第七十七話 世界に居場所を作る
第七十七話 世界に居場所を作る
【最終工程――世界承認固定】
【帰還対象――ノエル・アーク】
【帰還対象――アイリス】
【必要条件――帰還先世界による個体承認】
【必要承認――二名それぞれ独立】
表示を読み終えたレインは、すぐに《世界接続》を使って承認を取りに行こうとはしなかった。世界承認という言葉だけを見れば、国王や皇帝の許可を得ることなのか、あるいは世界そのものへ何らかの申請を行うことなのか判断できなかったうえ、ここまでの終焉回廊で学んできたことを考えれば、力任せに条件を満たそうとすること自体が間違いである可能性が高かったからだ。
「エマ、《レゾナンス》側から承認条件の詳細を読める?」
『今やってる。ちょっと待って……あ、出た』
ベルクにいるエマが《レゾナンス》へ神造魔力を流すと、最後の四%を構成する設計情報が少しずつ展開されていった。
【世界承認――権力者による許可ではない】
【世界承認――多数決ではない】
【世界承認――対象個体の存在を受け入れる現世界側接続の成立】
【必要要素――記憶/関係/居場所/本人意思】
ユウトが表示を見ながら首を傾げた。
「分かったような、分からないような条件だな。要するに『帰ってきてもいいと思ってる人がいればいい』ってことか?」
「それだけじゃないと思う」
レインはノエルの情報を開いた。
ノエルはかつて、この世界で確かに生まれ、家族と暮らしていた。しかし七歳の時、統合状態にあったRainに存在情報を喰われ、肉体だけでなく周囲の人間の記憶や世界記録からも消失している。現在はルークが記憶を保持し、レオンが幼い頃に託された一%の世界記録を持ち、《レゾナンス》には帰還可能な存在情報が保存されている。
「ノエルには、帰る場所がある」
レインがそう言うと、《世界接続》が反応した。
【ノエル・アーク】
【現世界出生記録――復元可能】
【血縁接続――確認】
【記憶保持者――確認】
【世界記録バックアップ――確認】
【本人帰還意思――確認済】
【世界承認進行率――68%】
「もう六十八%ある」
カインが驚いたように表示を見る。
完全に消されたはずのノエルが、ここまで戻っている理由は一つではなかった。ルークが忘れなかったこと、レオンが一%の記録を守り続けたこと、父や母の残した記憶が存在したこと、そしてレインとカインが奪われていた情報を取り戻したこと、そのすべてが少しずつノエルの居場所を世界へ作り直していたのである。
レインはベルクのルークへ接続した。
「ルーク。ノエルが帰ってきたら、どうする?」
『何、その質問』
「必要なんだ。ちゃんと答えてくれ」
少し間があった。
『兄さんとして迎えるよ。覚えてることも、覚えてないこともあると思うし、昔と同じノエルじゃないところもあるかもしれない。でも、それを理由にノエルじゃないなんて言わない。帰ってきたら、今度は一緒に暮らせばいい』
その言葉が《世界接続》へ流れ込む。
【血縁者による存在受容――成立】
【世界承認進行率――68%→79%】
続いてレインは王都のレオンへ繋いだ。
ノエルが帰還可能になったことを伝えると、国王としてではなく、かつてノエルと遊んだ一人の少年として答えてほしいと頼んだ。
『随分待たされたな』
レオンは静かに笑った。
『あいつには返してもらわなければならないものがある。昔、勝負の途中で消えたからな。本人は覚えていないかもしれないが、それなら最初からやり直せばいい』
【旧友による存在受容――成立】
【世界承認進行率――79%→87%】
それでも100%にはならない。
レインはそこで、自分がまだ何も言っていないことに気づいた。
これまでノエルを取り戻すために戦ってきたため、自分が受け入れることなど当然だと思い込んでいた。しかし世界は、行動だけではなく意思そのものを求めている。
レインは《レゾナンス》の中で眠る弟へ向けて言った。
「ノエル。昔のお前を全部取り戻せなくてもいい。俺を兄だと思えなくてもいいし、俺がやったことを許さなくてもいい。それでも帰ってきてほしい。俺は、お前の兄として今度こそ一緒に生きたい」
カインも少し遅れて続けた。
「僕も同じだよ。君を消した時、僕とレインは一人だったから、どっちの責任じゃないなんて言うつもりはない。でも僕は今、カインとして君に会いたい。レインの半分じゃなくて、もう一人の兄として」
二人の言葉が重なった瞬間、表示が変わった。
【ノエル・アーク】
【家族関係――再成立】
【帰還後居場所――確認】
【世界承認――100%】
【個体承認――成立】
ノエルについては終わった。
しかしアイリスの表示は、まったく違っていた。
【アイリス】
【現世界出生記録――なし】
【現世界血縁者――なし】
【現世界生活記録――なし】
【現世界直接記憶保持者――レイン・アーク/カイン】
【本人帰還意思――確認済】
【世界承認進行率――24%】
「低いな……」
レインは思わず呟いた。
アイリスは千年以上前、原初のRainの一人として境界の外側へ残された存在であり、今の世界で生まれたことも暮らしたこともない。しかも彼女を直接知っている者は、終焉回廊で出会ったレインたちしか存在しないため、ノエルのように失われた居場所を取り戻すことはできなかった。
ノアが表示を見ながら言った。
「ならば、取り戻すという発想を捨てろ。存在しなかった居場所を復元することはできない」
「じゃあどうする?」
「新しく作ればいい」
その言葉でレインは理解した。
アイリスには帰る家がない。
ならば、帰還ではなく、この世界で初めて生きる場所を作ればいい。
レインは《広域後衛》を使って世界中へアイリスの存在を知らせようとしたが、途中で止めた。大勢から承認を集めれば数字は上がるかもしれないものの、それではアイリス本人を知らない人々へ、目的も告げずに「受け入れてほしい」と要求することになってしまう。
必要なのは数ではない。
彼女がこの世界で生きることを、本当に受け入れる関係だった。
最初に応じたのはエマだった。
『私でいいなら、会いたいよ』
「エマ?」
『だって《レゾナンス》は、もともとアイリスを帰すために作られたんでしょ。千年以上も待たせたんだから、作った側の人間として完成した空くらい見せてあげたい。それに鍛冶師としても聞きたいことがいっぱいある』
【新規関係形成意思――確認】
【世界承認進行率――24%→39%】
次にミアが答えた。
『身体ができたら最初に診せて。千年以上保存されていた存在情報から肉体を作るんだから、本人が平気って言っても絶対に無理させないから』
【現世界生活支援――成立】
【39%→51%】
リリアは、この世界の服を一枚も持っていないなら最初に買いに行こうと言い、セラは未来視でアイリスの未来を覗くことはせず、「本人がこれから選ぶものを先に見たくない」と答えた。
ガルドはもっと単純だった。
『住む場所がないなら、最初は俺たちの拠点に来ればいい』
それだけだった。
しかし、その一言で数字が大きく動いた。
【帰還後居場所――仮成立】
【世界承認進行率――51%→73%】
アイリスが千年以上欲しかったものは、世界を救う役割でも、Rainとしての機能でもない。
空を見たい。
町を歩きたい。
花を見たい。
それだけだった。
レインは終焉回廊で彼女が語った願いを思い出し、今度は王都や帝国へではなく、自分たちの仲間だけへ接続を広げた。
「アイリスが帰ってきたら、一緒に世界を見せてやってほしい。Rainとしてじゃなくて、アイリスとして」
返事は一つではなかった。
誰かが食事へ連れていくと言い、誰かが海を見せたいと言い、ユウトは「日本は無理だけど、この世界で美味いものくらいなら探せる」と笑った。ソラは、自分も与えられた番号ではなく自分で名前を選んだ経験があるからこそ、「アイリスが自分で選んだ名前なら、その名前で会いたい」と答えた。
それらは世界を代表する言葉ではない。
ただ、人が一人を迎えるための言葉だった。
【アイリス】
【新規関係――形成】
【帰還後生活可能性――確認】
【現世界存在受容――拡大】
【世界承認進行率――73%→91%】
あと九%。
レインは何が足りないのか考えたが、やがて答えは《レゾナンス》側から示された。
【不足要素――本人による現世界選択】
レインは息を呑んだ。
これまでアイリスは「帰りたい」と言っていた。
しかしそれは千年以上前から待ち続けたRainが作ろうとしていた《世界帰還》への意思であり、現在の世界を自分の生きる場所として選んだこととは少し違う。
「エマ。アイリスと話せる?」
『保存状態を崩さずに? 今までは無理だったけど……世界継承機構が100%になった今なら、一回だけ短時間なら繋げられるかもしれない』
《レゾナンス》が静かに光る。
肉体はまだ形成されない。
しかし保存領域と《世界接続》の間に、ごく細い通信経路が作られた。
やがてレインの耳に、懐かしい少女の声が届いた。
『……レイン?』
「ああ。聞こえる」
長い沈黙の後、アイリスが尋ねる。
『あの世界に、行ってもいいの?』
「俺が決めることじゃない」
レインは答えた。
「みんなは来てほしいって言ってる。でも最後に決めるのはアイリスだ。昔のRainとの約束を果たすためじゃなくて、自分がそこで生きたいと思うなら来ればいい」
アイリスはしばらく何も言わなかった。
そして、小さく笑った。
『私、青い花を見つけたい』
「うん」
『知らない町を歩きたい。服も選びたいし、美味しいものも食べてみたい。それから……今度は誰かを送り出す側じゃなくて、私もみんなと一緒に帰りたい』
その言葉が世界へ届いた。
【本人意思――確定】
【現世界選択――成立】
【アイリス世界承認――100%】
【個体承認――成立】
同時に、《レゾナンス》から強い光が放たれた。
【帰還対象二名――独立承認完了】
【ノエル・アーク――100%】
【アイリス――100%】
【最終工程《世界承認固定》――完了】
【神造武具】
【完成率96%→100%】
ついに完成した。
千年以上前、境界の外側へ残された一人の少女を帰すために構想され、二百十四年前に神造武具として形を与えられ、父やエマへ受け継がれてきた《レゾナンス》が、長い時間を経て本来の姿へ到達した。
【神造最終機能――《世界帰還》】
【使用可能】
【帰還対象――2】
【肉体形成――可能】
【世界定着――可能】
レインはすぐに実行を選ぼうとして、手を止めた。
表示の一番下に、まだ一つだけ確認事項が残っていたからだ。
【警告】
【《世界帰還》は対象個体を情報ではなく生命として現世界へ再構成する】
【帰還後――再保存不可】
【帰還後――通常生命として生存】
【死亡時――通常生命と同様に死亡】
特別な存在として蘇るわけではない。
不死でもない。
やり直しもない。
一度帰ってくれば、二人は傷つき、病気になり、老い、いつか死ぬ。
それでも。
それこそが、二人を世界へ帰すということだった。
レインはベルクにいるエマへ告げた。
「戻る。ノエルとアイリスを帰す時は、俺もそこにいたい」
『うん。待ってる』
カインも当然のように隣へ並んだ。
「僕も行くよ。ノエルに会うの、初めてだから」
「俺だって今のノエルに会うのは初めてだよ」
「じゃあ二人とも初対面だね」
終焉回廊の出口が開く。
千年以上続いたRainの戦いは終わった。
しかしレインにとって、本当に取り戻したかったものは、戦いの勝利ではない。
弟を弟として。
一人の少女を一人の少女として。
今度こそ誰も世界の外側へ置き去りにせず、一緒に生きられる場所へ連れて帰ることだった。
《レゾナンス》は100%。
《世界帰還》の準備も整った。
あとは二人を迎えるだけだった。
――第七十七話 了――




