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世界最低の後衛は最高の後衛だった ~三度追放された荷物持ちは、捨てられた才能だけを集めて魔王を討つ~  作者: あめのひくもり


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第七十六話 父を連れて帰る

第七十六話 父を連れて帰る


【内部抵抗個体――接続消失】


【識別――父】


【存在維持率――18%】


観測者との寄生関係を断ち切ることには成功したものの、その内部へ自らの生命情報を移し、長い間そこに留まりながら抵抗を続けてきた父にとって、観測者との接続が失われることは、自分を縛っていた牢獄から解放されると同時に、自分を存在させていた足場まで失うことを意味していた。


「戻るぞ」


レインがそう言って来た道へ向かおうとすると、ノアは一瞬だけ何かを考えたものの、止めることはせずに《生還経路》を展開した。


「当然だ。ただし急げ。観測者の寄生構造が消えたことで境界深層そのものが再編成を始めている。来た時と同じ経路が残っている保証はない」


「ユウト、道は分かる?」


「完全には無理だ。でも父親の反応がまだ残ってるなら、それを基準にできる。《境界戦術士》は敵を探すだけの職業じゃないらしいからな」


ユウトが《同期解析》と《崩壊予測》を重ね、薄れていく父の存在反応と周囲の境界変動を照合すると、ノアがその結果から最短の生還経路を組み立てた。レインは四人の存在を現世界へ固定し、カインは閉じ始めた境界の裂け目だけを選んで切り開くことで、来た時より遥かに速い速度で深層を引き返していった。


それでも父の存在維持率は待ってくれない。


【存在維持率――18%→15%】


【12%】


【9%】


「父さん!」


レインが呼びかけても返事はなく、代わりに《世界接続》を通して、極めて弱い反応だけが返ってくる。


完全に消えたわけではない。


まだ間に合う。


そう信じて進み続け、ようやく父を残した空間へ戻った時、そこに人の姿はほとんど残っていなかった。白衣を着た男の輪郭は崩れ、胸から上だけが薄い光として存在しており、顔さえ注意深く見なければ判別できないほど透けている。


【存在維持率――6%】


「遅かったな」


それでも父は、最初に会った時と同じ言葉を口にした。


「その台詞、二回目だぞ」


レインは父の前へ駆け寄り、迷わず《世界接続》を伸ばした。


ところが接続した瞬間、警告が現れる。


【対象個体――肉体情報なし】


【生命核――消失】


【成長核――消失】


【人格情報――残存34%】


【記憶情報――残存21%】


【現世界直接定着――不可能】


普通の生命としては、既に死んでいる。


今ここに残っている父は、観測者の内部へ転送された生命情報の残滓であり、魂と呼ぶべきものが完全な形で保存されているわけでもなかった。


「《レゾナンス》なら?」


レインがベルクへ通信を繋ぐと、状況を聞いたエマはすぐに解析を始めた。


『ちょっと待って……今の《レゾナンス》なら境界外情報を保存できる。でも、ノエルやアイリスとは条件が違いすぎる。二人は帰還させるために必要な存在情報がかなり残ってるけど、お父さんは欠けすぎてる』


「保存だけならできる?」


『できると思う。ただ――』


エマの声が止まる。


『保存できることと、生き返らせられることは別だよ』


「分かってる」


レインは即答した。


「それでも消えるよりいい」


その時、父が静かに口を挟んだ。


「やめろ」


レインは振り返った。


「何でだよ」


「俺はもう死んでいる。ノエルやアイリスとは違う。あの二人には戻るべき存在情報が残されているが、俺に残っているのは記憶の断片に近い。それを無理に人間へ戻しても、出来上がるものが俺なのかは分からない」


「だからって、このまま消える必要ないだろ」


「レイン」


「ノエルもアイリスも連れて帰るって決めた。だったら父さんだけ置いていく理由なんて――」


そこまで言ったところで、カインがレインの肩を掴んだ。


止めるためではなかった。


「レイン。聞こう」


「カイン?」


「第五区画で僕たちがやったこと、忘れたの?」


レインは言葉を失った。


正常な世界から情報を奪わず、相手が自分から渡したものだけを受け取った。


最終試験でも、救う側が勝手に生き方を決めるのではなく、そこにいる人々自身へ選択を返した。


そして今、自分は父を失いたくないという理由で、本人の意思を聞く前に保存しようとしている。


レインは目を閉じ、一度だけ大きく息を吐いた。


「……父さんは、どうしたい?」


父はすぐには答えなかった。


消えかけた視線をレインへ向け、それからカインを見る。


「俺は、生き返りたいとは思わない」


レインの胸が痛んだが、口を挟まなかった。


「だが、まだ消えたくもない」


その言葉にカインが僅かに目を見開いた。


父は笑った。


「カインに、話の続きをすると約束したからな。それにルークにも謝らなければならない。ノエルが帰ってくる可能性が本当にあるのなら……一度くらい、あいつにも謝りたい」


「じゃあ――」


「ただし、復活させるためではなく、残っている俺をそのまま保存してくれ。完全な人間へ戻せると決めつけず、俺が何者なのか分からなくなるような補完もしないでほしい」


レインはその意味を理解した。


欠けた記憶を他の記録から勝手に埋めれば、父によく似た別人を作ることになる可能性がある。それは救済ではない。


「分かった。今残ってる父さんを、そのまま連れて帰る」


「それでいい」


本人の意思が確認された瞬間、《世界接続》が反応した。


【対象個体――保存意思確認】


【世界継承機構――100%】


【《継承共有》適用可能】


【情報補完――禁止指定】


【現存情報のみ保存】


レインは驚いた。


《レゾナンス》を使う必要すらなかった。


完成した世界継承機構は、滅びた世界の情報だけではなく、本人が残すことを望んだ存在情報についても、元の構造を変えずに保持できる。


「父さん、行くぞ」


「ああ」


レインが《継承共有》を発動すると、父の身体がゆっくりと光へ変わり始めた。それは消滅ではなく、残された人格と記憶を一切補完せず、そのまま世界継承領域へ移す処理だった。


【人格情報――34%】


【記憶情報――21%】


【生命情報――保存】


【個体名――未登録】


そこでレインは手を止めた。


「そういえば、父さんの名前……俺、聞いてない」


父が一瞬呆れたような顔をした後、初めて声を上げて笑った。


「今さらか」


「ずっと父さんだったから」


「僕も知らない」


カインまで真顔で言う。


父はしばらく二人を見つめ、それから自分の名前を告げようとした。


しかし声が出るより早く、表示が乱れた。


【個体名称情報――欠損】


父自身も驚いたようだった。


「……そうか。そこまで失っていたか」


レインは何とも言えない表情になったが、父はむしろ穏やかだった。


「なら、今は父でいい」


「適当じゃない?」


カインが言う。


「お前たちにとって間違ってはいないだろう」


「まあ、そうだけど」


【個体識別――父】


【保存状態――安定】


【復元処理――禁止】


【本人意思による解除まで継承領域内保存】


父の最後の輪郭が消える直前、レインには確かに声が聞こえた。


「今度は置いていかなかったな」


「ああ」


それだけ答えると、父の存在情報は完全に安定した。


レインはしばらくその場を動かなかったが、カインが隣から小さく肘で突いた。


「帰ろう。話の続きは向こうでするんでしょ」


「そうだな」


ノアも周囲を確認しながら、現実的な問題へ意識を戻した。


「感傷に浸るのは帰還後にしろ。境界深層の再編成が予想以上に速い。このままでは《レゾナンス》が固定している帰還座標までの経路が消える」


四人は現世界へ向かって移動を開始した。


観測者からの攻撃は、もうなかった。


正確には攻撃できない。


世界継承機構が100%へ到達し、外部寄生拒絶機能が完成したことで、観測者はRainを通して現世界へ干渉する能力を完全に失っている。


しかし境界外領域の奥には、縮小した観測者の反応がまだ残っていた。


レインは一度だけ振り返る。


【世界捕食寄生体】


【状態――境界外孤立】


【世界侵入能力――喪失】


【存在維持率――低下中】


【原初個体情報――存続】


消したわけではない。


寄生させないと決めただけだ。


その結果として観測者が今後どうなるのかは、まだ分からない。


ただ、少なくとも千年以上続いたRainとの関係は終わった。


帰還座標へ近づくにつれ、《レゾナンス》の反応が強くなっていく。


『レイン、聞こえる?』


エマの声だった。


「聞こえる」


『こっちからも四人を確認できた。今から《世界帰還》の仮経路を開く。ただし完成率96%だから、一回しか使えないと思って』


「十分」


光の裂け目が現れる。


その向こうには終焉回廊の最終区画が見えた。


ユウトが先に入り、ノアが続く。


レインはカインを見る。


「行くぞ」


「うん」


二人が同時に境界を越えた瞬間、仮経路が閉じた。


【境界外領域――離脱】


【現世界法則――再接続】


【帰還成功】


終焉回廊へ戻ったレインは、久しぶりに地面の重さを感じた。境界外では曖昧だった空気も温度も重力も、今では妙に懐かしい。


その直後、ベルクからエマの大声が響いた。


『帰ってきたなら、すぐ確認して! 《レゾナンス》がまた変わった!』


新しい表示が開く。


【神造武具《レゾナンス》】


【完成率――96%】


【世界継承機構100%――接続確認】


【世界帰還機能――最終工程解放】


【不足情報――4%】


そして、その下に最後の条件が表示された。


【最終工程――世界承認固定】


【帰還対象――ノエル・アーク】


【帰還対象――アイリス】


【必要条件――帰還先世界による個体承認】


【必要承認――二名それぞれ独立】


レインは表示を読み返した。


これまで足りなかった最後の四%は、素材でもレベルでもなかった。


世界へ帰るためには、武器が二人を作るだけでは足りない。


今の世界そのものが、ノエルとアイリスを「ここに存在してよい人間」として受け入れなければならない。


そして二人をまとめてRainの一部として戻すのではなく、ノエルはノエルとして、アイリスはアイリスとして、それぞれ別々に承認される必要がある。


レインは、その条件を見て少しだけ笑った。


「最後まで同じなんだな」


カインが隣で頷く。


「一つにしない。勝手に決めない。それぞれ本人として帰す」


世界継承機構は完成した。


観測者との千年以上の寄生関係も終わった。


残るのは、《レゾナンス》を最後の100%へ到達させ、世界の外側で待ち続けている二人を帰還させることだった。


ノエルとアイリスを、ようやく家へ連れて帰るために。


――第七十六話 了――

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