第六十七話 救うべきもの、喰うべき
第六十七話 救うべきもの、喰うべきもの
「あなたたちが……次のRainなの?」
少女の問いに、レインはすぐ答えることができなかった。
第二継承区画に広がっていたのは、第一継承区画の森とはまるで違う小さな町だった。石造りの家々が細い道を挟んで並び、遠くには白い塔まで見えているが、人の気配は少女以外に一つもなく、空も雲も不自然なほど動いていないため、かつて実在した町の一瞬だけを切り取って保存したように見える。
その中央に立つ少女は十歳ほどにしか見えず、淡い茶色の髪に簡素な服を身につけていた。怯えながらも逃げようとはせず、むしろ長い間待っていた者がようやく訪れた相手を確かめるように、レインとカインを交互に見ている。
問題は、その少女に対する二つの能力の判定が完全に食い違っていることだった。
【《世界接続》判定――保存対象】
【《才能可視化》判定――崩壊対象】
レインはもう一度確認したが結果は変わらず、どちらか一方が誤作動している様子もない。
「次のRainってことは、俺たちが来るのを知ってたのか?」
レインが尋ねると、少女は少し考えてから頷いた。
「ずっと前に来た人が言ってたの。いつか二人で来るRainがいるから、その人たちが来るまで待っていなさいって」
「前に来た人は一人だった?」
「うん。女の人だったよ」
レインとカインが顔を見合わせる。
終焉回廊に残されている過去のRainは一人ではないため、それだけで誰なのかを特定することはできない。しかし「二人で来るRain」を知っていたのなら、少なくとも二核構造について理解していた人物だった可能性は高い。
ノアは少女へ近づかず、その場から周囲を観察していた。
「名前を聞いてもいいか?」
「フィア」
「ここがどこなのか分かるか?」
「私の町。でも、本当の町はもうないよ」
少女――フィアは、寂しそうに周囲を見回した。
「みんな死んじゃったから」
その言葉と同時に、町の景色が僅かに揺らいだ。
建物の一部が一瞬だけ崩れ落ちた廃墟へ変わり、次の瞬間には何事もなかったように元へ戻る。保存された正常な世界情報と、崩壊した世界の情報が重なっているのだとレインは理解した。
ユウトが新たに得た《境界戦術士》の能力を使い、フィアを注意深く観察する。
「敵としての反応はない。ただし普通の保存生命情報でもないな。身体の中に二種類の情報が混ざってる」
「割合は?」
「分からない。境界そのものが曖昧すぎる」
第一継承区画では、保存すべき情報と除去すべき崩壊情報をレイン一人でも識別できた。しかし第二継承区画では、それが意図的に見えなくされている。
【受容核単独判定――禁止】
【捕食核単独判定――禁止】
先ほど表示された条件の意味が、ようやくはっきりしてきた。
レインが《世界接続》を使えば、フィアは確実に保存対象として見える。世界の中に存在していた少女の記憶や人格を認識しているからだろう。
一方で《才能可視化》は、フィアという存在そのものを崩壊対象と判定している。
「カイン、お前にはどう見える?」
「壊れてる」
カインは迷わず答えた。
「でも全部じゃない。僕の《境界干渉》で見ると、フィアの中にある何かが周りの世界を喰ってる。ただ、それを切ろうとするとフィア自身まで一緒に消えると思う」
「だったら保存するしかないだろ」
「それをやったら、この子と一緒に壊れたものまで次の世界へ運ぶことになるんじゃない?」
レインは答えられなかった。
ここで求められているのは、単純に「少女を救うか殺すか」という選択ではない。
少女をそのまま保存すれば崩壊情報まで残る。
崩壊部分を消せば少女まで失われる。
どちらか一方を選ぶ限り、必ず何かを間違える。
「フィア」
レインは少女と同じ高さまで腰を落とした。
「自分の中に何があるか知ってる?」
フィアは俯き、しばらく黙った後で小さく頷いた。
「私が最後だから」
「最後?」
「町のみんなが死ぬ時に、全部私に入れたの。お父さんも、お母さんも、先生も、隣のおばあちゃんも、みんなの記憶を残してって言われたから」
その言葉を聞いた瞬間、レインの《世界接続》が反応した。
フィアの中に存在していたのは、少女一人の記憶ではなかった。
数千人。
この町で暮らしていた人々の記憶や感情が、彼女一人の存在情報へ無理やり保存されている。
だから《世界接続》は保存対象と判断した。
失えば、一つの町そのものが消えるからだ。
しかし同時に、それほど大量の人格情報を一人の少女へ押し込んだ結果、フィア自身の存在は既に崩壊を始めている。
だから《才能可視化》は、彼女を崩壊対象と判断したのだ。
「一人に持たせちゃいけない……」
レインは原初記録で聞いた言葉を思い出していた。
世界一つの死を、一人で抱えることはできない。
それなのにこの町の人々は、生き残った少女一人へ自分たちの記憶を預けてしまった。
善意だったのかもしれない。
忘れられたくなかったのかもしれない。
しかし、その結果としてフィアは何百年、あるいはそれ以上の時間を、自分以外の数千人を抱えたままここで待ち続けている。
「前のRainは、どうしてフィアを助けなかったんだ?」
カインの問いに、フィアは静かに答えた。
「助けようとしてくれたよ。でも、その人一人だけだったから無理だったの」
レインは息を呑んだ。
「その人、何て言ってた?」
「次は間違えないって言ってた。それから、二人で来たRainなら、私を一人にしないで済むかもしれないって」
そこでレインはようやく理解した。
この試験で問われているのは、保存か捕食かを選ぶ能力ではない。
その二つを同時に使えるかどうかだ。
「カイン。フィアを喰うんじゃなくて、フィアの中に押し込まれている記憶だけを外へ出せるか?」
「外へ出した後は?」
「俺が受け取る。でも俺の中にも入れない」
カインが眉を寄せる。
「じゃあ、どこに置くの?」
レインは町全体を見回した。
「ここに返す」
フィアの中へ無理に押し込まれた数千人分の記憶を、一人の人格として保存する必要はない。それぞれが暮らしていた家や道、学校、広場と結びつけ、町そのものの世界記録として保存すればいい。
人間として復元することはできなくても、彼らが生きていた事実まで少女一人に背負わせる必要はない。
ノアも意図を理解した。
「カインがフィアと町の記憶を分離し、レインがそれぞれを世界記録へ再接続するわけか。理論上は可能だが、一度始めれば途中で止められないぞ」
「やる」
「僕も異論はないよ」
カインが答える。
二人はフィアへ説明し、最後に本人の意思を確認した。
「町のみんなを忘れちゃわない?」
フィアが不安そうに尋ねる。
「忘れない。でも、フィア一人に全部覚えててもらうのはやめる。みんながいたことは、この町そのものに残す」
「私がお母さんを忘れたら?」
「全部忘れるわけじゃない。フィア自身の思い出は残すよ。他の人から押し込まれた記憶だけを返すんだ」
少女は長い時間考えてから、小さく頷いた。
「それなら、お願い」
本人の同意を確認した瞬間、《相互支援》が起動した。
カインがフィアの内部へ《境界干渉》を伸ばし、彼女自身の人格と外部から埋め込まれた記憶の境界を慎重に切り分けていく。レインはカインが分離した情報を《世界接続》で受け止め、それぞれが本来属していた場所へ戻していった。
パン屋を営んでいた男の記憶は、小さな店へ。
子供たちを教えていた女性の記憶は、学校へ。
毎朝広場を掃除していた老人の記憶は、町の中央へ。
誰か一人の中ではなく、この世界そのものへ彼らが生きた痕跡を残していく。
フィアの身体から黒い濁りが少しずつ消え、同時に町の景色が鮮明になっていった。
最後に残ったのは、母親の記憶だった。
フィアが泣きながらレインを見る。
「これは……残してもいい?」
レインはその情報を確認した。
他人から押し込まれた記録ではない。
母親とフィア自身が一緒に過ごした、彼女自身の思い出だった。
「もちろん。それはフィアのものだから」
カインもそこには触れなかった。
やがて処理が終わる。
【外部人格情報――分離完了】
【町記録――再構築】
【保存率――96.8%】
【個体フィア――正常化】
レインの《世界接続》と《才能可視化》が、初めて同じ答えを示した。
【保存対象】
フィアは自分の胸へ手を当て、不思議そうな顔をしていた。
「静かになった」
「怖い?」
レインが聞く。
「ちょっと。でも、私の声がちゃんと聞こえる」
それだけ言うと、少女は笑った。
町全体が柔らかな光へ変わり、フィアの姿もその中へ溶けていく。消滅ではなく、正常な世界情報として終焉回廊へ保存され直したのだと表示が教えていた。
【第二継承区画――攻略成功】
【世界継承経験――獲得】
【レイン・アーク 真Lv82→84】
【カイン Lv34→37】
レインは上昇した数字を確認したものの、以前ほどレベルそのものに意識を奪われることはなかった。
それ以上に重要な変化があった。
【二核共同判定――成立】
【相互支援適合率――71%→83%】
【世界継承機構――修復率78%→81%】
カインも表示を見ながら、少しだけ納得したように息を吐く。
「保存するか喰うかじゃなくて、二人で分け直すのが正解だったんだね」
「ああ。多分、これが本来のRainの仕事なんだ」
壊れたものを何でも捨てるわけではなく、残したいものを何でも抱え込むわけでもない。何を残し、何を終わらせるべきなのかを二人で判断し、それぞれが自分の役割を果たす。
そのためにRainは、最初から二人だった。
第二継承区画が完全に消えると、第三の扉が現れた。
今度は推奨レベルも試験内容も表示されず、代わりに一つだけ奇妙な条件が示されている。
【第三継承区画】
【攻略対象――なし】
【保存対象――なし】
【必要条件――選択】
「嫌な書き方だな」
ユウトが呟くと、ノアも珍しく同意した。
「戦う相手も救う相手もいないのに選択だけ要求するなら、次は能力ではなく判断そのものを試す区画だろう」
レインが扉へ近づくと、その表面に二つの数字が浮かび上がった。
【現在世界――推定生存率31.4%】
【Rain完全侵食まで――13日17時間】
続いて、二つの選択肢が表示される。
【A――終焉回廊攻略を継続】
【B――現在世界へ帰還】
その下には、それぞれの結果まで記されていた。
【A選択:真Lv100到達可能/攻略中の現世界被害増大】
【B選択:即時防衛参加可能/真Lv100到達経路喪失】
レインは黙って表示を見つめた。
終焉回廊に残れば、観測者へ到達するために必要なLv100を目指せる。しかし、その間にも外では魔王軍との戦いが続き、仲間や兵士たちは傷ついていく。
今すぐ戻れば、彼らを支援できる。
その代わり。
Lv100へ至る唯一の道を失う。
どちらを選んでも、何かを失うように作られていた。
ところがカインは二つの選択肢ではなく、その上に書かれている文章を見ながら、妙な顔をしていた。
「レイン」
「何?」
「これ、本当に二択なの?」
レインはもう一度表示を見る。
そして、ようやく気づいた。
ここまで何度も観測者が押しつけてきたものと、あまりにも似ている。
どちらかを救え。
どちらかを捨てろ。
一つを選べ。
しかしRainは、最初から二人だった。
レインはゆっくり笑った。
「違うな。多分これ、選択肢を選ぶ試験じゃない」
「じゃあ?」
「二択そのものを疑えるかどうかの試験だ」
ノアがその言葉を聞き、二つの選択肢を改めて見つめる。
その瞬間。
それまで存在しなかった第三の空欄が、二人の前に浮かび上がった。
【C――未定義】
レインとカインは同時に笑った。
どうやら次の試験は、用意された正解を選ぶものではないらしい。
――第六十七話 了――




