第六十八話 第三の選択肢
第六十八話 第三の選択肢
【C――未定義】
何も書かれていない第三の選択肢を見つめながら、レインはすぐに答えを入力しようとはしなかった。
終焉回廊に残れば真Lv100へ到達できる可能性がある一方、その間にも現世界では戦闘が続き、仲間や兵士たちの被害が増えていく。しかし今すぐ帰還すれば目の前の被害を減らせても、観測者――正確には《世界捕食寄生体》へ到達するために必要なLv100への成長経路を失い、十三日余り後にはレインとカインが強制的に統合され、現在世界そのものが捕食される。
どちらを選んでも、最終的には誰かを見捨てることになる。
「まず確認したいんだけどさ」
レインが口を開くと、ノアは表示から視線を外さないまま答えた。
「何だ?」
「Aには『攻略中の現世界被害増大』って書いてあるけど、俺がここにいる間は現世界を支援できないとは書いてないよな?」
ノアの目が僅かに細くなった。
「確かに書かれていない。さらにBも『即時防衛参加可能』とはあるが、帰還しなければ防衛支援が不可能だとは定義していない」
「だったら、俺はここに残って攻略を続けながら、外も支援する」
ユウトが呆れたようにレインを見る。
「また両方か」
「駄目?」
「いや、お前ならそう言うと思っただけだ。ただ、遠隔支援は六十一%しか残らないんだろ。外の戦況全部を支えながら、ここの攻略まで続けられるのか?」
そこが問題だった。
《広域後衛》が深化したことで遠隔支援残存率は45%から61%まで上昇しているものの、完全な支援ではない。しかも現在のレインは、アルディスとグランディアという二つの国家規模の支援網を抱えているため、それを常時維持しながら終焉回廊最深部の攻略を続ければ、情報処理能力が先に限界へ達する可能性が高かった。
だが、レインにはもう一つ思い当たることがあった。
「俺が全部やる必要もないんだよな」
カインが横を見る。
「今さら?」
「今さら言うなよ。俺だって少しずつ成長してるんだから」
レインは《広域後衛》を開き、外にいる仲間たちとの接続状態を確認した。ベルクにはガルド、リリア、エマがいて、王都にはセラ、ミア、アレン、ソラ、レイがいる。ルークは記録情報を通して終焉回廊との接続を維持し、レオンとヴァルディオスはそれぞれの国で防衛体制を指揮していた。
これまでは、彼らへ必要な支援をレイン自身が選び、能力強化や情報共有という形で送り続けてきた。
しかし、それではレイン一人が全員の状態を判断し続けなければならない。
第六十四話で《連合支援》が一方向から相互型へ変化したのなら、支援そのものの形も変えられる可能性がある。
「ガルド、聞こえる?」
『聞こえてる。どうした』
「俺が細かく指示しなくても、ベルクで必要な支援を自分たちで選べるか試してほしい」
少し間があった。
『意味が分からん』
「例えばガルドが防御を強くしたい時、俺が判断して防御支援を送るんじゃなくて、ガルド自身が《連合支援》から必要な分を引き出す。リリアなら魔力、エマなら鍛冶や《レゾナンス》の維持って感じで」
『お前の力を勝手に使えってことか?』
「勝手じゃなくて、繋がってる仲間に判断を任せるんだよ」
その説明を聞いたノアが、レインの意図を理解した。
「支援権限の分散か。お前自身を全支援の判断者にするのではなく、接続された各拠点に必要量の判断を委譲すれば、情報処理負荷を大幅に減らせる可能性がある」
「そういうこと。俺は後ろから全部を見るけど、全部を俺が決める必要はない」
レインは仲間たちへ同じ説明を送り、それぞれが自分の意思で必要な支援を選べるよう《広域後衛》の接続構造を変更していった。
最初は何も起こらなかった。
ところがベルクでガルドが意識的に防御支援を求めた瞬間、レインが何も操作していないにもかかわらず、《全域支援》の一部が自動的にガルドへ流れ始めた。
【支援対象による自律選択――確認】
続いてリリア、エマ、さらに王都の仲間たちも同じ方法を試し、各自が必要な支援だけを受け取れることが確認される。
【《広域後衛》――機能拡張】
【支援権限分散――成立】
【自律支援網――構築】
【遠隔支援残存率――61%】
残存率そのものは上昇していない。しかし、レイン自身が処理しなければならない情報量が大きく減っていた。
「これならいける」
レインが呟くと、ユウトはまだ少し疑わしそうだった。
「外で本当に戦闘が始まった時にも機能するのか?」
その答えは、思いがけず早く出た。
レオンから緊急通信が入ったのである。
『レイン、東部境界で魔王軍の新しい集団を確認した。数はおよそ六百、既存の魔物ではなく境界侵食を受けた個体が中心だ』
ほぼ同時に、ヴァルディオスからも報告が届く。
『帝国北西部でも反応を確認した。こちらは約九百。おそらく同時攻撃だ』
以前なら、レインは二つの戦場を自分で確認し、誰へ何の支援を送るべきか判断していただろう。
今回は何もしなかった。
正確には、接続だけを維持した。
アルディス側ではセラが未来視によって敵の侵入経路を予測し、その情報を受けた兵士たちが自分たちに必要な移動補助と防御支援を選択する。グランディア側でも各部隊が必要な支援を自律的に引き出し、指揮官たちはレインへ判断を求めることなく防衛線を組み替えていった。
レインに返ってきたのは、個々の細かな要求ではない。
戦場全体の結果だけだった。
【アルディス東部――防衛線維持】
【グランディア北西部――迎撃開始】
【《広域後衛》――正常稼働】
レインは思わず笑った。
「俺、いなくても結構大丈夫じゃん」
『何を今さら言っている』
遠隔通信からガルドの声が返ってくる。
『お前がいないと支援そのものが使えん。だが、どこでどう使うかくらい俺たちに決めさせろ』
「はいはい」
『返事が軽い』
通信を聞いていたカインが笑った。
「良かったね。ようやく仲間からも『全部自分でやるな』って言われた」
「お前にだけは言われたくない」
それでもレインは、自分の中で何かが変わったことを感じていた。
後衛とは、全員を自分の手で動かす者ではない。
仲間が自分で選び、自分で動き、その力を最大限に発揮できる場所を作る者なのだ。
その理解が成立した瞬間、空白だった第三の選択肢に文字が浮かび上がった。
【C――攻略継続/現世界遠隔防衛】
【条件――支援判断の分散】
【条件――相互支援網の自律運用】
【条件達成】
続いて、AとBの表示が消える。
【第三継承区画――攻略成功】
「戦わずに終わったな」
ユウトが言うと、ノアは首を横に振った。
「最初から戦闘試験ではない。二者択一を押しつけられた時、自分で第三の方法を構築できるかを見る試験だったのだろう」
その直後、レインの身体へ経験が流れ込んだ。
【支援対象生存――継続】
【二国家防衛支援――成立】
【第三継承区画――特殊経験獲得】
【レイン・アーク 真Lv84→86】
レインは表示を確認しながら、自分が何一つ倒していないにもかかわらず成長していることに、改めて奇妙な感覚を覚えた。
しかし今回は、それだけではなかった。
【世界継承機構――修復率81%→84%】
【《相互支援》――定着進行】
【受容核/捕食核――接続安定】
カインのレベルは変わっていない。第三区画で求められたのは捕食ではなく、レイン自身が「支援すること」と「支配すること」の違いを理解することだったらしい。
「僕は上がらないんだ」
「残念だったな」
「ちょっと腹立つ」
「競争じゃないって」
「さっき競争って言ったの君だよ」
そこは否定できなかった。
第三継承区画の景色が消えると、さらに奥へ続く階段が現れた。
これまでと違い、その先からは明確な敵意が感じられる。
ユウトが《境界戦術士》を使った直後、表情を変えた。
「今度は本当に敵だ。しかも一体じゃない」
階段の先に、複数の反応が浮かび上がる。
【第四継承区画】
【侵入個体――検出】
【世界継承機構由来――否定】
【終焉回廊所属――否定】
【外部侵入――確認】
ノアが即座に理解した。
「試験用の存在ではない。誰かが終焉回廊へ侵入している」
「観測者?」
レインが尋ねると、答えが表示された。
【分類――世界捕食寄生体分体】
【個体数――8】
【推定Lv――88〜92】
原初記録を開いたことで、観測者もまた終焉回廊の最深部へ到達する経路を見つけたらしい。
さらに悪いことに、その八体はレインたちへ向かっているのではなかった。
【侵入目的――世界継承記録捕食】
【第一目標――原初記録】
【第二目標――世界帰還機構情報】
レインの表情から笑みが消える。
原初記録を喰われれば、Rainが本来二人だったという証拠そのものが失われる可能性がある。
そして《世界帰還》の情報まで奪われれば、《レゾナンス》を完成させ、ノエルとアイリスを帰還させる道まで閉ざされかねない。
「ノア、八体全部倒す必要はある?」
「いや。目的は記録の防衛だ。侵入個体の殲滅に固執する必要はない」
「ユウト、動きは読める?」
「やってみる。職業を取ったばかりだから期待しすぎるなよ」
「カインは?」
カインは既に前へ出ていた。
「壊していい相手なら簡単だよ」
「喰いすぎるなよ」
「分かってる」
レインは最後に、二人の帝国兵へ支援を繋ぎ直した。
自分は攻撃できない。
それは最初から変わらない。
だが、今のレインにはカインがいて、ユウトがいて、ノアがいて、帝国兵がいて、遠く離れた場所には自分の判断を待たずに戦える仲間たちがいる。
一人ですべてを抱える必要がなくなったからこそ、自分は目の前の戦場へ集中できる。
【第四継承区画――防衛戦開始】
【原初記録保全率――100%】
【敵性個体――8】
レインは《全域支援》を展開しながら、階段の先に現れ始めた黒い人影を見据えた。
その中の一体が、レインとカインを認識すると、人間の声を模倣するように口を開いた。
「二つである必要はない」
カインが露骨に嫌そうな顔をする。
「それ、もう聞き飽きた」
レインも同じだった。
千年以上にわたってRainを追い続け、一人へ戻そうとしてきた存在に対して、今さら迷う理由はない。
「悪いけど、俺たちは二人で行くよ」
レインがそう答えると、八体の分体が一斉に動き出した。
真Lv100へ至るための試験は、ここから初めて、観測者との直接的な戦いへ変わろうとしていた。
――第六十八話 了――




