第六十六話 後衛の経験
第六十六話 後衛の経験値
原初記録の閲覧を終えたレインたちが新たに開いた通路へ足を踏み入れると、それまでの終焉回廊とは明らかに空気が変わった。
壁や床は存在しているものの、その表面には森や海、見知らぬ都市、荒野といった無数の風景が薄く重なっており、歩くたびに景色が入れ替わっていく。それらは単なる幻ではなく、世界継承機構によって保存された滅亡世界の断片らしく、《世界接続》を使うレインには、一つ一つの風景から僅かな生命反応まで感じ取ることができた。
【終焉回廊――最終攻略領域】
【第一継承区画】
【特殊成長補正――最大】
【攻略条件――世界情報の選別】
表示を読んだユウトが首を傾げる。
「選別って、何を選ぶんだ?」
「多分、残すものと消すものだと思う」
レインが答えた直後、周囲の景色が一変した。
広がったのは、既に半分以上が崩壊した森だった。巨大な樹木の間には獣や鳥らしき生命反応が残っている一方で、黒く変色した植物が周囲の正常な生命情報まで侵食しながら増殖している。
その中心から、巨大な獣が姿を現した。
【崩壊獣ヴァルグ】
【Lv86】
【分類――世界崩壊情報集合体】
【正常生命情報混在率――37%】
帝国兵二人が即座に武器を構えたが、レインは攻撃支援を発動する寸前で違和感を覚えた。敵がLv86なら倒すこと自体は間違いではないはずなのに、視界に表示されている「正常生命情報混在率」という項目が妙に引っかかる。
「待ってくれ。これ、全部倒したら駄目なんじゃないか?」
ノアも同じことに気づいたらしく、ヴァルグではなく周囲の森へ視線を走らせていた。
「おそらく試験の目的は戦闘ではない。この獣には崩壊情報だけでなく、元々この世界に存在していた生命情報が混ざっている。何も考えずに消滅させれば、保存すべき情報まで一緒に失うことになる」
カインがヴァルグを見ながら眉を寄せる。
「じゃあ、僕が壊れている部分だけ喰えばいい?」
「それを判断するのがレインの役割だろう」
ノアの言葉を聞き、レインは《全域支援》を広げた。
これまでなら仲間の能力や敵の弱点を探していたが、今回は森全体を一つの対象として捉え、何がまだ生きていて、何が既に壊れているのかを細かく確認していく。
すると、それまで一つに見えていたヴァルグの情報が、何百もの細い線へ分かれて見え始めた。
【保存対象――37%】
【崩壊対象――63%】
【完全討伐時――継承失敗】
「やっぱりだ」
レインはすぐに仲間へ情報を共有した。
「カイン、俺が黒く表示するところだけ切れるか? 帝国の二人はヴァルグを倒さなくていいから動きを止めてくれ。ユウトは攻撃の癖を読んで、ノアは全体の位置を調整してほしい」
「君は?」
「全部見る」
それが最もレインらしい役割だった。
帝国兵が左右へ分かれてヴァルグを牽制し、ユウトが百年以上の魔王時代に蓄積した経験から攻撃の予兆を読み取ると、その情報を受けたノアが全員の移動経路を組み替える。レインはさらに全員へ支援を重ねながら、ヴァルグ内部で絶えず位置を変える崩壊情報だけを追い続けた。
「右肩の奥、今!」
カインが《境界干渉》を叩き込む。
巨大な身体の一部が黒い粒子となって消えたものの、ヴァルグそのものは倒れず、むしろ輪郭が少しだけ鮮明になった。
【崩壊情報除去――11%】
「合ってる。そのまま続ける!」
戦いは派手ではなかったが、通常の討伐より遥かに難しかった。倒してしまえば終わる敵を、殺さずに動きを制御しながら、内部に絡みついた崩壊情報だけを切り離さなければならないからだ。
しかもカインが一度でも正常部分を喰えば、その情報は二度と戻らない。
レインは自分が攻撃できないことを、これほど有利だと思ったことはなかった。
攻撃する選択肢が最初から存在しないからこそ、敵を倒すのではなく、何を残すべきなのかだけに集中できる。
「左脚は触るな。そこは全部保存対象だ。次は胸の中央、その後に首の後ろ!」
「注文多いな!」
「間違えたら世界一個分の情報が消えるんだから我慢しろ!」
「だったらもっと早く教えて!」
文句を言いながらも、カインはレインが示した箇所以外には決して触れなかった。
やがて最後の崩壊情報が切り離されると、巨大だったヴァルグの身体が柔らかな光へ変わり、その中から本来の姿と思われる小さな四足獣の情報体が現れた。
【崩壊情報――完全除去】
【生命情報保存率――99.2%】
【世界情報継承――成功】
その光が森へ溶け込むと、黒く侵食されていた植物も消え、保存可能な樹木や動物の情報だけが残った。
同時に、レインの身体へこれまでとは異なる感覚が流れ込んでくる。
【世界継承経験――獲得】
【後衛経験変換――開始】
【真Lv80→82】
「二つ上がった?」
終焉回廊へ入ってから、真Lv50以降の成長速度が極端に遅いことを嫌というほど経験してきたレインにとって、一度の試験で二つ上がるのは異常な効率だった。
しかし、続いて表示された説明を読んで理由を理解する。
【真職《後衛》――特殊成長条件確認】
【自身による討伐経験――不要】
【支援対象の生存・成長・目的達成を経験値へ変換】
【世界継承成功時――追加補正】
レインはしばらく表示を見つめ、それから呆れたように笑った。
「俺、最初から自分で敵を倒してレベル上げする職業じゃなかったんだ」
「そもそも攻撃できないだろ」
ユウトに即座に突っ込まれる。
「分かってるよ。でも普通は仲間が倒した経験値を分けてもらう感じだっただろ。これは違う。俺が支援した相手が生き残ったり、成長したり、何かを成功させたりすること自体が経験値になるみたいだ」
ノアはむしろ納得したようだった。
「世界継承機構の受容核として考えれば合理的だ。お前の役割は強敵を倒すことではなく、可能な限り多くの存在を次へ残すことなのだから、保存や生存そのものが成長条件になっていても不思議ではない」
その時、カインにも表示が現れた。
【捕食核――正常処理経験獲得】
【Lv31→34】
【正常情報誤捕食――0】
カインは自分の表示を確認すると、満足そうに笑った。
「三つ上がった。僕の勝ち」
「俺とお前じゃ元のレベルが違うだろ」
「負け惜しみ?」
「違う」
二人が言い合っている横で、今度はユウトが妙な声を出した。
「……おい。俺にも何か出たぞ」
以前から保留されたままだった【職業候補――発生】が、ようやく具体的な形へ変わっていた。
【結城悠斗】
【Lv20→22】
【職業選択可能】
【候補――境界戦術士】
【適性――92%】
説明には、境界由来の生命体や世界法則外の敵について、その行動、能力発動、侵食経路を解析し、味方へ戦術情報として共有する職業と記されている。
レインはそれを読み終えると、笑いを堪えきれなかった。
「良かったな、ユウト。やっと無職卒業できるぞ」
「そこを一番最初に言うな」
「百年以上魔王やって、転職先が戦術士ってどうなんだ?」
「人間に戻って無職だったお前よりは大幅な昇進だろ」
「誰のせいで人間に戻ったと思ってる」
文句を言いながらも、ユウトは職業を拒否しなかった。
魔王だった頃の力はもうない。それでも百年以上戦い続けた経験まで消えたわけではなく、その経験を誰かを殺すためではなく、仲間を生き残らせるために使えるのなら悪くないと考えたのだろう。
【職業《境界戦術士》――取得】
ユウトが選択を終えると、第一継承区画の森がゆっくり消え、さらに奥へ続く道が現れた。
しかし、その先に表示された情報を見た瞬間、全員の表情から笑みが消えた。
【第二継承区画】
【保存対象――存在】
【崩壊対象――存在】
【両者識別不能】
【誤選択時――保存情報消失】
そして、その下にもう一つだけ警告が追加される。
【受容核単独判定――禁止】
【捕食核単独判定――禁止】
【相互支援による共同判定を要求】
レインは隣に立つカインを見ると、ようやくこの最終領域が何を鍛えようとしているのか理解した。
ここは単純にレインをLv100へ上げるための場所ではない。
受容核だけでは、残そうとするあまり壊れたものまで抱え込んでしまう。
捕食核だけでは、壊れたものを消そうとするあまり残すべきものまで喰ってしまう。
だから二人で判断しなければならない。
千年以上にわたってRainが何度も失敗してきた、本来の世界継承を実行できる二人になるために。
「次は俺だけじゃ判断できないらしい」
レインが言うと、カインは奥へ続く道を見ながら答えた。
「やっと僕の重要性が分かった?」
「最初から分かってるよ」
「本当に?」
「たぶん」
「今ので信用できなくなった」
言い合いながらも、二人は並んで歩き始めた。
その後ろをノア、ユウト、二人の帝国兵が続いていく。
レインの真Lvは82。
カインはLv34。
ユウトはLv22となり、《境界戦術士》という新しい役割を得た。
目標のLv100までは、まだ遠い。
それでも今度の成長は、敵を大量に倒して数字だけを積み上げるためのものではなかった。
誰を残すのか。
何を救うのか。
何を終わらせなければならないのか。
その判断を二人で間違えないことこそが、世界を次へ繋ぐために必要な力だった。
そして第二継承区画の扉が開いた時、レインの《才能可視化》にも《世界接続》にも、それぞれ正反対の判定を示す一人の少女が現れた。
《世界接続》は告げている。
【保存対象】
しかし《才能可視化》には、まったく別の表示が浮かんでいた。
【崩壊対象】
どちらを信じるべきなのか判断できないまま、少女はレインとカインを見つめ、怯えた声で問いかけた。
「あなたたちが……次のRainなの?」
――第六十六話 了――




