から外を眺めながらアイリスが尋ねる。


「ベルクよりはずっと大きい」


「人も多い?」


「多い」


「花は?」


「あると思うけど……」


レインが答える前に、リリアが笑いながら口を挟んだ。


「王都の南側に大きな植物園がありますよ。今の季節なら青い花も何種類か咲いていると思います」


アイリスの表情が一気に明るくなる。


「行きたい」


「会議が終わったら行こう」


「レインも?」


「俺も?」


「一緒に見たい」


そう言われれば断れるはずもなく、レインは頷いた。


その横でノエルは、初めて見る街道沿いの風景に夢中になっている。


世界を救った英雄たちの凱旋というより、家族旅行に近い。


レインには、その方がずっと気楽だった。


王都へ到着すると、予想していた以上の人々が城門周辺へ集まっていた。


レインは最初、自分たちを待っているとは思わなかった。しかし馬車が城門へ近づいた途端、兵士だけでなく一般の人々までこちらへ向かって手を振り始めたことで、嫌でも理解することになった。


「何これ」


「お前を見に来たんだろ」


ユウトが面白そうに笑う。


「何で俺?」


「世界救ったからじゃない?」


カインまで他人事のように言う。


「お前も一緒に救っただろ」


「僕、世間ではほとんど知られてないから」


それは事実だった。


世界各地へ《広域後衛》を繋いだことでレインの名前だけは急速に広まり、魔王軍との最終戦を支えた人物として知られるようになっていたが、カインの存在やRainの二核構造、観測者との戦いについては一般にはほとんど公開されていない。


馬車を降りたレインへ歓声が向けられる。


「世界最強の冒険者だ!」


誰かが叫んだ。


レインは足を止めた。


「違う」


「何が?」


隣のカインが尋ねる。


「俺、攻撃できない」


「まだそこ気にしてるの?」


「重要だろ」


世界最強と呼ばれても、レインには敵を倒す技が一つもない。


剣を持たせれば普通の冒険者以下であり、攻撃魔法など最初から使えない。防御能力についてもDランク相当が限界で、単独で高位の魔物と遭遇すれば今でも普通に死ぬ可能性がある。


それでも人々はレインへ手を振っていた。


その理由を考えながら城へ入ると、謁見室ではなく小さな会議室へ案内された。


そこにいたのはレオンだった。


王冠もつけていない。


護衛も最小限だった。


そしてレオンはレインを見るより先に、その後ろにいる少年を見つけた。


「……ノエル」


ノエルはレオンを見上げる。


しばらく何も言わなかった。


レオンも近づこうとはしない。


やがてノエルが首を傾げた。


「知ってる」


レオンの表情が僅かに変わる。


「覚えているのか?」


「全部じゃない。でも……一緒に走った?」


レオンが笑った。


「走った。お前は負けそうになると必ず近道した」


「そんなことしてない」


即答だった。


記憶がないはずなのに反論する。


レオンはとうとう声を上げて笑った。


「そこは変わっていないな」


国王と消された少年ではない。


百年以上の因縁でもない。


ただ、途中で終わった幼い友人同士の時間が、ようやく続き始めたようにレインには見えた。


その後、会議が始まった。


議題は多かったが、最も重要だったのはRainについてだった。


「結論から言う」


レオンは書類を閉じた。


「王国は、お前を管理しない」


レインは少し驚いた。


「いいのか?」


「管理できると思うか?」


「無理だと思う」


「俺もそう思う」


レオンは苦笑する。


「それだけではない。今回の件で最も危険だったのは、世界を救える力を持った存在が世界の意思まで代行することだった。お前自身がそれを拒否した以上、王国が今度はお前を囲い込み、その力を国家のために利用すれば同じ過ちを繰り返すことになる」


帝国側とも既に話はついているという。


Rainを国家兵器として扱わない。


《世界接続》を軍事目的で強制使用させない。


境界研究については各国共同で進めるが、レインには参加を義務づけない。


必要な時に協力を求めることはあっても、最終的な選択は本人へ委ねる。


「随分まともになったな」


レインが言うと、レオンが睨んだ。


「誰のせいで三日間ほとんど寝ずに各国と交渉したと思っている」


「お疲れ」


「軽いな」


会議が終わる直前、レオンが一枚の書類を差し出した。


冒険者ギルドからだった。


レインの冒険者資格について、正式な再査定を行いたいという。


「再査定?」


「世界を救った人間をDランクのままにしておくのは、さすがに問題らしい」


レインは自分の表示を開いた。


【表示Lv――30】


【表示ランク――D】


変わっていない。


「でも俺、Dランクだぞ」


「だからギルドが困っている」


レインは嫌な予感がした。


その日の夕方、王都冒険者ギルドへ行くと、予感は的中した。


ギルド長を含む十人以上の職員が待ち構えており、机の上にはレインの過去の記録が積み上げられていた。


最初のパーティー。


追放。


二つ目のパーティー。


追放。


三つ目。


また追放。


理由はほとんど同じだった。


攻撃能力なし。


防御能力低。


荷物持ち。


料理。


雑用。


戦闘貢献度不明。


ギルド長が古い書類を読みながら、何とも言えない顔をする。


「これを書いた査定官は今どこにいる?」


「退職しています」


職員が答える。


「良かった」


「何が?」


レインが尋ねる。


「いたら説教していた」


「俺、本当に攻撃できなかったから査定自体は間違ってないぞ」


「そういう問題ではない」


ギルド長はため息をついた。


「お前の能力は攻撃力では測れない。今回、複数国家の戦場を同時に支援し、数千人規模の生存率を引き上げ、最終的には世界そのものの崩壊を防いだ。これを戦闘貢献なしとするなら、我々の査定制度の方が間違っている」


再査定は異例の形で行われた。


攻撃力。


測定不能ではない。


ゼロ。


防御力。


Dランク。


身体能力。


Dランク相当。


単独戦闘能力。


Dランク以下。


ところが支援能力だけは、測定器が途中で停止した。


【支援範囲――測定上限超過】


【支援対象数――測定上限超過】


【成長補助――測定不能】


【世界接続――評価規格なし】


【総合判定――既存ランク制度適用不能】


ギルド長は長い間その結果を眺めていたが、やがて新しい冒険者証を机へ置いた。


そこにはAでもBでもない文字が刻まれている。


【特例認定】


【職業――後衛】


【戦闘ランク――D】


【総合冒険者ランク――規格外】


レインは顔をしかめた。


「Dは残るんだ」


「お前がDだと言い張るから残してやった」


「言い張ってない。実際Dなんだよ」


カインが横から冒険者証を覗き込む。


「世界最強のDランクだね」


「やめろ」


「世界最強の荷物持ち?」


「もっとやめろ」


後ろで仲間たちが笑っていた。


レインは新しい冒険者証を眺める。


かつて、このDという文字が嫌だった。


何をしても評価されず、攻撃能力がないというだけで無能と呼ばれ、三つのパーティーから追い出された。


自分には才能がないと思っていた。


だが今は違う。


Dランクでも構わない。


自分が前へ出て敵を倒す必要など、最初からなかった。


仲間が戦えるようにする。


生きて帰れる道を作る。


それぞれの才能を見つけ、繋ぎ、必要な時には背中を押し、それでも最後に選ぶのは本人へ任せる。


それが《後衛》だった。


ギルドを出る頃には日が傾いていた。


「レイン!」


先に外へ出ていたアイリスが手を振っている。


その隣にはノエルとルーク、エマ、リリアがいた。


「植物園!」


「あ」


忘れていた。


アイリスは頬を膨らませる。


「約束した」


「悪い。行こう」


「もう閉まるんじゃない?」


ユウトが言った。


「走れば間に合う!」


アイリスが先に走り出す。


「おい、道分かるのか!」


「知らない!」


「だったら先に行くな!」


レインたちも追いかける。


王都の大通りを、世界を救った英雄たちが植物園の閉園時間に間に合わせるため全力で走るという、何とも締まらない光景だった。


どうにか閉園直前に到着し、職員に呆れられながら園内へ入ると、アイリスは真っ先に青い花を探した。


そして庭園の奥で、小さな青い花を見つけた。


豪華な花ではない。


道端に咲いていても見落としてしまいそうな、小さな花だった。


アイリスはその前へしゃがむ。


長い間、何も言わない。


レインは少し離れたところから見守った。


千年以上前、彼女は青い花からアイリスという名前を選んだ。


世界の外側で長い時間を過ごし、いつか本物の花をもう一度見たいと願っていた。


ようやく、その願いが叶った。


「レイン」


アイリスが振り返る。


「来て」


レインが隣へしゃがむと、アイリスは花を指差した。


「同じ?」


「何と?」


「昔見た花」


レインには分からない。


千年以上前のRainなら知っていたのかもしれないが、その記憶は現在のレインにはない。


だから正直に答えた。


「分からない」


アイリスは少しだけ考えた後、笑った。


「じゃあ、これを最初に見た花にする」


過去と同じでなくていい。


失ったものを完全に取り戻せなくてもいい。


これから新しく作ればいい。


その考え方は、ノエルにも、アイリスにも、カインにも、そしてレイン自身にも同じだった。


帰り道、ノエルがレインの手を握った。


反対側ではアイリスが青い花の名前をリリアに何度も尋ね、エマとカインが《レゾナンス》について言い争い、ユウトが王都で酒を飲める場所を探し、ノアが明日の予定を勝手に組み始めている。


レインは少し後ろを歩くガルドへ尋ねた。


「なあ」


「何だ」


「俺たち、これから何する?」


ガルドは当然のように答えた。


「依頼を受ける」


「普通に?」


「冒険者だからな」


「世界救った後なのに?」


「世界を救ったら仕事をしなくていいという規則でもあるのか?」


レインは笑った。


確かに、その通りだった。


魔王はいなくなった。


観測者も世界へ侵入できなくなった。


しかし魔物がすべて消えたわけではなく、困っている町も、助けを必要としている人もいる。


そして何より、まだ見たことのない場所が世界にはいくらでも残っている。


レインは自分の冒険者証をもう一度見る。


戦闘ランクD。


総合ランク規格外。


職業《後衛》。


それで十分だった。


世界の中心に立つ必要はない。


王になる必要も、英雄として祭り上げられる必要もない。


仲間たちの少し後ろに立ち、必要な時に支えればいい。


前を歩くノエルが振り返った。


「兄ちゃん、早く!」


「今行く!」


レインは歩く速度を上げた。


その時、視界の隅に一瞬だけ表示が現れる。


【パーティー状態――正常】


【生存者――全員】


【帰還者――全員】


【後衛位置――確認】


最後の一行を見て、レインは笑った。


ずっと追い出され続けた場所。


誰からも必要とされないと思っていた場所。


だが今では、そこが自分の居場所だった。


仲間たちの後ろ。


全員を見渡せる場所。


誰かが倒れそうになった時、一番早く手を伸ばせる場所。


レイン・アーク。


攻撃能力、なし。


防御力、Dランク。


表示レベル、30。


そして――世界最強の後衛。


レインは仲間たちの後を追い、夕暮れの王都を歩いていった。


――第七十九話 了――

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